秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:高橋希

101年目のコロッケがつくる、オーガニックな繫がり?

2019.09.11

男鹿市には「グルメストアフクシマ」という精肉店があります。ここの名物「フクシマのコロッケ」。これは、この店の創業者である福島秋太郎ふくしまあきたろうさんがはじめたもの。お店は創業の大正7年(1918年)、今年で101年。コロッケは創業当時から作られているといいます。
イベントなどに出店すると、瞬時に長蛇の列が生まれ、あっという間に売り切れてしまう大人気のコロッケなのですが、最近、この小さなコロッケが町を動かし始めているようなのです。

男鹿市船川地区にある店舗。新鮮な肉はもちろん、惣菜、加工食品、調味料なども並ぶ。厨房では、ちょうどコロッケの仕込み真っ最中。作業を覗かせていただきます。
オーブンの中にはこれからコロッケに生まれ変わる、大量のジャガイモが! 低温スチームで40分ほどじっくり蒸していく。皮と実の間に旨味が一番入っているので、皮ごと使うそう。

ジャガイモが蒸し上がるまでの間、この店の4代目である福島智哉ともやさんにお話を伺います。

港町に肉屋がやってきた

——この店は今年で101年目になるとのこと。創業当時からこの場所なんですか?

福島さん
福島さん
いえ、曾祖父のルーツは東京都で、武蔵小山商店街で肉の仲買人としてスタートしました。
大正14年、東京の「福島肉店」店舗開店時の様子。

——秋田とのご縁というのは?

福島さん
福島さん
曾祖母が秋田出身で。その縁で昭和14年頃こちらに移転しました。曾祖父は持病もあったそうで、より環境の良いところに、ということもあったようです。
そこでコロッケを始めたのは、肉屋をやっていくための客寄せという名目だったようですが、当時は全国的にも肉屋でコロッケを作るようになってきた時代で、曾祖父はそういう流行にも敏感だったみたいです。

——当時の秋田ではかなり珍しかったのでは?

福島さん
福島さん
当時、このあたりは馬や豚を食べる文化圏だったので、牛の販売を始めたのは、うちが最初だったんじゃないかと思います。この港町でやろうなんて、きっと「変わった人がやって来た」って言われていただろうなと思います。でも、「牛はフクシマ」と言ってくださる、長いお付き合いのお客さんが多いんですよ。

4代目のコロッケ

——当時のものと今のコロッケは、変わってきているものなんでしょうか?

福島さん
福島さん
ジャガイモが皮付きであることや、材料のバランスは創業当初から変わっていないんですが、他の部分は代々少しずつ変えていってます。
2代目の祖父の頃は、とにかく量をこなした時代で、味にムラもあったみたいです。そこからレシピ化したのは3代目の父です。
ジャガイモもタマネギも季節で甘みが変わるので、冬場はこれくらい、新ジャガの場合はこのくらい……と季節の変動に合わせたレシピを作っているんですよ。
3代目であるお父さん、お母さん、智哉さんの奥さんが一緒に店に立つ。

——智哉さんの代になってからの変化はありますか?

福島さん
福島さん
父と一緒に考えていくんですが「志は持っているのに形にできていないこと」を、ぶつかり合いながらも変えていっていますね(笑)。

——志というと?

福島さん
福島さん
例えば「自然の摂理に合ったもの、素性が明らかなもの、その土地のものを使いたい」と言っておきながら、それには反するようなものも扱っていたりしたので、それぞれ変えていきました。
福島さん
福島さん
最初に、塩を男鹿の海水100%の粗塩に変えて、パン粉も完全無添加のオリジナルの生パン粉に。肉は秋田錦牛にして、揚げ油は国産米の米油にしました。
ジャガイモも、どんな人がどんなふうに育てたものかわからなかったものを、農家さんと関係を深めながら、有機や無肥料でできないか相談しするようにして。そうやって、理念に掲げていることに対して筋を通すように進めてきました。
ジャガイモ、タマネギは、大潟村の松橋ファームと男鹿市の安田農園の農薬や化学肥料不使用のものを使用している。

——店頭に並んでいる調味料や野菜も厳選されている印象です。

福島さん
福島さん
お客さんに「うちの惣菜に使っているのはこれなんですよ」というのが伝わるようにしています。粗塩、コショウ、ジャガイモ、タマネギ、パン粉、油も、実際にコロッケに使っているのと同じものを並べているんですよ。

美味しくなぁれ!と念をこめて

ジャガイモが蒸しあがる。
アツアツのうちに機械で細かくしていく。この日は「男爵イモ」と「きたあかり」。「メークイン」のときもあり、季節によって使い分けている。
ジャガイモと、調味しておいた肉とタマネギを混ぜていく。熱いのでビニール手袋の下には軍手をして。
福島さん
福島さん
手で混ぜるときに「美味しくなぁれ」と念を込めるんですよ。

——それが、一番の調味料?

福島さん
福島さん
ですね。これは、創業当時から言われていることなんです。この作業をしているときに口論になったりしていたら、その場から離れるよう言われます。食にもそういう思いが入るんだろうなって思いますね。それにその日によって、微妙に味が変わるんですよ。生き物として接しているような感覚。だから面白いんですよね。
混ざりきったところで「味見お願います!」の声が響く。毎回必ず2〜3人が味を確かめる。お父さんもパクリ。今日はバッチリだったよう。
できあがったタネは冷蔵庫でしばらく寝かせた後、一つひとつの大きさが均等になるよう、機械で成形をする。
福島さん
福島さん
パン粉を付けて揚げる作業は、代々、主に女性がやっています。父も僕もできるんですけど、母のスピードときれいな仕上げにはかなわないんですよね。妻も今、その技術を受け継ぎ中です。

涙の大江戸線

——実際にお店を継ごうと思ったのは?

