暮らしの美術 対談 池田修三という宝物

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池田修三展全国巡回

藤本智士
ナナロク社がリスクを背負って作品集を形にしてくれたっていうことで、僕はもう「なんとかこれ売らなあかん!」モードに入ったんです。
それで、大阪から始まり、東京、山口、島根、そのあと、今大変な熊本をはじめ、九州も行ったし、東北もいろいろ。いろんな所に行って。当時、僕のちっちゃい車で、版画後ろに積んで、自分で運転して、搬入して、トークショーして、本売って帰ってくるっていう、行商みたいなやつを延々とやってたんですよ。でもそうやっていかないと、やっぱりわかってもらえないんですよ、よそ者やから。特に関西人やから、しゃべればしゃべるほど疑われるから(笑)。
村井光男
でもあの時の藤本さんの動きは、版元としてもありがたかったですよ。
藤本智士
特に一番最初に出版記念としてやった大阪の展覧会。梅田にあるヘップホールってところでやらせてもらいましたけど、秋田ならまだしも、関西なんて誰も知らないわけで。
人来るのかな?っていう不安のなかで、2週間ぐらいの期間中、まぁ正直、最初は人来うへんかったけど、やっぱり後半は増えていくんですよね、口コミってすごいもので。

大阪ヘップホールでの展覧会(2013年)

村井光男
作品に触れた人が、ちゃんと良いと思って伝えてくれる。
藤本智士
伝搬能力がすごくあるっていうか。修三さんの作品の力だなって思いますね。あと、その時、伝えたかったのは池田修三記念館のイメージで。
最初に言ってた「地元に記念館がいつか出来ればいいですね」とかっていうのも、地元の人にとったら、どういうもんのことを言うてるのかイメージが湧かないので、ヘップホールの展覧会に、にかほ市の人や、池田修三さんの著作権を管理してる親族のかたにもわざわざ来てもらって。それで、会場見た瞬間に「うわっ!」って驚く姿をみながら、そこで僕が「こんな場所、にかほ市に欲しくないですか?」って、「欲しい!!」って。
やっぱりそこまで形にしていかないと、地方の人に何かを伝えることってできない。なかなかパワーがいるよね。
村井光男
やっぱり言葉だけで同じものを想像できるわけじゃないですもんね。
藤本智士
そういうことを共有するところから始めて、その後、2013年に作品集が出て、2014年には秋田県立美術館で展覧会が。

秋田県立美術館での展覧会(2014年)

村井光男
そう考えたら、すごい早い。
藤本智士
「国民文化祭」っていうのがあって。毎年各県持ち回りで開催されるんですね。
村井光男
国体の文化版みたいな感じですよね。
藤本智士
そうです。その期間中に、秋田県立美術館で開催したら、9日間で1万2000人超えの動員っていう。

来場されたみなさんからのメッセージ

村井光男
わ〜。
藤本智士
地方の美術館って、正直、そんなに人来ないじゃないですか。それが、そこの美術館の過去最大動員数を塗り替えるっていう、盛り上がりになったわけですよ。
村井光男
修三さん自身も、生前は美術館で展覧会はしたことなかったんですよね。
藤本智士
そうなんですよ。
村井光男
不思議だなあ。この本も、修三さんの初めての作品集なんですよね。生前は本が出てないんですよね。しかも秋田のジュンク堂書店さんで、月間一位をしばらくキープし続けたり、すごくあったまってきましたよね。
藤本智士
その翌年に開催した展覧会でも一万人以上動員があって。ひとつ目のフェーズとして、地元秋田の人に、池田修三をもう一度ちゃんと認識してもらうっていうのは、だいぶ出来てきた感じがする。本当にもう消えかけてたんですよ。最初に僕らが取材したときは。
村井光男
ギリギリのタイミングだったんですね。
藤本智士
飾ってる家でも「もう捨てるところだったよ」とか。いよいよ娘さんの代に替わって、いろいろ片付けられていくとかね、そういう危機感も感じたので、早くやらなきゃっていうのがあった。

