

ひきわりLOVE!
〜納豆の聖地、ヤマダフーズへ〜
2019.07.17
「納豆は、つぶ派? ひきわり派?」
秋田の人たちにそう聞くと、その多くが「ひきわり」と答えるかもしれません。それを裏付けるかのように、秋田のスーパーの納豆コーナーには、ひきわり商品が大充実。県外の方に「秋田はひきわり天国だ!」と言わしめるほど。
そんな、秋田のひきわり納豆の文化のルーツはどこにあるのでしょう?
それを探るべく、美郷町にある「ヤマダフーズ秋田工場」を訪ねました。


大豆と馬と米俵
この日、案内してくださったのは、ヤマダフーズ広報課の小西恭司さんです。

気になるひきわり納豆の話題の前に、まずは、秋田の納豆の歴史をお話いただきました。そこで紹介されたのが、この一枚の絵です。

小西さん- これは、今から900年以上前、横手盆地一体が戦場となった「後三年合戦」の絵巻のなかの絵を模写したものです。
もとは、この地の豪族の清原一族の内紛だったものの、一方に源義家が加担したことで大きな戦になっていくんですが、その際、義家軍は食料として農民から煮大豆を預かって、米俵に入れて馬の背に乗せていたそうなんです。

小西さん- 戦のなか、食料もなくなってきたということで、この俵を開けてみると……。

——ぷ〜ん、と……。
小西さん- はい。そして、恐る恐る、誰かに食べさせてみたんじゃないのかな? それが意外にも美味かった。
——よく食べましたね……。発酵したのは、馬の背中に乗っていたからなんでしょうか?
小西さん- そう。一つは馬の体温。それから、俵の中の納豆菌。
——米俵に入れて馬に乗せていたことが功を奏して納豆が生まれたんですね。
小西さん- 「納豆発祥の地」という話は全国各地にもありますが、我々がここで納豆を作っているルーツには、こういった歴史があるといわれています。
それが次第に農民にも伝わっていって、戦前(第二次世界大戦前)ころまでは一般家庭でも作っている家がずいぶんあったんですよ。
ひきわりで、全国に勝負

ここからは、パネルで解説していただきながら、ヤマダフーズとひきわり納豆のあゆみを伺っていきます。
小西さん- そんな歴史的納豆発祥の地で、1954年、商いとして納豆づくりを始めたのが、ヤマダフーズの初代社長の山田清助です。

小西さん- 創業当時は、設立した地名にちなんで、「金澤納豆製造所」という小さな会社でした。これが当時の工場ですね。

——え〜! 家みたいですね。今の工場とはだいぶ違いますね。
小西さん- 住まいでもありましたが、隣に室と釜がありました。
——パネルに「夫婦二人三脚」とあります。山田清助さんが、奥さんとで始められたんですね。
小西さん- はい。昔は家内工業で、一升瓶で豆を潰してから作っていました。これが、最初に販売された、三角経木納豆。ひきわり納豆です。

——いいパッケージですね。
小西さん- 経木ってわかるかな? おむすびを包むときなんかに使われる木の皮ですが、当時はあれに包んで販売していたんですよ。
朝は早くから納豆づくりをして、雪の日は長い距離を馬ぞりを引いて売り歩いた時代。製法も昔ながらの勘に頼ったものだったので、糸を引かないこともあったりでね。さらに、農作業も並行してやっていたので、苦労の連続だったそうです。
それを見ていたのがこちら、息子の山田清繁です。

小西さん- 清繁は2代目にあたりますが、両親がやっている過酷な環境をなんとかしたいと、納豆の特性、味、粘り、においなどに基準となる数値を設けて製造したり、 納豆菌についても勉強を重ねていきました。
——昔ながらの作り方に科学的な考えを取り入れていったんですね。
小西さん- はい。そうやって、県内の販路を広げていったんですが、毎年、冬になるとうちは売り上げが落ちることに悩まされていたんですよ。
——それはなぜなんでしょう?
小西さん- 昔は冬になると県外に出稼ぎに行く人が多かったんです。そこで、首都圏にも販路を広げようということで売り込みに行くんですが、とても苦労したんです。

小西さん- というのも、当時、ひきわりは「くず豆」という印象が強かったんですよね。私たちは、敢えて割っていたんですけれど、それを理解してもらえなくて。
——それでも敢えて、ひきわり納豆を売り込んだんですか?
小西さん- 同じつぶ納豆では戦えないだろうと考えてね。それに、うちは創業当初からひきわりが中心なので、どうしてもそれで勝負したかったんです。そして、せっかく売り込むならと、敢えて大手企業への売り込みにチャレンジしたんです。
——清繁さん、攻めてらしゃいますね!
小西さん- 努力の甲斐あって、理解していただける企業が現れて、そこから、全国のスーパーだけでなく、コンビニにも置いていただけるようになりました。お寿司屋さん用のひきわり納豆の需要も大きくて、今は全都道府県に留まらず、世界中で扱っていただいています。おかげさまで、業務用のひきわり納豆は全国シェアナンバーワンです。

