秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード
能代市編

編集・文:菅原真美 写真:高橋希

一芯二葉。檜山の茶園主×神主。

2020.06.24

能代市・檜山(ひやま)地区にある「元祖檜山茶大髙園がんそ ひやまちゃ おおたかえん」で生産されている檜山茶は、280年以上に渡って受け継がれてきた歴史のあるお茶です。「北限のお茶」としても知られ、商業生産されている日本茶の産地としては国内最北端になります。

毎年6月から始まる茶摘みのシーズン。おいしい新茶となる新芽を摘む際、理想となる形が「一芯二葉いっしんによう」です。

まだ葉が開いていない芽の状態である「芯」と、2枚の「葉」を合わせて「一芯二葉」と呼ぶ。

この「一芯二葉」を体現するように、こちらの茶園を管理する大髙 翔おおたか かけるさんは、お茶づくりの他に、能代地域の21もの神社を守る神主の仕事をされています。茶園の園主と神主…一見、全く形の異なるわらじを履く大髙さん。しかし、その芯の部分には、ある共通する思いがあるようです。

伝統と地域を守る役目

大髙さん
大髙さん
私は高校生まで父親の故郷である北海道で暮らしていて、夏休みや冬休みを利用して、母の実家がある檜山に遊びに来ていました。

そのとき、神主だったじいちゃんが私を地元のお祭りによく連れて行ってくれたんです。袴姿のじいちゃんが地域の方々から次々と声をかけられ、親しまれている姿に子どもながらにすごく心が惹かれて、私も神主の道を志すようになりました。

神主になるため、大学で神道文化を専攻した後、奈良の春日大社に奉職したんですが、じいちゃんが亡くなったあとに神主を務めていた叔母も若くして亡くなってしまいました。それを機に、こちらへやって来ました。

——茶園ももともと、おじいさんが管理されていたものなんですか?

大髙さん
大髙さん
そうですね。じいちゃんが神主の仕事をしながら、ばあちゃんも一緒にお茶を作っていました。

——では子どもの頃から、お二人がお茶づくりをする姿を見ていたんですね。

大髙さん
大髙さん
いえ、じつは見たことはなかったんです。「畑で何かを育てているんだろうなぁ」くらいの感覚でした。
この日は大髙さんのご親戚やご友人が茶摘みのお手伝いに。摘み取り作業は8月下旬頃まで行われる。

——では、こちらに来てからお茶づくりのことを知った?

大髙さん
大髙さん
はい。神主という仕事は、まずその地域の歴史を知ることから始まります。実家の隣にある霧山きりやま天神宮は、この地で檜山茶が生まれるきっかけを作ったお殿様の氏神様を奉祀していたので、自然と檜山茶についても知ることになりました。
江戸時代中期、檜山城のお殿様が京都の宇治から茶の実を持ち帰り、貧しい家来たちの内職としてお茶を生産するよう命じたのがきっかけとなり、檜山茶が誕生。この地域は、国指定史跡の城跡や、寺社仏閣などが集まる歴史あるまちである。
70度のお湯でゆっくりと蒸らすことで、まろやかで奥深い風味を楽しむことができる。
大髙さん
大髙さん
茶園は、じいちゃんが亡くなった後、ばあちゃんが一人で管理していました。当時は自家用として育てていたので、ばあちゃんは自分の代で終わりと思っていたようです。

でも、檜山茶について詳しく調べていくうちに自分の中でもどんどん興味が湧いてきて、檜山茶を受け継ぎたいと申し出ました。

——おばあさんは、きっと喜んでくれたんでしょうね。

大髙さん
大髙さん
いえ。それが、ばあちゃんを含め、一族みんなから大反対されてしまって。この茶畑の広さでは、作れる量はごくわずか。手摘み・手揉みの手間を考えると、販売を始めたとしても、大したお金にはならない。「わざわざそんな大変なことはするな」と止められました。
大規模な生産地では機械による摘み取り作業がほとんどだが、こちらのうねは一般的なものより高さがないため、手摘みで行なっている。
大髙さん
大髙さん
でも、茶園をやめるという選択肢は、280年以上の歴史を途絶えさせるということ。普段は豊作祈願祭や地鎮祭などでお祈りするのが神主としての務めですが、本来の役割は「伝統を守り、継承していくこと」なんです。

そして、神社は地域の支えがあってこそ成り立つもので、神主は地域のために尽くすことが仕事でもあります。

檜山の名を背負う宝がひとつ消えるということは、地域全体の大きな損失にもなりかねない。地域のためにも檜山茶という伝統を守っていきたいと決意しました。

目に見える結果をつくる

——それでも、あまり馴染みのない土地へ移り住み、周りから反対されても、めげずに動き続けるって、気持ちが強くなければ難しいですよね。

大髙さん
大髙さん
そうですね。「自分は自分」というスタンスが強いのかもしれません。他人の意見も否定はしませんが、全ては自己責任と思いながら自分のやり方を貫く。

何も結果を出してない人間が言ったって、周りはついてこようとは思わない。行動してきた結果が見えたからこそ、味方となってくれる方々が自然と寄ってきてくれるようになったと思います。

——実際、どんなことをされたんですか?

