秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード
男鹿市編

編集・文:矢吹史子 写真:船橋陽馬

男鹿のこころ 〜地域おこし協力隊 大谷心さん〜

2019.09.04

男鹿おが市の地域おこし協力隊の大谷心さん。兵庫県明石あかし市出身。秋田公立美術大学へ進学とともに秋田へやってきて、卒業後、すぐに協力隊となり今年で3年目。あと半年ほどで協力隊の任期が終了となりますが、男鹿市でどのように過ごし、これからどんな道を歩んでいくのでしょう。お話を伺っていきます。

心さん
大学2年生のころから秋田に住みたいな、秋田に残れる仕事ができたらいいなと思うようになって……。

——何かきっかけがあったんですか?

心さん
そもそも田舎ってところが昔から好きではあったんですけれど、秋田の、田んぼがスーっとあって、山がポンみたいな風景がすごく良くて、秋になったら稲穂の香りがしてきて「あぁ、季節が変わったんだな」っていうのがわかったりだとか。
それに、秋田の人たちがすごく優しくて。学生時代から、ボランティア活動なんかで地元の方とご一緒する機会があったんですけど「この人たちと近いところにいたら、この人たちみたいに心にゆとりのある、あったかい生き方ができるのかな?」と思うようになって。

——地元とは雰囲気が違った?

心さん
地元は、海はあるんですけど、自然がいっぱいというわけではなくて。秋田に来た時に初めて野生のアマガエルを見たんですよ!フキノトウも初めて見て。「あっ! 本物がある!」って、めっちゃ写真撮りました(笑)。

——秋田の他の地域でも協力隊の募集はありましたよね。そのなかで男鹿を選んだのは?

心さん
それは運が良かったという感じで。いろんなところで「地域おこし協力隊になりたい!」って言っていて、候補の中に男鹿もあったんです。そしたら、ボランティア活動を通じて知り合った男鹿の安全寺あんぜんじ地区のお父さんが「心ちゃんを推薦しとく!」って言ってくださって。それが担当の方に伝わって、流れるままにここまで来ました。
心さんにとっての「最初の男鹿」であるという、安全寺地区。美しい棚田が広がる。学生時代からこの地区の農業体験のボランティアをしていたことが男鹿への移住に繫がった。(写真提供:大谷心)

——地域おこし協力隊として活動するうえでの、心さんのミッションは何だったんですか?

心さん
「移住定住促進」です。移住者や関係人口を増やすことが目的なんですけど、私は「ナマハゲ」を通して男鹿を知ってもらえるような活動をいろいろやってきました。
心さん作、ナマハゲの面のレプリカ。本物の面はイベントなどへは持ち出しづらいため、新たに作成してPRなどに使っている。こちらは安全寺地区の面のレプリカ。
ナマハゲの面は集落によってデザインや素材が異なる。左から、芦沢あしざわ地区、長根ながね地区、真山しんざん地区、塩浜しおはま地区の面のレプリカ。
ナマハゲの顔の形を活かした米のパッケージ、フェイスパック、各地区の郵便局の風景印なども心さんが手掛けた。
心さんの名刺。こちらにも自作の、地域ごとの面のスタンプが押されている。

——元々好きな秋田で協力隊として暮らしみて、変化はありましたか?

心さん
めちゃくちゃ好きになってしまって。ナマハゲに関しても元々好きだったのが、やばいくらい好きになってしまいました。もう「秋田から出られない!どうしてくれるんだ!」って(笑)。それに、私は本当に運だけは良くて、ナマハゲがユネスコ無形文化遺産に登録になって、一番盛り上がっている時期にナマハゲに関われているんですよね。

——ナマハゲというと、昨年の大晦日のナマハゲ行事の際に「心さん自身がナマハゲになる、ならない」みたいなことが、新聞やSNSで話題になりましたよね。

心さん
はい。羽立駅前はだちえきまえという地区なんですけど、そこのお面作りをさせてもらったんですよ。そしたら、そこの集落のお父ちゃんが「心ちゃん、ナマハゲやってみるか?」って言ってくれて。私がナマハゲを作ったりしてるから、実際にナマハゲになって家を回れば、また表現が変わってくるんじゃないかと考えてくださって。それがすごく嬉しくて、それだけで十分だったんですけど、メディアに取り上げられたことで「女性がなる、ならない」「男性だ、女性だ」みたいな話として一人歩きしてしまって……。

——集落の方にも心さんにも、そこではない思いがあったのに。

心さん
はい。結局はやらなかったんですけれど。

——でも、集落のお面を新調するっていうのはなかなかない機会ですよね。

心さん
そうなんです。羽立のお面は、昔からのデザインのものがあって、途中で素材をプラスチックにして使っていたんですけど、そのお面のつのが取れてしまって。「どうせ作り直すなら、新しいオリジナルのお面が作りたい」「あいつ、ナマハゲのレプリカ作っているらしいぞ」ということで、話をいただいて。

——新しいお面って、どうやって考えるんですか?

