秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集、文:矢吹史子 写真:船橋陽馬

日本一なのは鉱山額だけじゃない?! 時代の一歩先を歩んできた、小坂鉱山。

2019.12.25

江戸時代に開発が始まり、明治時代には鉱山額が日本一となった小坂鉱山。現在は採掘は終了し、鉱山は閉鎖されたものの、「小坂鉱山事務所」はこの町を支えてきた鉱山のシンボルとして現在も残され、資料の展示によって当時の様子が紹介されています。

今回、この小坂鉱山事務所を訪ねたところ、鉱山額は然ることながら、鉱山があることによって生まれた、「日本一」「日本初」といえる先進的な取り組みがいくつもあることがわかりました。

鉱山事務所内を解説してくださったのは、「小坂鉄道レールパーク」もご案内くださった小坂町づくり株式会社の代表の高橋竹見たけみさんです。

日本最大級の木造西洋建築

高橋さん
高橋さん
この建物の建設年は明治38年。もともとは別の場所に建っていたものを解体して、平成10年に移築、復原が進められ、平成13年に開館しました。

「復原」というのは、もともとあったものを解体して、元どおりに組み上げることで、114年前の建物のデザインも材も当時のままです。
材には天然秋田杉を使っていて、現在は国の重要文化財となっています。中に入ってみましょう。
高橋さん
高橋さん
螺旋らせん階段が象徴的にありますが、復原の際、現代の技術をもってしても組み上げるのがとても難しかった部分です。建設当時の技術がいかに優れていたかがわかります。手すりには、けやきの曲げ木が使われています。
高橋さん
高橋さん
バルコニーに出てみましょう。建設当時、小坂鉱山を経営していたのが「藤田組」だったのですが、その社名にちなんで、藤の花があしらわれています。そして、その横には「田」という字をデザインしたものが。これで「藤田」を表現しています。

建物全体はヨーロッパ調のルネッサンス風、バルコニーはイスラムなど、海外のデザインを要所要所に取り入れていて、「明治時代の西洋建築の最高傑作」という評価もいただいていますね。
国産ガラスの製造が始まる以前に作られた建物のため、ガラスは全てベルギーから輸入したものを使用。

日本初のクリスマス?

高橋さん
高橋さん
小坂鉱山は、江戸時代の末に発見されて、明治になると国営の鉱山となります。国営の鉱山というのは、全国にもたくさんあったんですが、そのなかでも明治政府が一番最初に近代技術を導入したのが、小坂鉱山でした。
高橋さん
高橋さん
明治6年、当時、世界一の製錬技術を持っていたドイツから、クルト・ネットーという技術者を招いて、4年かけて銀の溶鉱炉を作ったことで小坂鉱山は飛躍的に発展していきました。
クルト・ネットーは、その後は東京大学でも指導し技術者を育てるなど、日本の鉱山に多大な貢献をした。
高橋さん
高橋さん
そして、このクルト・ネットーがやってきたことで、小坂とクリスマスが繫がっていくんです。

日本でキリスト教が解禁となったのが、明治6年の3月なんですが、クルト・ネットーが小坂に来たのが同じ年の12月20日ころ。
「そろそろクリスマスだ」ということで、小坂の人々を集めてクリスマスパーティーをした。これがクルト・ネットーが描いた、その時のスケッチですね。
高橋さん
高橋さん
おそらく、日本各所でも同じように祝われたのだと思うのですが、明治6年のキリスト教解禁令以降、民衆がパーティーをして祝った様子が確認できる証拠のうち、もっとも古いとされているのが、この小坂の資料なんですよ。
この縁から、小坂町では毎年12月に「クリスマスマーケット」が開催され、ライトアップや、飲食の出店、オーナメントの販売などが行われている。

日本初のリサイクル鉱山

高橋さん
高橋さん
小坂鉱山を発展させたのは、「黒鉱くろこう」という鉱石です。これには、金、銀、銅……たくさんの鉱物が入っているんですが、そこから銅を取り出すことで、飛躍的に発展したんですね。
こちらが黒鉱。さまざまな鉱物が入っているのがわかる。
高橋さん
高橋さん
約30年前にその採掘は終えて、鉱山は閉山しました。ふつうはそこで鉱山の役割が終わります。そして、閉山とともに鉱山を主体とした町並みや暮らしも消えてしまうことが多いのですが、小坂では2007年から、新しい取り組みとして「リサイクル製錬」というものを始めます。

