秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:高橋希

矢口先生と大石さん。
横手市増田まんが美術館・マンガ原画アーカイブ物語

2020.10.28

横手市増田まんが美術館。1995年のオープン以来、錚々そうそうたる作家の原画展示、数万冊に及ぶマンガライブラリー、個性あふれる企画展など、魅力ある内容で地域に親しまれてきましたが、2019年にさらにパワーアップすべく、リニューアル。現在は、これまでの機能に加え、全国でも屈指のマンガ原画のアーカイブ施設に進化しています。
今回、この美術館を訪ね、お話を伺ったところ、この進化の背景には、『釣りキチ三平』で知られる横手市出身のマンガ家、矢口高雄さんと、この美術館を支えてきた現在の館長、大石たかしさんが育んできた関係性があることがわかりました。

横手市増田まんが美術館へ

大石卓さん。2007年より、横手市役所の職員としてまんが美術館に関わってきたが、2020年3月に早期退職し、現在は美術館を運営する一般財団法人横手市増田まんが美術財団に所属。美術館の館長を務めるとともに、文化庁の委託事業として「マンガ原画アーカイブセンター」のセンター長も兼任し、原画保存の相談窓口業務を行っている。

——今日はよろしくお願いします。早速ですが、この美術館はどういう目的で作られたものなんでしょうか?

大石さん
大石さん
じつは、この美術館を作る際「矢口高雄記念館」にしようかという話もあったんです。しかし、矢口先生からは「自分の記念館にするよりも、マンガ家を目指す子どもたちに本物の原画を見せたい。それが一番の勉強になるから」というご意見をいただいたんです。そこで、一流のマンガ家の原画を展示する美術館としてスタートしたんですね。

まずは、館内をご案内していきますね。
美術館のコンセプトやマンガ文化を楽しく解説する「マンガ文化展示室」
錚々たる作家の原画を間近で見ることができる「常設展示室」。
心に残るセリフ、忘れられないシーンを呼び起こす「名台詞ロード」
約25000冊のマンガを無料で読み放題!「マンガライブラリー」
秋田出身のマンガ家コーナーには、15名の作家の作品がずらり。

マンガの蔵

大石さん
大石さん
こちらが2019年のリニューアルの際にできた「マンガの蔵展示室」という、マンガ原画を保存している部屋になります。室内は紙の保存に最適といわれている気温20度、湿度55%に保たれています。
大石さん
大石さん
最初に、作家さんからお預かりした原画を、単行本と突き合わせて、紛失などないか調べていきます。さらに、一枚一枚チェックして、作品情報、欄外の書き込みや汚れの位置など、状態を細かく台帳に記録したうえで、1200dpiの高解像度でスキャンしてデータ保存していきます。
大石さん
大石さん
データ保存が終わったものは、中性紙素材の箱に入れて、こちらの棚に収めていきます。矢口先生の作品については、4万2千点の原画が収められているんですよ。

——膨大な量ですよね。

大石さん
大石さん
館全体で70万点のキャパシティがあるんですが、今ですでに40万点を越えています。全然足りないんですよ。こちらは「ヒキダシステム」といって、この引き出しを開けると、このように展示用の原画が収められているんですよ。
現在は感染症防止のためヒキダシステムは閉鎖中となっている。

——うわ〜……すごい! 稲の描写が細やかですね。この原画を見ただけで、矢口先生の秋田への愛が伝わります。

大石さん
大石さん
ここでは、取り込んだデータの一部をこちらの大型タッチパネルで拡大して、細部まで見ることもできるようになっています。
大石さん
大石さん
アーカイブの作業というのは、地味でなかなか光の当たらない仕事なんですが、ここではそれを見せることで、その作業の持つ意味をしっかり理解してもらいたいと思います。なので、あえて作業途中が見える構造にしているんですよ。

矢口高雄 画業50周年記念展

大石さん
大石さん
現在、当館では「矢口高雄画業50周年記念展」を開催しています。美術館内の展示は2部構成になっていまして、第1部は館内のコンベンションホールを会場に、300点を超える原画や資料をご紹介していて、かつての先生のアトリエを再現したコーナなどもあります。
大石さん
大石さん
第2部は、館内の特別展示室で開催されている地元新聞社の秋田魁新報さんとのタイアップ企画で、先生の人生を辿る展示となっています。

先生は自分の幼少期からマンガ家になるまでを角度を変えながらもマンガに描き残しているんですよ。そして、これらの作品のなかで、先生は当時の風景や生活の様子を描いている。これは、秋田の貧しい農村の暮らしがこうであったという、歴史民族学的な資料であるともいわれていて、そういう意味でも保存価値が高いんですよ。
大石さん
大石さん
先生はこういった葉っぱなんかを描くのにも、絶対に手を抜かないんですよ。これは、4万2千点の原画アーカイブに関わったものとして言えることなんですが、ほかの作家さんだと、背景をコピーして使うという方も実は少なくないんです。でも矢口先生はそういうことは一切ない。似たシーンがあっても全て描き込んでいるんです。そうやってファンを大切にしているんですよね。

「大石くんに託す」

——ご案内、ありがとうございました。見応えたっぷりでしたが、原画アーカイブの「マンガの蔵」はとくに素晴らしい機能ですね。あれを作られたのには、どんな経緯があったんでしょうか?

