秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:船橋陽馬

たからものは、足もとに。銭川ぜにかわ温泉へようこそ。

2018.12.12

鹿角市かづのし八幡平はちまんたいには、以前このウェブマガジンでもご紹介した「蒸ノ湯ふけのゆ温泉」をはじめ、後生掛ごしょうがけ温泉、志張しばり温泉元湯など、数多くの温泉があります。そのうちの一つ、銭川ぜにかわ温泉は、オンドル式の湯治とうじ宿として知られています。

銭川温泉に到着して、一歩足を踏み入れると、もうそこからオンドルの始まり。床からじんわりと熱が伝わってきます。ここでは、すべての床の下にパイプが通っていて、温泉水を流して温めているのです。これが銭川温泉のオンドル。

泊まったのは、布団を1組敷けばいっぱいになるくらいのコンパクトな一人部屋。もちろん、この床もオンドル効果であたたかい。
ちなみに私は、真夏に泊まったことがあるのですが、山の中にある宿なのでとても涼しく、オンドルも心地よく感じられました。ほかに、家族でも泊まれる2〜3人部屋も。

これらの部屋は長期滞在も可能。ここで、暮らすようにしてオンドルに寝たり、温泉に入ったりを繰り返して休養する人も多いそう。

湯治客の共用設備として、炊事場や洗濯乾燥室などもある。
日帰り入浴もできる温泉はアルカリ性単純温泉。無色透明のさらっとしたお湯が特徴。

ここで、この銭川温泉の看板娘たちをご紹介します。

左から、阿部季佐子きさこさん、初枝はつえさん、湖十恵ことえさん。じつは、この温泉宿は、母、娘、孫の女性3世代で切り盛りしているんです。

湖十恵
ここは、昭和23年からやっていて、今年で70周年になります。私は2013年からここで働いていますが、5代目になるようです。

——「湯治場」というと、療養で長期滞在する方が利用する場所、という印象ですが、実際にそういうお客さんが多いんでしょうか?

湖十恵
昔は、農作業を終えた時期に、1年の疲れを癒しに来るっていう方も多かったようです。最近は働き方も変わって、地元の方が湯治をすることは少なくなったんですが、療養のために遠くから来る方はいまも多いです。安く自炊で泊まれるからだと思いますが、目的が様々なのも湯治場の面白いところで、療養以外にも、山登り、観光、仲間との団欒、日本一周の途中……ツーリングや釣りをしながら、20年以上も里帰りみたいに来てくれる関東の方もいますよ。
季佐子
昔は、いまよりも温泉療養が生活に身近だったんだと思います。時々、「子どもの頃じいちゃんと湯治に来た」とか「親に届けものに来たことがある」と思い出して日帰り入浴に来てくれる人もいるので。「湯治見舞い」っていって、長期で来ている人に、家族や知り合いがお米とか野菜とかを差し入れに来たりもしていたんですよ。
湖十恵
滞在は、最近だと、長い人で2週間〜1ヵ月いる人もいますね。うちはそれでも短いほう。ほかのお宿では1年のほとんどを湯治場で過ごす人もいるみたいですよ。
季佐子
療養でいらっしゃる方はみなさん真剣ですよ。

——同じ八幡平にある後生掛温泉や玉川温泉(仙北市)も全国から湯治に来ていると聞きます。このあたりは湯治場が多いんですね。

湖十恵
じつはちょうど昨日、平成元年に八幡平の温泉が取材されたVHSのビデオテープが出てきたんですよ。昔の映像をみると、その頃はいまより湯治場も多くて、湯治天国だったんだなっていうこともよくわかったんですが、湯治客もいまよりオープンな感じでしたね。
初枝
昔はみんな、鍵もかけずに扉も開けっ放し。危ないこともなかったのよ。飲んで騒いで、家族みたいなかんじだったの。湯治場のぬしみたいな人もいてね。だから、私はいまも時々鍵を渡すのを忘れちゃうの(笑)。
湖十恵
私は、小学生のころ学校が終わってここに来ると、湯治のお客さんに遊んでもらってましたよ。どこかに連れて行ってもらったり、トランプで遊んでもらったり、チラシでちょうちょを折ってもらったり。みんなが一つの部屋に集まってお茶飲んだりしていたのも覚えてます。

——「銭川温泉に行けば、あの人に会える」っていうのを楽しみに来る方も多かったでしょうね。

湖十恵
いまもそうやって時期を合わせて来る方が時々いますよ。そういえばこのあいだ、30〜40年くらい前に湯治場を巡っていたカメラマンの方がみえて当時の写真を見せてくれたんですけど、温泉の中の写真は、もう、おっぱい丸出し。全然気にも留めずにカメラ目線で笑ったりしていて。
初枝
昔はここも混浴だったの。みんな一緒に、私らも一緒に入ったよ。あのころは一緒に入らないと入る時間もなかったからね。
季佐子
私は嫌でしたけどね。
温泉を始めた当時に作られたという手ぬぐい。現在は復刻版を宿でも販売している。
初枝
時代とともにお客さんからもそう言われるようになって、女風呂も作ったのよね。
そのあと、平成9年にさらに改装していた矢先に、地滑りと土石流が起きて……川の上流の、澄川温泉と赤川温泉はみんな流されてしまったの。
季佐子
ここは被害はなかったけれど、避難しなければなくなって、しばらく使えなかった。

——自然の恩恵で楽しめる反面、恐ろしさも隣り合わせなんですね。

初枝
昔はここに間欠泉かんけつせん(一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉)が出ていて、そこで卵とか野菜を茹でたりしたんだよ。地熱もあったしね。

——地熱っていうのは、地面がそのものがあったかい?