それが、この「TSL炉」ですね。この取り組みが始まったころは、リサイクルという言葉はほとんど使われていませんでした。
高橋さん
高橋さん
携帯電話やパソコンなどの電子機器、これは黒鉱と同じなんですよ。いろいろな金属が複雑に入っている。でも当時、電子機器は壊れたらゴミになってしまっていたんです。
それを資源として考えたんですね。小坂にはこの中から金属を取り出す技術があったんです。
高橋さん
高橋さん
現在、金は毎日延べ棒が1本以上取れるほど。1本13kgで約6800万円です。銀は年間約500トン。プラチナも国内の約8割、稀少なレアメタルも回収できます。小坂では、22種類の金属を取り出すことができるんです。この技術は世界一といっても良いほどのものなんですよ。

日本初の働き方改革?

高橋さん
高橋さん
「働き方改革」というのが、いま話題になっていますが、おそらく日本でもっとも早くそれを行ったのが小坂鉱山なんじゃないかと思います。

というのも、もともと小坂鉱山は24時間稼働していて、12時間ごとの2交代制だったんですが、明治42年に8時間3交代制を導入したんですよ。今から110年前の話ですよ。
高橋さん
高橋さん
これは、リスクの回避のためですね。労働時間が長くなると集中力がなくなって、大きな事故を起こす可能性がありますし、あまり長時間やっていると生産効率が悪くなります。これを解消するために、8時間3交代制にしたんですね。
高橋さん
高橋さん
さらに翌年、明治43年には「康楽館こうらくかん」ができました。これは従業員たちの福利厚生の施設として作られたものです。従業員を労うために芝居小屋を建てたんですね。これは、日本最古の現役の木造芝居小屋として現在も活用されていて、こちらも国の重要文化財になっています。
訪ねた日は人情芝居の公演中。歌舞伎、演劇、落語などにも使用されている。
高橋さん
高橋さん
それから、この鉱山事務所の建物の移築前には、小坂鉱山病院があったんですよ。建物の規模はこの事務所の約5倍。大きな病院だったので、隣県からも患者さんが来ていたそうです。

日本初の環境対策?

柴田春光「鉱山」
高橋さん
高橋さん
これは、小坂鉱山が発展した際の象徴的な絵です。見ていただくとわかるんですが、木が一本もないでしょう?

これは、銅の製錬で出た亜硫酸ガスによる煙害のために起こってしまったんです。煙害のため木々が枯れ、森林が持つ保水機能が奪われてしまう。そうすると、雨が降ると濁流が川に下り、結果、川は氾濫しやすくなってしまう。

極端に言ってしまえば、環境を代償に小坂鉱山は発展してきたんですね。
高橋さん
高橋さん
そこで、小坂鉱山は明治42年から環境対策を始めます。
煙害対策として森を復活させましょうということで、ニセアカシアの木を植えたんです。ニセアカシアの木は酸性土壌に強いんですね。

50年も経つとその木が大きくなって、そこからハチミツが穫れるようになりました。いまでは町には300万本という群生地ができて、いまや良質なアカシアハチミツは町の名物にもなっていますよね。6月には町をあげて「アカシアまつり」も開催しています。
高橋さん
高橋さん
また、昭和の初期になると、アンモニアと亜硫酸ガスを合わせることで、肥料になるということがわかりました。これは現在「硫安(硫酸アンモニウム)」と呼ばれるもので、野菜に適した土壌づくりのために広く使われているものなんですね。
小坂鉱山では、いち早くこの技術を取り入れ、森林に甚大な影響を与えたものを、化学肥料のいち成分として活かせるようにしていったんですね。
高橋さん
高橋さん
この絵は、歴代の所長室に敢えて飾られてきたんですよ。鉱山の発展のために、土地を変えてしまったということを忘れてはいけないこととしてね。

今回ご紹介したのは、ごく一部の事例に過ぎません。鉱山の歴史やドラマティックなエピソードなど、鉱山の背景にはまだまだたくさんの物語があります。ぜひ、実際に訪れてみてください。

【小坂鉱山事務所】
〈住所〉小坂町小坂鉱山字古館48-2
〈TEL〉0186-29-5522