

番楽を、もう一度ヒーローに。釜ヶ台番楽広報チーム
2020.09.02
秋田県と山形県の各地には「番楽」と呼ばれる伝承芸能があります。
これは、約400年前に鳥海山の山岳信仰のもと、京都からの修験者によって伝えられたとされる山伏神楽です。
毎年8月、お盆の時期を中心に各集落で公演が行われ、集落の歴史が描かれた幕を背景に、太鼓、笛、鐘、唄による囃子に合わせて舞うのが特徴とされています。
にかほ市だけでも、釜ヶ台、伊勢居地、冬師、小滝、横岡と、全部で5つの集落に番楽が伝わっています。
(なんも大学では「鳥海山日立舞(横岡番楽)」を動画でご紹介しています。)
今回は、その一つ、釜ヶ台番楽をご紹介します。

釜ヶ台番楽の公演は、毎年8月14日と20日、集落の会館で行なわれ、獅子舞、武士舞、子どもたちによる舞、舞手が客席まで降りてくる愉快な舞など、一晩で18もの演目を披露します。



そして、この釜ヶ台番楽保存会では、3年前から「広報チーム」を設け、番楽を広く伝えていくことに力を入れているといいます。
今回、広報チーム代表の佐藤渓輔さんにお話を伺ったところ、番楽のみならず、さまざまな伝承文化に通じる実践や考えに触れることができました。
外からみた、釜ヶ台

佐藤さん- 私たちが携わっている番楽は、約400年という歴史のなかで、それにまつわるしきたり、決め事などがあったからこそ、今日まで守ってこれたと思っています。
これは非常に大事なことなんですが、一方で、社会というのはすごく変化していると感じています。



佐藤さん- というのも、私は過去に、仕事で全国を転々としている時期があったんです。そこで、外の目線で自分の地元を見ることができるようになったんですね。
——外からみて、釜ヶ台はどんなふうに映りましたか?
佐藤さん- すごく勿体ないと思いましたね。ほかにはない素晴らしい文化があるし、限界集落ではありますが、まだ若い人もいる。でも、それを活かせていない。
そして、「時代が変わっていくなかで、変わらないものをどう残していくべきか」「変化に耐えられる柔らかい部分も持っていないといけない」ということを強く感じるようになりました。

佐藤さん- その思いを、集落の仲間にぶつけてみたところ、ありがたいことに「お前がやるんだったら協力するよ」って、みんなが言ってくれたんですね。
そこで3年前に「広報チーム」というものを立ち上げました。そこから、どんどん情報発信をして、外からもいろんな刺激をもらって、これまで変えてこなかった部分に流しこんでいこうと、活動を始めたんです。
モチベーションを上げるために

——広報チームとして、具体的にはどんなことを始めたんですか?
佐藤さん- まず最初に始めたのはSNSでの情報発信です。3年前、SNSで番楽を発信している団体は私が調べた限り秋田県内にはほとんどなかったので、始めてみようと。


佐藤さん- そして、舞手のモチベーションを上げるために、「お盆公演の会館を満席にする」というのを目標に、情報発信をしたり、地域に幟旗を立てたりと、動いていきました。
会館の収容人数がマックス200人のなか、これまではいいとこ50人くらいの動員数だったんですが、広報チームができてからは、おかげさまで100人を下回ることはなくなりました。
——どんな方が見に来られるんですか?
佐藤さん- カメラマンや映像制作をされているっていう方も市外から来てくださいましたし、あとは集落のみなさんですね。
県外から帰省していた各家の親戚も「久しぶりに見に行ってみるか」と、来てくれるようになりました。

佐藤さん- それと、若い舞手には「自分の彼女を連れてきて、おめが舞ってるのを見でもらえ」と言っているんです。そうすると、男としては「いいとこみせよう」ってがんばるんですよね。
情報発信したことで、ほかの番楽の団体さんから「練習を見に行きたいんですが」というような反響もいただいて、番楽の輪が少しずつ広がってきていますね。
——県の芸能祭への出演や、にかほ市からの依頼など、公演回数が増えたそうですね。
佐藤さん- はい。おかげさまで、昨年は18公演を行ないました。
このことは若い世代はもちろんですが、先輩方に効果がありましたね。
これまでは公演依頼があっても、めんどくさそうな雰囲気が少なからずあったのですが、最近は文句は言いながらも楽しそうに来てくれています。
変化させるというのはこういう小さい事の積み重ねだと思ってます。
形のないものを伝えていくこと

——外への広がりが生まれてきているなか、舞手や囃子方を増やす、育てる、ということについてはどんな取り組みをされていますか?
佐藤さん- 唄の本や歌詞など、これまでは視覚化されたものがなかったので、そういったものを整備していっています。それがあれば、家に帰っても歌の練習ができますよね。
——視覚的なものがないなかで、これまではどうやって練習してきたんですか?
佐藤さん- 例えばお囃子だと、「フー」って笛を吹いたのを、同じように「フー」とやってみるような。


——えっ?! それって、めちゃくちゃ難しいですよね?
佐藤さん- めちゃくちゃ難しいし、めちゃくちゃ時間がかかるんですよ!
それに、昔は「舞や囃子を集落以外に出してはいけない」っていうようなしきたりがあったんですが、今はそれを現代風にアレンジしていく必要があると感じて。
なので、うちでは、集落外の方の参加もウェルカムなんです。
——集落以外に出してはいけなかったのは、なぜなんでしょう?
佐藤さん- 「盗まれる」という感覚があったみたいなんですよね。
——盗まれる? 伝わっていくことっていいことなんじゃないですか?
佐藤さん- そうなんですよ。今の人たちはそう思えるんですけど……。

