1冊の本があります。『最後の狩猟者 阿仁マタギと羽後鷹匠』。1976~77年にかけて朝日新聞秋田支局の記者が取材したもので、この本の取材ノートにはこう書かれていました。「昔を知るマタギはもう何人もいない。あと十年もたったら、取材したくても不可能になってしまう」と。
それからもう40年……。
山での狩猟を生活のベースにしながら、独自の文化を伝えてきたマタギ。北秋田市阿仁は、古くから多くのマタギが暮らしてきた土地で、今もなお「マタギの里」として、阿仁のあちらこちらでマタギという言葉を目にします。
現代のマタギに会ってみたくて、阿仁を訪ねました。大ベテランのマタギ、新しくマタギを目指す若者、マタギの撮影を続ける写真家……現在のマタギの生な声をお伝えします。
阿仁のなかでも打当、比立内、根子の各集落ごとにマタギがいて、それぞれ打当マタギ、比立内マタギ、根子マタギとして、近年にいたるまでその間の交流もなかったといいます。
打当マタギとして、子どもの頃から山に入ってきた鈴木英雄さんは、現在70歳。祖父の鈴木辰五郎さんは「空気投げの辰」とも呼ばれ、晩年は雪男捜索隊に加わってヒマラヤへ向かったことでも知られる伝説的なシカリ(マタギの統領)です。
冒頭で名前を挙げた本『最後の狩猟者』の中で、阿仁マタギの最高峰として取材を受けていたのも辰五郎さんでした。そんな辰五郎さんの背中を見ながら、15歳でマタギとなった鈴木英雄さんは、今も現役のマタギとして山へ入っています。
今、こちらでマタギをされてる方は何人いますか。
- 鈴木
- 打当では6人かな。オレが70なんだけど、80代の人がふたりいるからな。いちばん若くても67歳。平均で70歳こえてるよ(笑)。
80代の方も山に入ってられますか。
- 鈴木
- ひとりは、もう集団での猟に参加するのは難しくなってきた。だから、自分でウサギや山鳥を獲ったりしてる。よくね「マタギとハンターの何が違うんだ?」って聞かれるんだけど、たとえば山に対する気持ちとか、クマに対する気持ちとか、代々受け継がれてきた文化があってそこが違うんだと思う。
山に対する気持ちが違う。
- 鈴木
- 山は神聖な場所で、ぜんぶ山の神様のものだって教わってきた。山の神様というのは女の神様でとにかくヤキモチ焼きでヒステリー。大変な神様だから、機嫌が悪くなると何日も山が荒れて獲物を授からない。だから、山に入るときは機嫌を損ねないように、身なりを整えて、女性を遠ざけて、山の神様にお祈りをしてから山へ入るんだ。昔は、(魚の)オコゼを山の神様に捧げると、「オコゼみたいな自分より醜いのがいる」ってことで機嫌を直してくれたっていうんだ。
マタギ独自の文化がいろいろあったんですね。
- 鈴木
- そうですね。阿仁のマタギといえば、「フクロナガサ」という山刀があって、これは柄を付けると槍にもなるのが特徴なんですが、草木を払ったり、仕留めたクマがまだ苦しんでいたりするときに使うんですよ。うちで代々受け継がれてきたフクロナガサは国の重要文化財に指定されて、今は東北歴史博物館に展示されてます。
マタギの道具は、いまや文化財。
- 鈴木
- 博物館からは「クマのうんちを送ってください」ってメールも入ったから、何よと思ったら、「冬眠明けのクマのうんちを熱冷ましとか、薬としても使った」っていうんです。「何をわけわからないこと言って、クマといえばなんでもいいってもんじゃないよ」と思ったけど(笑)、学者の方に言わせると、それは理にかなったことだよって。冬眠明けの何もない腸から出たものだったらって。
それで送ったんですか。
- 鈴木
- いくつも送ったよ(笑)。
昔のマタギはそうしていたということ、今はこうしてるということ、いろんな変化があるのだと思います。
- 鈴木
- こっちからすれば、特別にマタギがどうのこうのじゃない。オレはマタギの家系で農家の跡取りで、春になれば農作業なり出稼ぎなりしながら、帰ってきたら春の猟があって、また農作業をやって、秋には秋の猟がある。生活の中にマタギが入ってるだけで。最近になって騒がれるから、話をするうちに、昔いろいろ聞いたことも思い出すから、またそれも追加して話してるんだ。
特別な職業というよりも、山での生活のリズムの一部という感覚なんですね。
- 鈴木
- 当たり前のことなんだ。だけど、登山とかそういうのとは違うんで、自分でもわからないけど、猟の時期になると自然と山に入りたくなる。それで山に入って、何日も歩いて全然授からなくても別にイヤにはならない。ただクマを撃ちたいだけなら、何日も授からなかったらイヤになるでしょ。山に入るのが魅力なのかな、どうなのかな、自分でもうまく言えないよ。
その「山に入る」というのもきっと大変なんでしょうね。
- 鈴木
- 半端じゃないよ。大学の山岳部に入ってたという若いのが案内してほしいというので、奥の方へ連れて行ったことがあるんだけど、「あー鈴木さん、どうやって歩けばいいの……」って進めなくなった。足もとの柴を払った斜面だったから、下るのが怖いんですよ。戻すこともできないし、「もう少す、がんばれェ」ってきたんだけども(笑)。だからいまでは、集団でやるマタギの猟には、取材でも連れて行かないんです。自信のあるひとに限って、とんでもなく迷惑するから。
マタギの猟は、街から来た取材チームがついていけるような甘いもんじゃない。
- 鈴木
- 山に置いてくるわけにもいかねェからな(笑)。来年になったら、マタギになりたいって若い子がひとり、打当へ移住してくるんだけど、マタギをやるといっても、この土地に住んで、暮らして、山菜を採ったり魚釣りに行ったりしながらも山に触れて、徐々に山を覚えていくことだって話をしてるんだよ。
マタギに興味を持つ若い人もやっぱりいる。
- 鈴木
- 昔はマタギだけで生活していけたけど、いまはなにか仕事をしながらだから、来年移ってくる子にも「ただ来たってダメだから、何か自分で仕事も考えれ」って言ってね。
マタギといえば猟。そのことばかり想像していましたが、山深い土地での暮らしが自然とマタギと呼ばれる暮らしにつながってきたということを、鈴木英雄さんのちょっとしたお話ぶりからも想像できました。英雄さんの話はまだまだ続くのですが、次回は、阿仁に生まれ育ち、今年がマタギデビューとなる若者の話もお届けします。
*今回の取材は阿仁・打当の温泉「マタギの湯」、マタギ資料館を使って行いました。また、記事内の写真資料はマタギ資料館のご協力のもと、掲載させていただきました。ありがとうございます。