

駅弁「花善の鶏めし」に詰まった未来。
2019.03.20
花善の「鶏めし」。「秋田県民、誰もが食べたことがある」と言っても過言ではないほど人気の「駅弁」です。その誕生から今年で72年。長きにわたり愛されてきた弁当の裏側には、どんな物語があるのでしょう?

やってきたのは、JR大館駅前にある「花善」。弁当の購入はもちろん、レストランでも鶏めしを食べることができます。
ここで、八代目社長の八木橋秀一さんにお話を伺います。
はじまりは、「まかない」と
「面倒くさい」から?

八木橋さん- 明治32年11月15日に大館駅ができたんですが、同じ日に花善も創業しました。今年で120周年を迎えます。創業当初は、巻き寿司や幕の内弁当が主流の駅弁屋でした。

——鶏めしは、どんな経緯で生まれたものなんでしょう?
八木橋さん- 鶏めしは、戦後、昭和22年に発売を開始したんですが、戦前、今のJRが国鉄の時代、国の要望でうちは「きりたんぽ弁当」というものを作っていたんですよ。それを列車内で販売していたんですが、冷めたきりたんぽなんて誰も食べたくないですよね? 毎日売れ残ってくるんです。でも捨てるのはもったいない。だから、鶏肉だけを取り出して、社内のまかない食として、甘辛く煮付けておかずとして食べていたんです。

八木橋さん- その後、終戦を迎えてから、うちではこの周辺地域の配給を出す仕事もしていて、ある日支給されたものが「ごぼう、醤油、砂糖、米」だったんですが、その日、祖父母は「おかずとご飯を分けて作るのが面倒だから」と、全部まとめて炊いてみたそうなんです。当時、秋田には茶飯というものがなかったので、食べた人たちは「なんだこれは!」とびっくりしたそうです。
そこからヒントを得て、祖母のウタが「あの、まかないの鶏肉と合わせたものにして販売したらどうだろう?」と思いついたのが始まりなんですよ。

——発売当初から今のように人気だったんでしょうか?
八木橋さん- 始めは鳴かず飛ばずだったそうですが、昭和40〜50年代は車よりも鉄道が発達していました。新幹線も通っていない時代で、東京へ行くのには夜行列車。大館駅はその中核を成していたので、ぐぐっと商売が上がっていったようです。
花善、3つの理念
——今や、秋田では知らない人がいないほどの人気ですが、その人気を支えているのは何なんでしょう?
八木橋さん- うちには3つの経営理念があるんですよ。
①「変わらぬ味を守り続けること」。

八木橋さん- うちの従業員には「美味しくしようと思うな」と言っています。普通の飲食店は「美味しくした方がいい」が当然ですが、うちは、弁当を30年ぶりに食べた人にでも「ああ、懐かしい」って言ってもらいたい。味を変えてしまったらその「ああ」が出てこないんですよね。だから、美味しさよりも変わらないことを大切にしています。
②「駅弁屋としての責務を全うすること」。

八木橋さん- 最近、世の中の駅弁が駅弁らしくなくなってきているようにも思えるんです。
祖父母から教わった「片手で食えるものにしろ、冷めても美味しいものにしろ」ということからはブレないようにしています。

八木橋さん- また、駅弁屋である以上、駅との関係性は切り離せません。駅が困ったら助けにいく。電車が止まって乗客が動けなくなってしまったとなれば、うちの弁当をふるまうこともやってきましたし、365日走る電車に合わせて、うちも無休で製造しています。

③「一人一食という考えを忘れざること」

八木橋さん- 弁当を作るうえで、同じ「肉を50g入れる」でも、ボロボロの肉でも50g、皮だけでも50g、ぷりっとした肉を入れても50gです。お年寄りなら、ぷりっとした肉より、少し細かくなっている肉のほうが食べやすくて良いかもしれないし、高校生なら大盛りにしたっていい。要は作り手が機械になってはいけないよ、ということなんですよね。

売りたくない

八木橋さん- おかげさまでたくさんの方に食べていただいていますが、じつは、うちは今「売りたくない」路線なんです。
——売りたくない? それはどういうことでしょう?
八木橋さん- うちは最大5000食を製造するんですが、それ以上は、自分たちには分不相応だと考えています。
というのも、うちは全て手売りなんですよ。手売りというのは、間に問屋を入れずに直接販売すること。お店へは、すべて自分たちで納品しています。誰が売っているか見えないのが嫌なんですよ。それができる範囲となると、今の数が限界なんです。

