秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:船橋陽馬

原動力は、親への思い? 農家民宿「阿専」へ。

2020.08.05

「この民宿をやるために、会社を辞めて、家族とも離れて、単身、羽後町うごまちに暮らしているんです。」
そう話すのは、羽後町の農家民宿「阿専あせん」を営む阿部英之さん。

そこまでするなんて、よほど民宿への憧れが強いのかと思いきや、そうではないという。阿部さんを突き動かしたのは、ただ一つ、「親への思い」。
生活をがらりと変えてまで守りたい「思い」とは、いったいどんなものなのでしょう?

羽後町田代たしろ。山に囲まれた、秋田県内でも有数の豪雪地帯であり、蕎麦の産地としても有名な地域です。蕎麦の花が咲き誇るその向こうに、阿専は佇んでいます。

はじまりは、友人の大反対から

阿部英之さん。阿専は、1日1組限定の予約制の宿。昼間はカフェ営業も行っている。
阿部さん
阿部さん
遠かったんじゃないですか? 「“来れるもんなら来てみろ”っていうくらいの立地だ」って言われたこともあるくらいなんですよ(笑)。

——たしかに、なかなかの山奥ですよね。それにしても、ずいぶん趣のある建物ですが、こちらはどのくらい前のものなんでしょう?

建物手前のカフェスペース。
阿部さん
阿部さん
建てられたのは、145年前、明治初期になります。私はこの家の9代目なんですが、ここは5〜6代目のころに建てられたものだそうで、国の登録有形文化財にもなっています。

——住まいとして使われていたんですか?

阿部さん
阿部さん
そうですね。この家が建った時からこのあたりの地主になって、集落の人たちがここに米を持ってきて納めたり、金貸しなどもしていたみたいですね。

——由緒あるお宅なんですね。阿部さんご自身も暮らしていたんですか?

阿部さん
阿部さん
はい。中学校まではここに暮らしていて、私は高校から秋田市に。そこから大学進学、就職後も秋田市に暮らしていました。
阿部さん
阿部さん
父が早くに亡くなって、母が一人で暮らしていたんですが、その母も入院したのちに、2011年に病気で亡くなって。

母が入院してからはずっと空き家状態だったし、生前「管理をするのは大変だから、いずれは壊していい」とも言われていたので解体を考えていたところ、友だちに大反対されてたんですよ。

——友だちに?

阿部さん
阿部さん
幼なじみが建築設計事務所をやっているんですが、「今、このような家を建築するのは不可能だ。最近は、こういう良い建物を壊しているところが多くて、憤りを感じている。お前までそういうことするのか?!」って言うんです。
しまいには「お前がやらないなら、俺が管理する!」とまで言い出して。それで、宿にしてここを残そうと思い立ったんです。

——へ〜!

阿部さん
阿部さん
それで、13年間勤めた秋田市の会社を辞めて、子どもにも妻にも「ごめんなさい、羽後に帰る」って。

——え〜〜〜!!

そこまでして「残したいもの」とは?

阿部さん
阿部さん
そこから、その友人に設計してもらって改装して、2018年にオープンして、早3年。

——そこまでして残したいこの建物、とても気になります。奥の宿泊スペースも見せていただけますか?

阿部さん
阿部さん
はい、どうぞ。

——え? え〜〜〜!!すごいはり!何層にも組まれていますね。こんな立派な梁、初めてみました。なんだかゾクゾクします。お友だちが解体に反対したのがよくわかります。

阿部さん
阿部さん
自分でも、友だちに言われて改めてこの良さに気づいたくらいで、それまではほとんど実家にも帰らなかったんです。
でも、見直してみると、爺さんも、父さんも、母さんも、この家に対してプライドを持って大事にしていたのを思い出したんですよね。

——そのプライドとは、どんなものなんでしょう?

阿部さん
阿部さん
父はよく「よその家には負げねぇ」って言っていたんですよね。建物に使っている木材、壁の漆塗り、細部まで愛着を持っていたみたいです。
阿部さん
阿部さん
爺さんも、誰かが来ると「まず上がって家見でけれ」って招き入れることが多かったし、母は、畑をやりながら公務員をして忙しくしていても、家の手入れは欠かさなかったんですよね。「いずれは壊す」と言いながらも、病床では「やっぱり帰りたい」という気持ちが強かったみたいですし。

——家族みんなが、この家を誇らしく思っていたんですね。

阿部さん
阿部さん
地域の人たちが集まる場所としての誇りもあったかもしれません。集落でも、何かあればここに集まって酒を飲んだり、父や爺さんは役場に勤めていたんですけれど、亡くなってから、会う人会う人みんなが「本当に世話になった」って言ってくれるんですよ。
敷地内には、趣のある茅葺かやぶきの倉庫も。
若い女性がグループで宿泊して、浴衣を持参して庭で花火をしたり、随所を撮影したりしていくこともしばしば。
風呂や水回りは使いやすいものにリフォームされている。これらの改装を手掛けた友人は、現在、秋田市で「キソン-アトリエ」という建築設計事務所を営んでいる。
阿部さん
阿部さん
そういう、親や先祖の思いを大切にしたいっていう気持ちが強くなってしまったんですよね。もう、ほぼほぼ、その気持ちだけでここをやっていますね。