——外に出さない、口伝だけで伝わってきたということに、それだけ誇りや美学があったのかもしれませんが、それで途絶えてしまっては、元も子もないですよね。
佐藤さん- はい。形が変わることは仕方ないと思うんです。無形民俗文化財にも登録されたとおり「無形」なんですよね。今の形ですら、400年前のものを100%は残せていないでしょうし。
変化を受け入れて、どう後世に伝えていくかが大切だと思っています。
ヒーローになりたい

——佐藤さんご自身は、何歳くらいから番楽に関わられているんですか?
佐藤さん- 3〜4歳のころからビデオに撮ったものを家で観て、友だちと「番楽ごっこ」をやっていたんですよね。
——今日の悪魔払いにも、佐藤さんの息子さんが夢中になって付いて来られていましたね。


佐藤さん- あんなふうにして小さい頃から触れることで、「いつか番楽をやりたいな」「あの演目を舞いたいな」っていう憧れが芽生えるんですよね。
そして、小学4年生くらいになると、ついに声がかかって「やった!やれる」となる。
——私が初めて番楽を見たときにも、ステージ上の舞手やお囃子に合わせて子どもたちが夢中になって踊っていたのが印象的でした。
佐藤さん- 広報チームを立ち上げたときのコンセプトが「番楽をもう一度ヒーローに」っていうものなんですよ。
番楽がこの土地に伝わったのは400年も前だと言われていますが、その時代は江戸や京都で流行っていることなんかは、こちらには情報としてなかなか入ってこなかったと思うんです。

佐藤さん- ましてや、ここは山間部なので、限られたコミュニティのなかで暮らしていた。そして、それにプラスして、うちの番楽って、やれるのは各家々の長男だけだったんですよ。
——そうなんですね。
佐藤さん- 今は次男でもできるようになりましたけどね。昔は次男に生まれたら、やりたくてもやれなかった。
そういうなかで、こういう芸能や祭りをやっていた人たちっていうのは、地域にとってのヒーローだったんじゃないかなって思うんです。
——今日の悪魔払いでも、集落のみなさんが外に向かって手を振ったり、わざわざ舞を見に来たりして、番楽を誇りに思っているのを強く感じました。



佐藤さん- 私自身も憧れがあるから、ずっと続けられていると思っています。
番楽があるからこの地域にいるのか、この地域が好きで暮らしていたら番楽があったのか、どっちが先かはわかりませんが。

——確かに、長く続いている祭りほど、関わる人たちの一番の原動力は「憧れ」であるように思えます。
佐藤さん- そういう「好き」とか「憧れ」とか、たとえ小さくても心の根底にあるものを刺激できるような活動ができたらと思うんですよね。
そこで行き着いたのが、「まずは自分たちが楽しい事をしている姿を見せる」ということです。
この地域外にいる人、地域の中に残っていながら参加していない人、いろいろな事情もありますが、私たちの姿を見て「あいつらなんか楽しい事してるな」「俺らもやりたいな」みたいになってくれたら嬉しいですね。
伝承するって、なんだろう?

——これまで、なんも大学の取材で、いくつもの伝承文化に出会ってきましたが、残していくのが厳しい文化も数多く目の当たりにしてきました。 そのたびに「伝承する意味ってなんだろう?」と思うんです。答えは様々でしょうけれど、佐藤さんはどうお考えですか?
佐藤さん- 自分では、伝承芸能をやるということはアイデンティティだと思うんですよ。
「なぜあなたはこの土地に暮らしているんですか?」「そこであなたはどう生きたいですか?」と考えるところに繋がっていくと思うんですね。

——アイデンティティって、生まれた場所に対するものと思ってしまいがちですが、先ほど「集落外の方もウェルカム」とおっしゃってましたよね。 一見、矛盾しているように感じたんですが、「どう生きるか」というところにフォーカスすると、たとえ他地域からの参加だとしても、心を動かされて、自分の意思をもって関われば、それがアイデンティティになっていくのかもしれませんね。
佐藤さん- そうですね。生まれた場所というのは関係ないと思っています。
——とはいえ、生まれながらにして番楽の血が流れていて、絆も深い集落のみなさんを前にすると、そこに入っていくのには、やっぱり尻込みしてしまいそうです。
例えば、舞手や囃子方だけでない番楽への「関わりしろ」ができてもいいのかもしれませんね。

佐藤さん- 今は、テレビやスマホで簡単に情報が得られる時代。そういうなかで番楽は、エンターテインメントとして三歩も四歩も劣っています。
それを、今のものと肩を並べようとしたとき、最新技術、例えば、モーションキャプチャー、プロジェクションマッピング、ミクスト・リアリティ……そういうものと掛け合わせたら、見ている側がもっと楽しく、やっている側がやりごたえのあるものに進化させられるんじゃないかと思うんです。

佐藤さん- そうすることで、番楽が、何らかの技術を持っている人の力を発揮するステージになるかもしれないし、あわよくば仕事になっていくかもしれない。
この土地にいながら、そういう仕事を通して都市部の人たちと仕事ができるかもしれない。そういうことも考えています。
——同時に、都市部にいながらも、この土地との関わりが持てるようなことも生まれていくといいですよね。これからは、憧れだった番楽が、誰かの生き方に変わってくることもあるかもしれませんね。

【釜ヶ台番楽保存会facebookページ】
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