——人気があるなら、店舗を増やすということもできるのでは?
八木橋さん- じつは、東京、大宮、上野など、関東での販売は全て辞めたんですよ。
——え! それはどうしてですか?
八木橋さん- 首都圏の市場がつまらないと感じてしまって。価格の叩き合いなんですよね。でも、マーケットが小さくなって行くなかで、みんながそこにくい込んでいったらビジネスになりませんよ。それに大館の駅弁がどこにでも売っているというのにも違和感があります。

——確かに、今は全国の駅弁がどこでも食べられますね。
八木橋さん- それで、関東での販売を辞めたんです。でも、秋田へ来て食べてくださる方へは、全力で対応させていただきます。例えば、うちは旅行会社向けには、1個からでも配達しているんですよ。一般的には少ない数では配達しないところが多いんですが、うちは行くんです。秋田まで来てくれて、この駅弁を食べたいって言ってくれてるんだから。「ここに来た方は絶対に逃がさない!」とね(笑)。
鶏めし、パリへ行く

八木橋さん- でも、関東での販売を辞めるとなったときは、社内的には嫌がられましたね。従業員にとっては、県外で売っていることがプライドでもあったので。それに、販路を狭めて「これでいい」となってしまったら、企業というのは萎びてしまう。そこで、2018年、パリに進出したんです。
——パリですか?! フランスの?
八木橋さん- はい。そこで売れれば、「秋田県外でも売れる」という従業員のプライドは通せるんじゃないか?と。


——すごい飛躍ですね。パリの市場は首都圏よりも面白いものなんですか?
八木橋さん- そうですね、駅弁屋なんて1軒もありませんから、パイオニアになれるっていうのは面白いですね。
——実際、むこうでの反応はどうでしたから?
八木橋さん- 寿司の文化は浸透しているので「米には醤油」というのが常識なようで、白米をそのまま食べるという人はあまりいないんです。なので、あらかじめ醤油が入っている鶏めしは「ナイスアイデア!」なんだそうです。
駅で弁当を売っている、ということについても「移動中にご飯を食べるなんて、なんて効率的なんだ! 賢いな」って言われてます(笑)。

八木橋さん- ただ、パリでは「弁当」という言葉はすでに浸透してきているけれど、「駅弁」という概念はまだないんです。将来的には「鶏めしを食べたい方は、秋田かパリへ」と言えるようにしたいですね。
鶏めし給食


——花善さんでは、6年前から、大館市内の小中学校の給食で鶏めしを食べてもらう機会を作っているそうですね。
八木橋さん- はい。私が子どもたちの前で講話をしたうえで、鶏めしを食べてもらっています。毎年これをやらせてもらうことで、私自身も地域の大切さがよくわかってくるんですよね。

——具体的にはどんなことがありますか?
八木橋さん- 秋田の子どもたちにとっては、豊かな食も自然も「あることが当たり前」なんですよ。誰もその素晴らしさを教えてくれないんですよね。
でも、これをすることで秋田の良さを知ってもらえれば、子どもたちが大きくなって県外に出たときも、ふるさとが「何にもないところ」じゃなくなるんじゃないかな、と。そうすれば、一度故郷を離れたとしても、また秋田に帰ってきてくれる人も増えるんじゃないかな、と思うんです。



八木橋さん- 海外で展開しているのもそれが大きくて、「秋田だからできない、大館だからできない」っていうのが嫌なんですよね。「秋田から仙台へ、秋田から東京へ」じゃなくて、いきなり世界に飛んでもいいんだよっていうことを、私たちの活動を通じて感じてもらえたら。


八木橋さん- そういうこともあって、パリで販売する駅弁に子どもたちが作った折り鶴を添えたり、高校生が企画した商品を販売したりもしています。それを動画で撮って「君たちが作ったものっていうのは、世界でこうやって評価されるんだよ」って見せてあげる。そうすると、子どもたちにとって、「外国」が「見える外国」に変わる。自信に繫がっていくんですよね。

戦後に生まれ、昭和、平成と愛され続けてきた花善の「鶏めし」。片手で持てるお弁当箱のなかに、これからの考え方、あり方のヒントがぎっしり詰まっているように感じました。
【花善】
〈住所〉大館市御成町1丁目10番2号
〈TEL〉0186-43-0870
〈HP〉 http://www.hanazen.co.jp/