小西さん- このように扱っていただけるようになったのには、やはり「ひきわりだから」というのは大きかったと思いますよ。
ひきわりへのこだわり
——900年前に秋田で発祥したときのものは、つぶの納豆だったと思うんですが、いつごろからひきわりの文化が生まれたんでしょう?
小西さん- 1930年ころですね。横手市大屋村というところで、ひきわり納豆が隆盛したんですよ。当時、秋田の大豆は大粒のものが多くて納豆を作るのは難しかったので、大豆を石臼で挽いてみたんですよ。それを納豆にしてみたら、とても作りやすくなったんですよね。当時は村の73軒中、70軒が納豆づくりをしたといわれています。
——へ〜!!

小西さん- ここからは、工場の納豆製造の流れをご紹介しますが、うちのひきわり納豆の製造には、3つのポイントがあります。

小西さん- 一つ目は、「原料処理」の部分。大豆に付いている土やホコリを取り除き、研磨機できれいに磨いて、乾燥させたあと、うちの場合は、自社で乾燥させて割るんです。よそでは、すでに割られたものを仕入れて作っているところも多いんですよ。
——発酵させる前に割っているということすら知りませんでした。大きな大豆を発酵させてから割るのかな、とも思ったり。自社で割ることで、鮮度の高いものにできるということなんでしょうか?

小西さん- そうですね。そして二つ目が、「蒸らし」。うちでは、釜のような蒸し器ではなく、「連続蒸煮缶」という、丸くて細長い釜を使うんです。上から豆が投入されて、その缶のなかで、くるくると撹拌しながら蒸気で蒸らしていって、次の菌を接種させる工程に流れていく。
——まんべんなく蒸されるような仕組みになっているんですね。
小西さん- はい。大豆は長く空気に触れると酸化してしまうのですが、この方法なら短い時間で蒸すことができるんです。だから、うちのひきわりはきれいな乳白色なんですよ。

小西さん- 三つ目が、納豆菌。うちは、つぶとひきわり、それぞれに菌を変えているんです。ひきわりはどうしても発酵が早いので、ひきわり用に、発酵が進みすぎない、豆の香りを殺さないようなものをつくるために、独自の菌を開発したんですね。
——ヤマダフーズさんのひきわりへの情熱が、これだけ強いものだとは思いませんでした。私はいつも「極小粒」という商品が好きでよく買っていたんですが、これからは、ひきわり派になってしまいそうです。


小西さん- 実際、極小粒は商品としては一番人気がありますね。豆のサイズはミリ単位で判断して、商品ごとに分けているんですよ。大粒、中粒、小粒、極小粒、大粒を割ったものがひきわり、さらに、さらに細かい「きざみ」という商品もあります。秋田工場は、製造の約4割がひきわりですね。
納豆に、アレを入れる秋田県民
——小西さんは、やっぱりひきわり派なんでしょうか?
小西さん- もちろんです。みなさんは、ひきわりにお砂糖入れて食べない?

——わ〜〜〜〜! 入れません! 小西さんは入れるんですね?
小西さん- 入れないと美味しくない。私は子どもの頃からそれで育っているので(笑)。秋田県の南部のほうでは、入れる人が多いんですよ。私はスプーンで山盛り1杯くらいの砂糖を入れます。そこに、添付の醤油と辛子も入れて、梅干しを刻んだものも入れて、ごはんにかけます。砂糖を入れるとよく粘るんですよ。
——知人も、納豆に砂糖を入れるというのでびっくりしたら「だって、甘い豆と米なんだから、おはぎと一緒じゃない?」って言われたことがありました……。
小西さん- 地元の子どもさんたちが工場見学に来たときなんかも、「納豆にお砂糖入れて食べる人?」って聞くと、半分くらいが手を挙げますよ。
——県南出身の編集部のスタッフも、「給食の納豆に砂糖が付いてこなくて不思議だった」と言っていました。秋田の人たちは、甘いのが大好きなので、お赤飯にもお砂糖を入れたりしますからね……。
小西さん- 騙されたと思ってやってみてください!
取材後、小西さん流、砂糖入りひきわり納豆に挑戦してみました。


食べてみると、恐れていたほどの拒絶感はなく、ふだん食べているものよりまろやかな印象。梅の酸っぱさも効いていますが……さすがに毎日は無理そうです(笑)。
砂糖を入れるかはともかくとして、古くから秋田の人々の暮らしのそばにあるひきわり納豆。そのルーツを知ることで、もともと大好きだった納豆が、さらに誇らしいものになったように思えます。
【株式会社ヤマダフーズ】
〈住所〉仙北郡美郷町野荒町街道ノ上279
〈TEL〉0182-37-2246
〈HP〉http://www.yamadafoods.co.jp/