福島さん
福島さん
高校生の頃は「将来、何かの形で店の力になれればいいなあ」くらいにしか思ってなかったんですけど、大学進学で東京へ出てからは「東京で経験を積んで、30代半ばくらいで地元に帰って力を活かしてやろう」って、偉そうに思っていたかもしれません。でも実際に帰ってきたのは2009年。25歳の時でした。

——予定より10年も早く?

福島さん
福島さん
外食産業に就職したんですけど、2年で辞めて戻ってきました。東京でやっていくのはもう無理だって思ってしまったんですよね。

——それは、どういうことから?

福島さん
福島さん
時間に追われ、お金に追われ……「何のために生きてるのかな」って考えるようになってしまって、ワクワクできなくなってしまったんです。
会社や周りに期待されるほどに、自分が見栄を張ってしまうようになって。今思えば虚栄心の塊でしたね。こんなにちっぽけなのに、大きく見せるようにして。
福島さん
福島さん
それで、ある日、いっぱいいっぱいになってしまって、大江戸線の新宿駅で気がついたら実家に電話してて、母が出て、母の声を聞いただけで何にも言えなくなってしまって……。駅の、たくさん人がいる中で、一人で号泣して。もう無理だなって思って帰ってきました。

どう生きたいか? を商材に。

福島さん
福島さん
僕が秋田に戻ってきた当時、店としては、お肉の販売はもちろんですが、お客様に喜んでもらえるように、お弁当やオードブルなどのコロッケ以外の自家製加工品にも力を入れていました。
福島さん
福島さん
でも、父とも話し合いながら、何かに特化してこの店を知ってもらうきっかけを作ろうと、コロッケをあの手この手で伝えていくようにしていきました。でも、10年前はまだ東京の感覚で。実際にこっちでやってみるとうまくいかなくて。「人」を見ずに、理屈で動いていたんだと思います。
福島さん
福島さん
東京時代は「稼げればいい、上司に認められればいい」っていうのが先だったんですけど、ここでは嘘がつけないんですよ。リピートがなかったらそれでおしまい。でも、良い物はちゃんと響く。
でも、ここはみんなが自分の弱みを知ってるからかっこつける必要がない。ありのままの自分でやれるのは精神的にとても楽ですね。

——東京時代とは真逆ですね。

福島さん
福島さん
いろんなことが自分の中で反転しました。そして、「売らなきゃ」っていう感覚よりも、「どう生きたいか」っていうことを商品や材料に置き換えてみることにしたんです。それが経営においてもより良い道なんじゃないかなって。

——そういう思いから、コロッケの素材も変えていったんですね。最初は自信がなかったというコロッケ、今はどうですか?

福島さん
福島さん
「こんなに美味しいって言ってもらえるんだ!」っていうことの繰り返しでここまできましたね。そう言ってくれる人たちのために、これからもしっかりやっていこうと思ってます。
「フクシマのコロッケ」以外にも、季節のコロッケも並ぶ。この日の「枝豆クリームコロッケ」も絶品!

——お客さんからの嬉しい反応など、ありましたか?

福島さん
福島さん
数え切れないくらいあるんですけれど、カップルの出会いがうちのコロッケだったとか、夫婦喧嘩がコロッケでおさまったとか(笑)。

——「美味しくなぁれ!」が効いてきているのかもしれませんね!

オーガニックな男鹿へ

——秋田に帰ってきて11年目。未来に向けてこうしていきたい、ということはありますか?

福島さん
福島さん
いま、地元の仲間と「オガニック地域構想」というものを進めているんです。「オーガニック」と「男鹿に行く」を掛け合わせた造語なんですが。男鹿をオーガニックな地域にしていこうということで動いていて。

——オーガニックな地域?

福島さん
福島さん
有機農業の推進だったり、給食を地場産でオーガニックにできないか?ということもありますが、「ひのめ市」というマルシェイベントもやっていて、それは商店街や人が有機的に繫がっていくということにも重きを持ってやっています。
今年7月に開催された「ひのめ市」には、食、雑貨、洋服などの店舗が約68軒ほど集まり、大盛況となった。

——「有機的な繫がり」というのは、どういうことなんでしょう?

福島さん
福島さん
僕としては、生身の人としての信頼関係、それに「循環」という意味合いもあると思っていて、「上からもらったものをちゃんと下にも伝えていく、返していく」っていうことだと思っているんですよ。僕は小さい頃からこの辺を走り回っていて、東京から帰って10年経ったいまも、この土地に本当にお世話になっていて。自分たちが健全で楽しく生きていくことで、ワクワクする人が増えていく。それがこの土地への恩返しにになるんじゃないかと思っています。

上から下に伝える、という意味では、101年続いてきたコロッケはまさに有機的。素材としてのオーガニックを超えて、町まで動かし始めているフクシマのコロッケは、男鹿が誇る、美味しくて頼もしい存在です!

【グルメストアフクシマ】
〈住所〉男鹿市船川港船川字船川80-1
〈TEL〉0185-23-2624
〈営業時間〉<平日> 9:00~18:00 <土・祝> 9:00~17:00
〈定休日〉日曜日・他不定休
〈HP〉 https://gourmet-fukushima.com/