周りからは「今いる自分の家族を一番に考えろ」とか「亡くなった人よりも生きている人を大切にすべきだろう」っていうふうにも言われるんです。
もちろん、それはそうなんですけれど、私は、今まで両親や先祖がやってきたことをゼロにはできない。無視はできないんですよね。
阿部さん
阿部さん
きついと思うことがあっても、代々の遺影を見ると「よし」って思うし、音楽でも家族を重ね合わせるような内容の曲を聴くと、やる気が出てくる。

やる気の根源は、やっぱり、親や先祖なんですよね。「阿専」という名前も、6代目までは「専右衛門せんうえもん」という名前を主人が襲名していたんですよ。その頭文字をとって付けました。

はじめてのだらけの民宿営業

——圧巻の建物ですね!でも、ここを残すという目的であれば、民宿以外の方法もあったんじゃないでしょうか?

阿部さん
阿部さん
いや、もう、この形しか見えてなかった。

——こちらでどこかに就職しつつ、お子さんや奥さんと一緒にここに暮らすというような選択はなかったんですか?

阿部さん
阿部さん
子どももカミさんもここで生まれたわけじゃないから、この家に対する思い入れなんてないですからね。秋田市に友だちもいっぱいいるし、カミさんも仕事を持ってますし。

——食事の提供や宿のやりくりも、一人ではかなり大変ですよね?
お店を始める時って、だいたい「こんな料理を提供したい」とか「こんな宿にしたい」など、イメージが先あると思うんですが、そういうことはあったんですか?

阿部さん
阿部さん
いや、ゼロですね。それ以前に「あったらいいな」を形にするのは自分にはハードルが高いので、まずは「自分ができること」からやっています。
この日の日替わりランチ「キーマカレー」は、畑で採れたばかりの夏野菜をふんだんに使用。
阿部さん
阿部さん
カミさんが一番びっくりしてましたよね。「お湯を沸かすくらいしかしたことなかったのに」って(笑)。何でも見よう見まねですけれど、例えばカレーを作りたいとなれば、ネットで調べて作ってみる。
宿のことは、自分が泊まったときはどうだったかな?と、思い出しながら、空気を読みながらやっています。
コーヒーはハンドドリップ。秋田市の珈琲店で1日修行をしてきたという。
阿部さん
阿部さん
計画性があるわけじゃないんですが、不思議な自信はあるんですよね。それに、今までだって、困難があっても乗り越えられてきたんですよ。人って強いし、なんとかなるっていう感覚があるんですよね(笑)。

「集落の人」になるために

阿部さん
阿部さん
周りからは「どうせすぐ辞めるんだろう」って言われますけど、続けていこうと、もはや意地になっている部分もありますね。
そのために、この集落の集まりの会計やパソコンを使う仕事なんかを率先してやったりしてるんです。

——まずは、地域から、この「集落の人」として認められるように?

阿部さん
阿部さん
そうですね。もともと、ここで生まれてはいるものの、暮らすのは20年ぶり。周りはここに何十年とずっと暮らしている人たちなので、そこで認めてもらうには、みんながやりたくないこともやらないと。
阿部さん
阿部さん
でもやっぱり、田舎に暮らすのは大変です。お金も結構かかるんです。秋田市内だったら町内会費ぐらいのところですが、集落を守っていくための費用、テレビの共同アンテナ、土地改良区への支払い……と、いろいろあるんですよ。

——そうやって、みんなで支え合って集落が成り立っているんですね。

阿部さん
阿部さん
店を休んで一緒に草刈りもするし、雪が深いので、除雪の重機を何度も入れないといけないのを助けてもらったり。
みんな昔からの付き合いがあって、家族みたいなもんなんですけど、この集落をずっと守ってきてくれた人たちだから、足を向けて寝られないですよ。

やるか、やらないか

——初めてづくしだとは思いますが、民宿を始めたことでの一番の変化はどんなことでしょうか?

阿部さん
阿部さん
人との繋がりが増えましたね。会社勤めのなかでも知り合いはたくさんいたんですけれど、今のほうが濃い付き合いが多くなりましたね。面白い考え方や活動をしている人もいっぱいいるんですよね。

ただ、自分を叱ってくれる人がいないので、全部自己責任。会社時代は尊敬する上司がいたんですけれど、今はそういう、自分にアドバイスをくれる人がいない。だから、成長してるのか、後退しているのかわからなくなりますね。

——当時の上司の教えで、今に役に立っていることはありますか?

阿部さん
阿部さん
「やるか、やらないかだ!」ですね。

——まさにその教えのまま、今を過ごされているのでは? 叱る人もアドバイスをしてくれる人もいないけれど、腹をくくって、すべて自分の責任でやっている。

阿部さん
阿部さん
腹に力入れてね。当時の仕事も本当に大変でしたけど、今思えばいい経験でしたね。3年経ったら、だんだん腹に力が入らなくなってきてるかもしれないな(笑)。

今はとにかく長く続けていこうと思っています。まだまだここからですね!

【阿専】
〈住所〉羽後町田代字尼沢140
〈TEL〉0183-67-2202
〈HP〉https://asen-abe.wixsite.com/asen