季佐子
そう。昔はその土間だったので、その上にござやマットレスを敷いて湯治していたの。
初枝
その辺に土管を挿すと、ピューっと蒸気が吹き出すから、そこにやかんを上げておいて、その蒸気であっためてお茶飲み会してたりもしたんだよ。でも、地熱も間欠泉も自然のものだからね。時とともに無くなってしまったんだけど、昭和55年に建て替えをする時に先代たちが話し合って、先を見越して床下に温泉を通すパイプを通していたの。
季佐子
それがいま、活きてるの。
初枝
寒くなると、私たちも家に帰らないでこっちに寝ることもあるよ(笑)。

——オンドルはたからものですね。私の家にもあったらなあ……。

湖十恵
オンドルの部屋は日帰りで休憩もできるので、近くの集落のおばあちゃんたちが、朝8時半から夕方4時ころまでおしゃべりして、2回お風呂入って、オンドルで昼寝して……っていうのを月2回くらいしていて。

——ファミレス感覚でオンドルに来てる! 湯治場と聞くと「滞在しなきゃ」と身構えてしまいますが、そんなふうにも使えるんですね。
湖十恵さんは、ここで働きはじめて5年になるそうですが、宿のお仕事、やってみていかがですか?

湖十恵
進学とともに関東に出て、飲食関係で働いたあとUターンしたんですが、それまでは、恥ずかしいっていう思いがあったかもしれません。家族だけでやっていて、立派なホテルみたいな接客もできないし、昔は間欠泉なんかもあって特徴的だったけど、いまは無色透明のインパクトの少ない温泉だし、風情のある造りでもないし……。経営のこともよくわからなくて「母と祖母がなんとかやっている」っていう印象だったんですよね。
湖十恵
でも実際は、母と祖母なりにお客さんとの関係を長年作ってきていて、何より、湯治場を必要としている人がいる。だからここまで続いてきたんだなっていうのがわかって。
いまは、湯治場って面白いなって思います。地元の人も県外の人も来て楽しいし。冬場はどうしてもお客さんが少なくなってしまうので寂しくなっちゃって、この先どうしようってなるんですけど、春になるとまたいろんな人が帰って来るから。
共有の休憩スペースは、3人の趣味やお客さんとの思い出がいっぱいに詰まった空間。ドライフラワーは季佐子さんによるもの。

——初枝さんと季佐子さんの存在感は絶大ですよね。

湖十恵
母は温泉のことをはじめ、宿全体を支えてくれていますし、お客様とのやりとりでは、特におばあちゃんを慕って来てくれる人が多いですね。
湖十恵
おばあちゃんは、とにかく人脈があって「毎日何回電話がくるんだろう?」ってくらい。遠い親戚とか、まわりの集落の人とか、いろんな人がおばあちゃんに会いに来るんですよね。おばあちゃんがいなくなったらどうしようって思いますね。私にはまだ返せるものがないから。
廊下には、湯治客から寄せられた手紙が。

——それでも、時代に合わせた変化も必要ですよね。湖十恵さん世代だからこその気配りも要所要所に感じられて、湯治場のハードルが下がったように感じます。

湖十恵
正直、旅館などと違って「湯治場は汚くて自由すぎる」っていうイメージを自分の中に持ってました。最近は、消灯時間も決めて、鍵も閉めて……と、昔は自由だった部分を強制している部分もあるから、そういうのを窮屈に感じてる人もいるかもしれないんですけど、お客さんのスタイルも変わってきていて、距離が近くて楽しい反面、それがイヤだっていう人もいて「うちは静かでいい」って来てくれる人もいる。
温泉や洗面所のタイルにも、女性の宿らしい、かわいいあしらいが。

——最近は全国的にドミトリーやゲストハウスがすごく増えてきていますが、共有部分とプライベートな部分はきちんと分けたい方も多いですよね。

湖十恵
そうなんです。私が湯治場を前向きに捉えられるようになったのは、関東にいた当時にゲストハウスに泊まったことがきっかけで、そこは思っていたよりもマナーが良くて、共有スペースも楽しいイメージで。うちと重なる部分や、宿側の努力も感じて、外に出たときはそういう宿に泊まったりして、やり方を参考にしたりもしました。新しさだけでなく、昔からの流れやここならではな部分も大切に、バランスを持ってやっていきたいですね。
宿泊した際の朝ごはんは、地野菜がふんだんに使われていて、ボリュームも満点。これを食べるために泊まりたくなるほど。

——これからどんな宿にしていきたいですか?

長年休んでいた料理の提供を少しずつ再開させたり、3人いるからできているところもあるんですけど、それでやっといま。自然の変化も隣り合わせにあるし、これからは家族の年齢による変化もあると思うけれど、自然と温泉、来てくださるみなさんに感謝して、まずはいまできることを楽しくできれば。うちは年齢層の幅も広いので、その、いろんな年代の人にとって「温泉とオンドルが気持ちいい」であればいいなって思っています。

【銭川温泉】
〈住所〉秋田県鹿角市八幡平トロコ
〈TEL〉0186-31-2336
〈HP〉https://www.zenikawa.net/