秋田県羽後町。ここは、西馬音内盆踊りが開催されることでよく知られていますが、冬には毎年、大変な豪雪となる地域でもあります。そんなこの町で、毎年1月最終土曜日に「ゆきとぴあ七曲」という行事が開催されます。この行事のメインとなるのが「花嫁道中」。今月は、この「花嫁道中」について学んでいきます。
今年で32回目の開催となる「花嫁道中」。今年の開催日1月28日を前に、この行事に立ち上げから携わっている、菅原弘助さんにお話を伺います。
- 菅原
- 「花嫁道中」は、昔ながらの嫁入り風景を再現した行事です。その年に結婚する花嫁さんと花婿さんを馬そりに乗せて、道の駅うごのある、西馬音内地区から、七曲峠を越えて、旧長谷山邸という豪農の館のある田代地区まで、12キロの道のりを5時間かけて歩くんです。
- 矢吹
- 12キロ!? 実際、今日も車で峠を越えるのすら、大変だなあと思って来たんですけど、あの道を歩くんですか?
- 菅原
- はい。馬そりには、花嫁さんと花婿さんと、仲人さんという、送り人、迎え人の方々が乗って。ほかに3組の長持箪笥も揃っていて、それを昔ながらの「ケラ」という衣装をまとった地元の中学校の生徒たちが、そりで曳きながら一緒に付いて歩くんです。総勢20人くらいになるのかな。
- 矢吹
- 道中ではどんなことが行われるんですか?
- 菅原
- 今年は、道の駅うごをスタートして、途中、街中に雪まつり会場をいくつか設置しているので、そこで紅白の餅まきやセレモニーなんかをしながら、花嫁花婿のお披露目をしていきます。蕎麦屋の彦三さんで蕎麦をいただいたり、馬にエサをやったりしながら、一番の難所、七曲峠に向かうんですね。
- 矢吹
- はい。
- 菅原
- 沿道には、各家々で小さな雪の祠を作ってくれたり、雪が足りないところには雪を敷いてくれたり、道中が通る際にはみんな出てきて手を振ったり、振る舞い酒を用意してくれたり。そうやって沿道がずーっと繋がっていくんですよ。 そして、峠を登るころになると日がとっぷりと暮れるんですが、除雪をした両脇の回廊には、4000本ほどの雪灯ろうが灯されるんです。
- 矢吹
- わ〜!!
- 菅原
- その光景は、毎年、何度歩いても感動するんですよ。ちょっと異次元に入ったような、幻想的な感じになります。
- 矢吹
- はい。
- 菅原
- 全国からカメラマンが来るんで、もうシャッターを切る音がすごいんですよ。バシャバシャバシャバシャと。馬そりですけど、馬車馬車と。
- 一同 はははははは!
- 菅原
- 本当に、人馬一体となってやってるもんですから、馬の全身から汗が湯気のように立ち上る様子もいいし、昭和30年代の生活様式を再現しているので、傘やケラなんかの装束はいまでは見られないものですから、シャッターチャンスなんでしょうね。
- 矢吹
- おとぎ話の一場面のような。
- 菅原
- その日一日は本当に昔に返るような。そして、峠を越えてゴールの旧長谷山邸に到着すると、雪でこさえた檀上が用意されていて、そこで良縁祈願祭や、町が子々孫々まで繁栄するように願いを込めた餅まきやセレモニーが行われます。そして最後は冬花火ですね。三階建ての旧長谷山邸の真上に大輪の花が咲く。
- 矢吹
- わ〜! すごい壮大ですね。町ぐるみでみんなで作る。
- 菅原
- そうですね。札幌の雪祭りとかの都市型の大きい祭りじゃなくて、我々は手づくりなんで、一年一年の積み重ねですね。
- 矢吹
- 32年間、途切れることなく。すごいことですね。ということは、毎年必ず結婚するご夫婦が……?
- 菅原
- そうですね。毎年公募したなかから選ぶんですが、最初は即製のカップルだったんです。応募者が少ない年もあったんですけれども、おかげさまで毎年新しいカップルで行ってますね。
- 矢吹
- それもすごい。そもそもこの行事の始まりは……?
- 菅原
- はい。私は進学のため東京に出て、7年間遊学生活してから、26歳で家業を継ぐために東京から帰ってきたんですよね。その時に地元の人がみんな「こんなに雪の降るところに住みたくない。雪の降らないところに行きたい」って言ってたんですよ。
- 矢吹
- はい。今日、私もこの雪に怖気づきそうになりながらここまで来ましたけれども。暮らしている人たちはさぞ大変だろうと思いながら。
- 菅原
- はい。でも私は、子どものころから雪が好きだったもんですから、そのことに、少なからず腹立たしさを覚えたんですよ。
- 矢吹
- ここで暮らすことをネガティブに考えることに?
- 菅原
- そうそう。これから後を継いで、地元に骨を埋めようと思って帰ってきたわけですからね。でもその時、「ああ、これだな」と思ったわけですよ。一番の秋田の課題がね、この雪なんだなと。「よし、じゃあその雪を最大限に活かして楽しいことを作っていこう。それをライフワークにしよう」と決意したんですよ。
- 矢吹
- お〜!!
- 菅原
- それで、湯沢青年会議所に誘われてボランティア活動をしながら、全国や海外を周って、ほかに真似のできない、羽後町にしかできないことをずっと考え続けてきたんです。
- 矢吹
- はい。
- 菅原
- それで実は、この田代は、東京オリンピックのあった1964年までは、冬の間は車が通行止めになってしまう地域だったんですよ。
- 矢吹
- え〜!
- 菅原
- 高校も峠のむこうの湯沢市だったので、下宿してですね、土日の帰ってくる日は峠の近道を歩いてきたんです。
- 矢吹
- 歩いて?!
- 菅原
- ですから、1965年に初めて車が通るようになるまでは、歩きか、馬そりか、箱ぞりか。そういう生活だったんです。
- 矢吹
- 陸の孤島みたいな。
- 菅原
- はい。でも、そういうなかでも婚礼というのは、冬の農閑期にけっこう多かったんですよね。ですから1964年までは、実際に馬そりや箱ぞり、あるいは歩いたりして冬に婚礼が行われたんですよ。
- 矢吹
- へ〜〜〜〜!
- 菅原
- その当時は三日三晩かけて、自分の家でお祝い事をやったんです。いまみたいな結婚式場もありませんから。そういう思い出をもとに思いついたのが「ゆきとぴあ七曲」のイベントなんです。第1回を開催したのが1986年。構想から10年くらいかけて実現しました。
花嫁道中の成り立ちを学んだ私たち。次回は、その第1回目の開催のエピソードを伺っていきます。