にかほ市の旅館に飾られている池田作品

村井光男
そうなんですね。
藤本智士
この先ね、せめてまず、次は東北の宝物ぐらいにはしていきたいなと。木版画っていう文化自体が、すごい特殊なもので。特に日本には浮世絵っていう、すごいでかいものがあるけど、創作版画と言われる世界でこんなにすごい多色刷り木版画はなかなかないんです。
村井光男
そうなんですね〜。実際、原画を見ると、本当にものすごいきれいですよね。こんなにきれいな発色があるのかっていうぐらい。この作品集は、印刷で色の再現をするのが日本一上手い人がやってくださってるんですよ。だから、これ以上の色を出すのはちょっと難しい。
藤本智士
そういう、スーパープリンティングディレクターさんをはじめ、装丁の名久井直子さんとか、ただ「出来ました」じゃなくて、みんながこの作品集に愛をもってやってくださった。
村井光男
名久井さんも秋田まで行ってくださってますからね。修三さんのお墓参りも一緒に行きましたよね。
藤本智士
うん。ほんとそういう錚々たるプロフェッショナルが集結して成立してる。その辺をきっちりディレクションしてくれるから。凄いですよ、ナナロク社は。
村井光男
おっ、自信が湧いてきました(笑)。

詩修

藤本智士
『のんびり』では、「詩修」というコーナーがあって、修三さんの絵に、著名な方々にオリジナルの詩を付けていただいているんですが、一回目が、谷川俊太郎さん! その人選をナナロク社さんにご協力いただいたんですよね。
村井光男
そうですね。

谷川俊太郎さんによる「詩修」(『のんびり』5号掲載)

藤本智士
いきなり谷川さんから始まったら、これもう、てっぺんやもん(笑)。
村井光男
この先どうなるんだ? っていうね(笑)。
藤本智士
でも、谷川さんが書いてくださったことで、森雪之丞もりゆきのじょうさんにも繫がって。森さん、谷川さんのこと大尊敬してるから。僕らからしたら森雪之丞って名前は凄いじゃないですか、アイドルから「キン肉マン」から氷室京介まで(笑)。
村井光男
ポイズンまで!
藤本智士
いろんな作詞、みんな森雪之丞さんじゃないですか。まぁそういう人が、書いて下さったりとか。他にも、一青窈ひととようさんだったり、服部みれいさんだったり……。
最近は高橋優くんっていう、秋田出身のミュージシャンや、小説家の江國香織さんとかも。
村井光男
江國さんの凄かったなぁ……。
藤本智士
ねえ〜。そういう人たちがみんな、修三さんの絵に対してすごくリスペクトして、詩を寄せてくださるっていうね。こういうのがまた、地元の人たち嬉しいじゃないですか。
村井光男
そうですよね、「知ってるあの人が!」っていうのが。
藤本智士
やっぱり詩の世界だったので、詩集の出版に力を入れてるナナロク社さんに繋げてもらって。それで、実はね、この「なんも大学」でも「詩修」を続けることが決まって。
村井光男
そうですね。隔月で、いろんな人の詩を。
藤本智士
いろんなタイプの人をね。活きのいい新人の方とか、いろいろ紹介して欲しいなぁって。村井さん、基本詩集でメシ食おうとしてる無謀な人やから。
村井光男
そうなんですよ〜。詩集でメシ食えたらかっこいいなぁって思って。
藤本智士
どうもねぇ、僕たち70年代生まれは、そういうきらいがある。こうすればかっこいいなぁっていう(笑)。
村井光男
まぁ、かっこいいって大事ですからね(笑)。
藤本智士
最後にですね、ちょっとあらためて告知を。
村井光男
おっ。
藤本智士
7月16日から31日まで、銀座の伊東屋で展覧会を開催します。伊東屋さん、2年前に改装されて、地下にきれいなホールが出来たんですよ。
村井光男
おー銀座! じゃあそこで原画を見れるんですか?
藤本智士
もちろん! あまり広いところではないんですが、できるだけ、代表作をたくさんご用意して。
村井光男
すごい!
藤本智士
本当に良い機会ですから、ぜひ来てもらえたらなぁと。池田修三さんのこともどんどん動いていきますし、詩修のコーナーもね。応援していただければと思います! っていうとことで、村井さん、今日はありがとうございました!
村井光男
こちらこそありがとうございましたー!
池田修三木版画展 この指とまれ

展覧会詳細はコチラ

※本対談は、2016年5月20〜22日に新宿御苑で開催された「ロハスデザインアワード2016」内で行なったトーク
 「なんも大学公開講座『のんびりの作り方』番外編 〜のんびりが見つけた宝物/池田修三〜」を再編集した
 ものです。

※フリーマガジン『のんびり』および「詩修」は、こちらでお読みいただけます。
 (http://non-biri.net/pdf/index.html

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