

鳥海山のふもとに「自信の一杯」あり。湯の台食堂。
2020.04.15
秋田県沿岸部の最南端にある、にかほ市象潟町。悠然とそびえる鳥海山のふもとに、1軒のラーメン店があります。それが、「湯の台食堂」。
店の近くにはコンビニやスーパーもなく、車でしか行けない場所にあるにも関わらず、この店には連日行列ができているといいます。
その人気の秘密を探るべく、お店を訪ねました。


まずは実食! ラーメン好きのみなさんを唸らせているメニューから、いくつかいただいてみます。











ほかにも、季節によって、冷やし中華、秋田産の鴨肉を使ったもの、地元の獲れたてのあおさを使ったものなど、様々なメニューが楽しめるといいます。
行列も納得の美味しさと奥深さ。しっかりと堪能させていただいたところで、店主の佐々木優作さんにお話を伺います。
安易に飛び込んだ? 飲食の世界

佐々木さん- ここは、もともとは今のようなラーメン屋ではなく、同じ「湯の台食堂」という名前で、うちの母を含めた近所の4軒が合同でやっていた店なんです。
向かいにある温泉の鶴泉荘では、以前は宿泊もやっていて、そこの食事も提供したりしていたんですね。

佐々木さん- それが、店を閉めることになったと聞いて、自分の田舎が廃れていくのは寂しく思えて。「湯の台食堂」の名前でラーメン屋を始めることにしたんです。
——それ以前は、どこかでラーメン屋をされていたんですか?
佐々木さん- 秋田市の大学を卒業してから、就職で東京に行ったんですが、そのときは特にやりたいことはなくて、たまたま受かった警備会社で働いていたんです。
その頃は、まさか自分が飲食業をやるなんて、全く思っていませんでしたね。

——それが、どうしてラーメン屋さんに?
佐々木さん- ラーメンは好きで、東京時代に頻繁に食べ歩いていたんですが、そのなかで、行列ができている店でも「これ、本当に美味しいのかな?」って思う店が結構あったんですよ。
そこで働いているスタッフを見ても「こんなに並んでいるのに、なんだかゆっくりしているな〜」と思ったり。

佐々木さん- そういうのを見ているうちに、「自分も厨房の中でやってみたいな。作れるんじゃないかな」って思えてきて。そういう安易な気持ちから働き始めたんです。
——実際に中に入ってみて、いかがでしたか?
佐々木さん- 最初に働いた店は都内の人気店だったんですが、そこでは2〜3ヵ月くらいでだいたいの仕込みができる状態になったんです。でも「自分はこのラーメンで独立したいのか?」と思ってしまって。
半年でそこは辞めて、縁あって「麺や七彩」という店で働くことになったんです。
「全て手作り」の世界へ

佐々木さん- 入るまでは知らなかったんですが、そこは全部手作りの店だったんです。
ほかの店だと、「スープとチャーシューは作るけど、あとは全部工場から」っていうところも多いんですが、その店は「全部自分で作る」「手間をかける」というのが当たり前。
鶏は捌くところからやっていましたし、季節によって、醤油のバランスもスープの仕込みも常に変えていました。

佐々木さん- 面接のときは「2年くらいで独立します」とか言っていたんですけど、全然……。1年でようやく「なんとなく仕込みができるようになってきたかな……」というくらいで。
——ゼロからの、深い学びが始まったんですね。
佐々木さん- でも、面白かったですね。自分の意見も社長に常に聞いてもらって、やらせてもらったり。「麺料理」として、いろんなものを作りましたね。

佐々木さん- そこでは、お客さんから注文を受けてから麺を打つ、ということもしていたんですが、お客さんが「3時間待ち」というのも普通で、やっているほうは、8時間ひたすら麺を打ちっぱなしということもありました。
——8時間!?
佐々木さん- 厨房は、湯気の熱気で50〜60度くらいあったので、全身、汗でビッシャビシャになるんですよ。でも、自分でやろうと思ってできるものではない、大きい経験ができましたね。
象潟でもできる

佐々木さん- こちらに戻って店を始めたのは、2年半くらい前です。自分では「何月何日にオープンします」っていうくらいの発信しかしていなかったんですが、オープンしたら、神戸、東京、長野……遠くからもたくさんの方に来ていただきました。
——今は、美味しいラーメンを求めてどこまでも行くという時代ですからね。
佐々木さん- SNSの力も大きくて、全国の「ラヲタ」と呼ばれる人たちの間で、情報だけが広まっていたらしいんですよ。「七彩出身のやつが、秋田に店を出すぞ」って。
——この場所でやることに、不安はなかったんでしょうか?
佐々木さん- 「絶対にやれる」って思っていました。
——その自信はどこから?
佐々木さん- 経験ですね。修行時代、もっと大変なことをしてきたので。
七彩に入って2年くらい経ってからは、支店を任せられつつ、全国の大きなラーメンイベントにも出させていただいて、北は北海道、南は長崎まで……いろいろなところに行きました。
そこでは、毎回、スープやチャーシューも仕込みながら1000杯以上売ってきましたし、どこに行っても評判がよくて。

佐々木さん- それに、イベントでは全国のラーメン屋さんとも繫がりができるので、他の店を見て「ああ、こうしてるのか」と学ぶことができるし、情報交換もできる。
そういう経験をしているうちに、「これは、どこの地域に行ってもやれる。象潟でもできる」って思えるようになっていきました。

佐々木さん- でも、一方で「完璧に」っていうものはないとも思っているので、今でも、やりながら「もっとこうしていこう」というのを常に考えて、ブラッシュアップしていっています。
お客さんでも気付く方は気付いてくれるので、そういう反応も見ながら作れるのは楽しいですね。
——ある程度の合格点は設けつつも、そこからさらに探求していく。
佐々木さん- そうですね。長く続く店って「変わらない味」と言われるんですけれど、じつは見えないところで変えていたりするんですよね。なので、少しずつバランスを変えたりしながらやっていますね。
店はお客様のもの

——たくさんの経験をさせてくれた、修行時代の社長さんの存在は大きいですね。
佐々木さん- そうですね。「素材マニア」と、社長本人も言っているくらいで、全国の生産者さんや素材についても、すごくたくさんのことを教わったので、それがいま活きてますね。
今はなるべく県内の生産者と繫がって作って行けたらと思っているんですが、秋田素材だけでというのは、まだ難しいですね。
それでも、社長からは技術だけじゃなく、思いや、気持ちの面で教わったことが一番大きくて……。

——「気持ちの面」というのは?
佐々木さん- 「店というのは、自分のものではなく、お客様のものだ」ということですね。
店に来ていただいて、お金を払っていただいて、それがあるから、素材でも店の備品でも、一つ一つを買うことができるので。そうすると、物も大事にしなきゃいけないし、店もきれいにしなければいけない。

佐々木さん- これからは、自分が教わってきたことを「やってみたい」という人が一人でもいれば、教えていきたいとも思っています。下が育っていかないと、自分の代でなくなってしまうので。
——ラーメン文化が面白くなっていきそうですね。
佐々木さん- そうですね。ここから、何か新しい文化を作り出していけたらとは思っていますね。

【湯の台食堂】
〈住所〉にかほ市象潟町横岡字目貫谷地1
〈営業時間〉11:00~15:00
〈定休日〉毎週月曜日・第三火曜日(祝日の場合営業し翌日お休み)