大石さん
大石さん
じつは、僕が美術館に配属になって数年経った2012年に、矢口先生が「大石くんに原画を託して、自分はあの世に行く」というような話をされたんですよ。というのも、その頃、先生は娘さんを病気で亡くされて、ご自身も手術をされたこともあって、身の回りの整理、いわゆる「終活」に入られたんですよね。
大石さん
大石さん
でも、僕が個人で原画を預かるなんて荷が重すぎる。なので「何が一番良い形なのかを一緒に考えましょう」という話をして、最終的に行き着いたのが、原画を横手市に寄贈していただくという形でした。そして、それを契機に、ふるさとの作家を中心に、日本のマンガ原画を守り伝えることを美術館の指針としていくことにしていったんです。
数万点規模の原画を預かる「大規模収蔵作家」は、秋田県出身『銀牙―流れ星 銀―』の高橋よしひろさん、『海月姫』の東村アキコさんなど、現在9名。

——では、現在の原画アーカイブ機能ができたのは、矢口先生の一言があったからなんですね。美術館の設立の際の思いも含め、矢口先生は常にマンガの未来を考えていらっしゃるんですね。

大石さん
大石さん
そうなんです。それと同時に、文化庁のマンガ原画保存プロジェクトからも声がかかったりして、仲間がどんどん増えていった時期でもあったんですよね。京都や北九州にあるマンガ美術館との連携もありましたし。そういうタイミングでもあったんだと思います。私たち単体では、ここまで広げることはできなかったと思います。

矢口先生と大石さん

——大石さんは現在、館長という立場ですが、昨年までは横手市の職員をされていたんですよね。

大石さん
大石さん
はい。今年3月に役所を早期退職して、4月からこの美術館を管理する財団法人の所属となり、館長を務めています。
矢口先生から託されたものがある以上、最前線でやっていきたいと思っていましたし、これからがんばろうとしている若いスタッフを放っておくこともできなくて。意思を持ってここへきました。

——作家さんたちが命がけで描いてきた原画を守っていくために、ご自身の人生をシフトチェンジされたんですね。

大石さん
大石さん
でも、はじめはそんなに期待はされていなかったと思います。矢口先生に初めてお会いしたのは僕が美術館の担当になった2007年なんですが、東京のご自宅に挨拶に伺ったとき、先生からは「がんばってください」とは言っていただいたものの、僕は美術館のこともマンガのことも基礎がない状態でしたからね。

ただ、心がけていたのは「矢口先生の作品を町のイメージアップのために活用する」ということではなく、「先生の晩年に寄り添っていく」「先生や作品を後世に伝えていく」ということでした。そうやって通っているうちに、少しずつ認めていただけるようになっていきました。

——人と人として関わったことが、今に繋がっているんですね。長年寄り添ってきた大石さんからみた、矢口先生の魅力というのはどういったところなんでしょうか?

大石さん
大石さん
僕は「博学才穎はくがくさいえい」という言葉が好きで「学問に広く通じていて知識が豊富」という意味なんですが、先生はまさにそれで。

昔のことから最近のことまで知識も豊富で、話もドラマチックに仕立ててオチをつけたり、本当に楽しくて。とにかく先生と一緒にいたいという気持ちになるんですよね。毎回、空港への行き来では二人でたくさんの話をするので、とても大事な時間ですね。
大石さん
大石さん
そして何より、マンガ家でありながら、ここまでふるさとの繁栄を願っている方はなかなかいないと思いますね。町に出るといろんな場所や商品に三平が使われていますよね。これは、先生がふるさとを応援する気持ちがとても大きくて、作品の使用を許諾しているからなんです。

原画アーカイブのその先

——矢口先生が信頼する美術館だからこそ、原画を預けたいという作家さんもいらっしゃるのではないですか?

大石さん
大石さん
そうですね。東村アキコ先生は矢口先生の大ファンだということからご縁をいただいて、これまでの全ての作品原画を収蔵させてもらっています。こういった若い漫画家さんの原稿を預かるということは、今後どういうことに繋がっていくのか、そういうケーススタディにもなると思っています。

最近では、『ゴルゴ13』のさいとうたかを先生からも原画を預けたいと言っていただいて。そういうありがたい状況で、これまで関わってきた自分が現場を離れる訳にはいかないんですよね。

この仕事をしていて飽きないのは、こういった、新しい作家さんや編集者さんとの繋がりが増えていく、その繰り返しがあるからなのかもしれません。

——でも、信頼関係をつくるというのは、ただ足を運べばいいということではないと思います。何か大石さんなりの極意があるのでしょうか?

大石さん
大石さん
答えがあるようでないんですが、とくに原画に関しては、百人いれば百人、考え方が違います。だから、自分の思いだけを押し付けない、それが大事だと思いますね。

確かに原画は大切にしていきたいけれど、作家さんのなかには「こんなものは価値がない」と思う人もいるわけですよ。これが刷られて、冊子になって、それが買われて、初めて価値がでる。そのほうが大事という方もいる。

それに対して「これは文化財です!」と反論してもしょうがない。そういう場合は「そうですね。そういう考え方もありますよね。でも、我々に役割を担わせてもらえませんか?」というようなアプローチの仕方をしたりしていますね。

——残すことの価値がどのくらいあるか、今はまだわからないとしても、まずは「残っている」ということが大事で、それがいつか何かの役に立つときが来るかもしれませんよね。

大石さん
大石さん
そうなんですよね。残さないとその検証もできないんですよね。里中満智子先生もおっしゃっていましたけど、100年後でも200年後でも、それが残っていることで初めて「かつて日本の漫画の文化にはこういうものがあった」と伝えることができるんですよね。

そして、今ある文化を次の世代に残していくということは、今を生きているみんなに、使命としてあるんじゃないかと思っていて、それが僕の場合、たまたまマンガ原画というものだった。

そのきっかけを、矢口先生が作ってくれた。 なので僕は、こうしてマンガ原画を残すという取り組みを、全国でできるようにしていく環境を作っていきたいと思っているんです。

【横手市増田まんが美術館】
〈住所〉横手市増田町増田字新町285
〈TEL〉0182-45-5569
〈HP〉https://manga-museum.com/