心さん
デザインを考えるために、まずは地域をフィールドワークして。その地域にどういう歴史があるか、地域の父ちゃんたちがどういうお面にしたいかとか、調べたりして。

——素材はどんなものを使ったんですか?

心さん
軽い方がいいということで、加工もしやすい、スタイロフォームという断熱材で作っていったんですけど、段々みなさん乗り気になっていって「うちにあるエゾシカの角をつけよう!」とかになって、結局重くなっちゃったり…… (笑)。
完成した羽立駅前地区の面。(写真提供:大谷心)

——そうやってみんなのアイデアでできていくのは素敵ですね!

心さん
作る際に、羽立駅前だけでなく、ナマハゲ保存会の方々からもお面についてのお話を聞いたりしたんですけど、みなさんものすごく楽しそうに話すんですよね。「おらほのナマハゲはこうでこうで」って。愛で溢れている。そういう姿に触れると「あぁ、好き!」ってなっちゃうんですよね。
みなさんと一緒に作っていたらだんだん仲良くなって、最後は食べ物とかいっぱいいただいたり(笑)。

——そうやって交流しながら、町のみなさんに溶け込んでいっているんですね!

心さん
ほかにも、「出張行ぐ時にこれ持ってけ」って、おせんべいもらったりとか。集落で写真撮ってたら梅の漬けたのをもらったり……。
集落のみなさんと一緒に、ナマハゲ姿で農作業をする心さん。
ナマハゲ姿の心さんと一緒にいるのは、妹さん。心さんの影響で秋田の大学に進学したという。(写真提供:大谷心)

——まるで男鹿全体の孫のような(笑)。

心さん
そうなのかな……でも、基本的な仕事が全然できなくて。電話の転送ボタンとかあるじゃないですか? その存在を知らなくて5階から下に降りていっちゃったり。集中しすぎると電話に気づかなくて「大谷!」って声をかけられて、「はっ!」みたいな(笑)。

——そういう、ツッコミどころがいっぱいあるのも可愛いがられる理由かもしれませんね。
あと半年くらいで協力隊の任期が終わりますが、その後はどうされる予定なんですか?

心さん
男鹿の企業に就職したいと思っていて、働きながら、自分でもいろいろやりたいなぁと思っています。

——やっぱり男鹿からは出られなくなってしまった?

心さん
んだ。個人的にもナマハゲのゲームを作りたいと思っていたり、ナマハゲグッズを作ったり、あとは除雪車に乗ったり……。

——除雪車!?

心さん
んだ! 除雪車の操縦の資格を取ったんですよ。まだ大してできないんですけどね(笑)。かっこいいじゃないですか!なんかスーパー戦隊みたいで。

——さっきから気になっているんですけど、時々、相づちが「んだ」になってますね。すっかり秋田弁が身に付いてる?

心さん
あぁっ! 自分の秋田県民レベルを上げたくて。地元の方に「雪が降って喜んでるうちは秋田県民じゃない」って言われたのが悔しくて(笑)。
大学に入った時は関西弁だったんですよ。でも、喋っていると秋田の人に「えっ?」っていう顔をされて。とりあえずは標準語をマスターしてから秋田弁レベルをちょっとずつ上げたいなと思っていて、秋田の子に聞いたら「んだ」の活用だけマスターすれば、秋田県民っぽくなるって言われて。

——「んだ」の活用?

心さん
「んだ(そうだ)」「んだす(そうです)」「んだがら(そうですよね)」みたいな。でも、慣れすぎて市長にも「んだ」って言っちゃうんですよ。まわりから「心ちゃん!」って注意されて初めて「あっ!」って気づいたり(笑)。

——ははは! 3年過ごしてみて「男鹿や秋田をこうしていきたい!」というようなことはありますか?

心さん
……その辺が自分が協力隊として足りない部分なのかなって思うんですけど、特に男鹿や秋田をどうこうしたいという気持ちはなくて。「みなさんに長生きしてほしい」っていうことしか思えないんです。
心さん
毎年、能代市の伝統芸能にも参加させてもらっているんですけど、やっぱりみんな、年々歳をとっていってて。参加し始めた当初、踊りを教えてくれていたおじいちゃんが去年亡くなってしまって。同じように、男鹿のみなさんと関わりながらも「こうして一緒におにぎりが食べられなくなる日が来るのかもしれない」と思うと、悲しくて……。
みなさんに恩返しも全然できてないのに(泣)。おじいちゃんに届くように、もっと頑張らなきゃと思っています。

地域おこし協力隊として男鹿の魅力を外に伝えていくことはもちろんですが、心さんがこの土地を愛して、家族のように溶け込んでいくことで、暮らしているみなさんの心も耕され、地域の巡りが良くなっているように感じます。
この土地の文化を体で覚え、「男鹿の心」を育みながら成長して行く心さん。これからがさらに楽しみでなりません。

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