


- 1西馬音内、冷やかけそばめぐり
- 2地を潤す麦酒—羽後麦酒—
- 3鎌鼬がおしえてくれた、ほんとうの豊かさ
- 4家族を守った、母のソース。〜そばの町に佇むやきそば屋さん〜
- 5原動力は、親への思い? 農家民宿「阿専」へ。
編集・文:矢吹史子 写真:高橋希
家族を守った、母のソース。〜そばの町に佇むやきそば屋さん〜
2019.10.30
羽後町といえば、なんも大学でもご紹介した「西馬音内そば」で有名な町。でも、じつはここには、町の人々の心を掴んで離さない「やきそば」もあるんです。その店は西馬音内そばの元祖といわれる「弥助そば」の川向かいにありました。


それがこちら、「太陽食堂」。

メニューは、なんとも潔く「やきそば」「月見やきそば」「飲み物」のみ。やきそば(並)と月見やきそば(並)を注文。


具材はいたってシンプル。細切りキャベツと豚ひき肉、仕上げにゴマと紅しょうがを乗せて。月見はここに目玉焼きがプラスされる。早速、いただきます!

太めのストレート麺はモチモチ食感。そして、このやきそばの最大のポイントが「ソース」の存在。お好みで後がけできるんです。

しっかりとした甘みのあるソースで、これをかけると味わいがチェンジ! シンプルなやきそばに力強さが加わります。

ペロリと完食! 満たされたところで、店主の菊地和子さんにお話を伺います。

——美味しかったです!なんといっても、ソースが印象的ですね。
菊地さん- 食べるときにかけるソースと、焼くときのソース、どちらもオリジナルなんですよ。
——それぞれ使い分けているんですね。
菊地さん- はい。焼きソースには出汁を使っていて、野菜や昆布などを丸一日かけて煮たものと数種類のソースを合わせるんです。かけソースの方は数種類のソースや醤油をブレンドしたものを使っています。母親の代からずっと変わらないんですよ。


——このお店は菊地さんのお母さんが始められたんですか?
菊地さん- はい。母の代から味も作り方も全部一緒です。もともとは肉屋をやっていたんですが、父が入院してしまって母だけでやっていくのは大変だったこともあって、この食堂を始めました。

菊地さん- 当時はうどんやカレーなんかもメニューにあって、羽後高校の定時制の生徒たちがいっぱい来ていました。でも、いろんなメニューを切り盛りするのが大変で、途中からやきそばだけにしたんです。
——やきそばだけにしたのは、人気があったから?
菊地さん- はい。やきそばだけは絶えず注文があったんですよ。それからもう55年になります。昔はこのやきそば、25円だったんですよ。子どもがおやつで食べられるようにね。

——お父さんが体調の悪いなか、お母さんがやきそばで家計を支えていたということですか?
菊地さん- そうなんです。私はこのやきそばで高校を出してもらいました。
——菊地さんは、どんな経緯でここを継がれたんですか?
菊地さん- 私は会社勤めをしていたんですけど、母が事故で亡くなってしまったんです。そこからは父が一人でやりながら、叔母が手伝ったりしていて。
でもその後、父も体調が悪くなってしまって。なので、私が結婚して会社を辞めたのを機に、昼だけ手伝いに来るようになったんですよね。
その後、父も叔母も亡くなってしまったので、完全に辞めようかなって思っていたら、お客さんから「細々とでもいいがらやってけれ」って言われてしまって。それで「昼だけでもよければ」っていうことで、続けることにしたんです。


——お客さんたちの要望が後押ししてくれた。今日も常連さんがたくさん来ていますね。
菊地さん- うちのお客さんは90%以上が知ってる人。大きな道路に面してるわけじゃないから。みなさんの好みもだいたいわかっていて、さっきのお客さんはソースがいっぱいがいい人。

菊地さん- なかには「俺は、冷やし中華みたいにして(タレでひたひたにして)食べたいんだ」っていう人もいますし、「紅しょうがを多めに」という人もいれば「紅しょうがは入れないでくれ」っていう人もいるし。

菊地さん- 麺の硬さとか味のちょっとした変化にもみなさん敏感で。「昔はこうじゃなかった」とお叱りを受けることもあります。
——それだけ、常連さんたちの舌に、このやきそばの味が染み付いているんですね。それにしても、西馬音内そばが人気の町に、やきそばオンリーの店もあるっていうのは面白いですね。
菊地さん- ありがたいことに、おそば屋さんたちもみなさん買いにきてくれるんですよ。みんな「忙しいので、まかないに食べたい」って。
——支え合っているんですね!てっきり、ライバルなのかと思っていました。

菊地さん- 私も小さい頃は、やきそばばっかり食べてましたね。ものすごく貧乏だったので。「おめぇだば、いぐ(よく)飽ぎねぇな」って言われてましたけど、それしかなかったから。
学校の給食が休みでお弁当を持っていくときなんかも、うちはやきそばで。持っていくのが恥ずかしくて恥ずかしくて。みんなは色とりどりのおかずを持ってくるのに。でも、やきそばを持っていくと「一本ちょうだい」って、行列ができるんですよ(笑)。
——恥ずかしかったというやきそばですが、今、その後を継いで、いかがですか?
菊地さん- 私は小さいころから、客商売も土日の仕事もイヤだって言っていて、なので、地元の企業に勤めたんですよ。
でも、母からは「必ずいづが、やってでいがったな(やっていてよかったな)って思うづぎ(とき)が来るがら、(作り方を)覚えでら方がいいよ」って言われてたんですよ。「来るわげねぇ」って思ってたんですけど……。

——実際、「やってみでいがった」というときはきたんでしょうか?
菊地さん- そうですね。良かったと思いますね。昔のお客さんが帰省してきたり、母の時代のお客さんが「ああ、開いでいでいがった。もうねぇど思ってらった」って言って、喜んでくれるときとか。
「これから東京に持っていくんだ」って言ってくださる人もいたり。こんなジャンクなものをね……でも、ありがたいことですよ。
——お母さんはそれを期待していたのかもしれませんね。お母さんが亡くなる前にレシピを引き継げていたのは、何よりでしたね。
菊地さん- じつは、母が事故で亡くなる数週間前、偶然、父に「覚えでおいでけれ」って、作り方を教えていたらしいんですよ。そして間も亡くなってしまって。
だから、今、私が娘たちに教えようとしてビデオを撮ってっていうと、娘たちが「教わると、同じように私が死んでしまうんじゃないか」って嫌がるんです。
ちゃんと、作り方は残していますけどね。
——「太陽食堂」という名前を、お母さんはどんな思いで付けたんでしょう?
菊地さん- 「太陽は沈んでも必ず上ってくる。厳しくなっても必ず良くなるようにって付けたんだ」と言っていましたね。だから、もうしばらくは続けていきたいなと思ってます。

【太陽食堂】
〈住所〉秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字橋場1
〈TEL〉0183-62-0653
〈営業時間〉10:30~17:00
〈定休日〉木曜日