大髙さん
大髙さん
移り住んで感じたのは、この地にこんないいものがあるのに、きちんとPRをせず、宝の持ち腐れだなぁという印象でした。

なので、こちら側からメディア関係の方々にお声掛けしていきました。以前は春日大社にいて、観光地としてどうPRしていけばよいかをある程度は把握していたので、その経験が活かされました。
大髙さん
大髙さん
でもそのとき、地域住民の方々からは「生産できる量が限られているから、認知度ばかり上がっても意味がない」と批判の声もたくさんありました。しかし、檜山茶を販売し始めたのは、はなから利益目的ではありませんでした。

私は檜山茶を宣伝ツールの一つとして、たくさんの人に檜山へ足を運んでもらうきっかけを作りたかったんです。

実際に取り上げていただいた記事を見て、遠方からも茶畑の見学や茶摘み体験に来てくださる方々が少しずつ増えていきました。
関東や九州からの観光客が多く、年に200人ほどがこの茶園を訪れている。
今年は中止となったが、毎年6月には「檜山茶フェスティバル」というお茶づくり体験ができるイベントも開催している。
大髙さん
大髙さん
そうやって、きちんと目に見える効果を作ることで、地域住民の方々からも賛同してもらえるようになりました。

そんなふうに、周りの状況が変化していく過程を見られることが面白いんですよね。

後世へ受け継いでいくために

——茶園、神社、ともにいえることだと思いますが、大髙さんにとって「伝統を守っていく」ということについては、どうお考えでしょうか?

大髙さん
大髙さん
必ずしも伝統というものは受け継がれてきた全てをそのまま継承することがいいとも限らないと思っていて、守るべき部分をきちんと守っていくことが大切であると考えています。
大髙さん
大髙さん
ここでは製茶も、全国で主流となっている静岡茶の手法とは異なる「檜山流」という280年以上続く独自の手法で作っています。工程としては、摘んだ茶葉を微発酵させたり、炭とワラを燃やしながら香りづけするなどの特徴があります。
摘んだ茶葉は涼しいところで一晩寝かせ、微発酵させる。
焙炉ほいろ」と呼ばれる作業台の下で炭とワラを燃やし、ある一定温度を保ちながら、蒸した茶葉を手揉みしていく。
大髙さん
大髙さん
例えば、炭とワラで火を起こす方法をガス式に変えてしまうのはNGです。檜山茶の良さであるスモーキーな香りが失われてしまいます。

私の代になってから炭の種類を、檜山の母体もたい地区産の白炭へ変更しました。その炭は「ARC(アーク)」という秋田大学の学生さんによる地域おこしサークルと地域住民が協力して作ったものなんです。出来る限り地域産のものを取り入れることで、檜山だからこその価値を高めていきたいと思いました。

——守るべき部分はそのまま残しながらも、より良いものにするために変えられる部分は変えていくという姿勢が大事なんですね。

大髙さん
大髙さん
280年の歴史のなかで、200軒近くの農家が檜山茶を作っていた時期もあったそうですが、少子高齢化の影響で、現在は2軒のみになりました。

この先、代々使用してきた茶小屋や道具が壊れてしまったとき、もう一度同じものを作るというのは難しいかなと思っています。
製茶方法が途絶えてしまう可能性を念頭に置きつつ、この伝統をどういった形で守り、後世へ受け継いでいくかが今後の課題です。

——伝統を時代にうまく合わせていくことも今後、必要になってくるのでしょうか?

大髙さん
大髙さん
そうですね…例えば、今は地方にいてもパソコン一つで仕事できる時代なので、県外から移住してきた方が本職の傍らで茶畑を管理できたり、オーナー制度にして複数人で分担しながら管理するシステムを作ったり…

まだまだ小さなアイディア段階ですが、どのような形が最適なのかじっくり考えていきたいです。少しでも檜山茶に興味を持ってくれる若い方々が増えていってくれれば嬉しいですね。

【元祖檜山茶大髙園】
〈住所〉能代市檜山霧山下4
〈TEL〉090-9084-5306
(※商品の購入は電話にて予約受付。)

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