なんも大学 県のメディア卒業記念対談?!<br>「日野さんはどうやってますか?」

なんも大学 県のメディア卒業記念対談?!
「日野さんはどうやってますか?」

2021.03.31

インタビュー:藤本智士 編集:矢吹史子

2016年より、丸5年間発行してきました、秋田県のウェブマガジン「なんも大学」。2021年3月31日をもって、秋田県としての発行を離れ、次年度からはこれまで運営を担ってきた「のんびり合同会社」が引き継いでいくこととなりました。

この節目に、同じく民間企業が母体となり発行している、九州のウェブメディア「Qualitiesクオリティーズ」の編集長である株式会社博報堂ケトルの日野昌暢ひのまさのぶさんと、なんも大学の編集長の藤本智士が対談し、民間で自走していくウェブメディアの目指す道について話します。

1975年福岡県福岡市生まれ。2000年に博報堂に入社。2014年に博報堂ケトルに加入。大手広告主業務も行いながら、地方活性をテーマに活動。
ヴィレッジヴァンガードフリーペーパー『VV Magazine』編集長、福岡市が運営するニュースサイト『#FUKUOKA』、高崎市と運営するウェブマガジン『絶メシリスト高崎』、広島県観光キャンペーン「牡蠣食う研」などをプロデュース。

「Qualities」というメディア

日野さん
日野さん
Qualitiesは「九州のいいヒト、いいコト、いいシゴトを探し出し、全国に届けるメディア」というスローガンのもと発行しているウェブマガジンです。

九州を拠点に、いい成果を出している人たち、チャレンジが芽を出し始めている人たち、ただ「儲かる」だけでなくちゃんと地域や社会のことを考えている人たちなどを取材しているんですが、同時に、「なぜその人がそれをやっているのか」「いつもは外向けには話せていないこと」なども引き出すようにして、その記事を読んだ人たちの参考になるような考え方をアーカイブしていこうという思いでやっています。
藤本
藤本
運営はどのような体制になってるんですか?
日野さん
日野さん
ローカルメディアを運営することって、とにかく難しいんです。というのも、マネタイズのモデルがあまりにもない。考えられる選択肢は、広告、課金、EC……あとは、人材マッチングによる手数料などなんですね。

広告でいうと、何百万PVという数字を出しても、じつは大したお金にならないんです。しかも、ローカルメディアで何百万PVというのは難しいので、まずはその手法は捨てなければならない。
毎月定額を払ってもらって読んでもらう課金モデルも、なかなか現実的ではないし、僕らはECをやりたいわけでもない。
そういうなかで、人材マッチングが唯一の道だということを、前々から思っていたんです。
藤本
藤本
なるほど。
日野さん
日野さん
そして、マッチングの考え方のベースに「リトルフクオカ」というコミュニティを作ってきたこともあります。これは、東京に居ながら福岡のことが好きな人たちと集まったり、facebookで情報交換したりしてきたんですが、そのグループ参加者がいつの間にか3000人くらいになったんですね。
藤本
藤本
3000人!
日野さん
日野さん
これは、基本的には「福岡に帰りたい」という人たちの集団だと僕は思っているんです。「家族が東京にいる」とか「会社を移れない」とか「今更戻れない」というような「帰りたいんだけど帰れない」という人たちがリトルフクオカだけで3000人くらいいて、その人たちの感情というのを、僕らは肌感としてわかっていたんですね。
藤本
藤本
うんうん。
日野さん
日野さん
それを活かして、Qualitiesの兄弟サイト「Qualities offer」というのを設けて、九州で働きたい人と企業のマッチングを「ドーガン」という企業が母体となって、行っているんです。
藤本
藤本
なるほど。Qualities offerというところでのマッチングによるマネタイズが大きいんですね。

「#FUKUOKA」というメディア

日野さん
日野さん
この、Qualitiesの前に「#FUKUOKAハッシュフクオカ」というウェブメディアがありました。
これは、福岡市の事業で、移住や転職支援を目的とした地域の情報発信メディアでした。
#FUKUOKAより
日野さん
日野さん
当時、僕たちは、「検索しても出てこない福岡市の情報」というのに着目していました。というのも、2015年頃の福岡には、食べ物のことや最新スポットがどうだとかいうメディアはあっても、街で真剣に取り組んでいる人を取材して紹介するような記事をきちんとアーカイブしているメディアはなかったんですね。
藤本
藤本
それは意外!
日野さん
日野さん
そうなんです。福岡市は、当時から勢いのある街といわれていて、人口も増えていたんです。でも、それがなぜなのかはわからなかった。
飯もうまいし、海も山も近いし……みたいなことをみんなが言っている。「でも、それが人口が増えている理由なのかな?」と。

それで、いろいろと取材して、聞き込みしていくと、特段「これが理由」っていうことはないんだけど、がんばっている人もたくさんいて、その人たちが繋がり合って小さなチャレンジをいっぱいしているとか、よくよく聞いてみると面白い会社がいっぱいあるなとか、そういう積み重ねがたくさんあることがわかったんですね。
それらを一個一個アーカイブしていきましょうというのが「#FUKUOKA」でした。
#FUKUOKAより
日野さん
日野さん
続けていると、福岡の人たちにどんどんシェアされていって、「福岡にはこういうものが必要だった。作ってもらえてめちゃくちゃ嬉しい」みたいな声がいっぱい聞こえてきました。
藤本
藤本
#FUKUOKAはどのくらい続いたんですか?
日野さん
日野さん
4年半です。「自治体の事業としてだと、一定期間のメディアになってしまう。ずっと続けるためには、民間でやっていかないと」と、途中から強く意識するようになって、新しいメディアを作っていきたいと思うようになった。そして、Qualitiesを作ることにしたんですね。
藤本
藤本
Qualitiesは、福岡だけではなく、九州全体にエリアを広げたんですね。
日野さん
日野さん
はい。九州という島は、すごくポテンシャルのある一つの塊なんだけど、情報は各地に分散してしまっているんですよね。
熊本に面白い人がいても、福岡の人はそれを知るチャンスがない。でも、それを一つの箱に入れることで、宮崎の人と佐賀の人が面白い企画を一緒にできるようになるかもしれない。
そんなことを描きながらやっていますが、正直、ウェブメディアはどこまでいっても厳しい。
藤本
藤本
うん。
日野さん
日野さん
なので、メディア単体で収益を上げることも必要だけど、メディアがあるから生まれた人の繋がりが、新しい価値を生むようにしたり、その新しい価値が収益を生む事業になるようにして、結果、メディアに価値というものが生まれるような形を目指しているところもあります。

「なんも大学」というメディア

藤本
藤本
僕は、秋田県との仕事として2012年から4年間「のんびり」というフリーマガジンを、2016年からはこのウェブマガジン「なんも大学」の編集長をやらせてもらいました。
秋田と福岡の大きな違いは、秋田は少子高齢化、人口減少がとにかく進んでいる町というのが前提にあって、ある意味、切羽詰まった、藁にもすがるような感覚がスタートラインだったということ。
日野さん
日野さん
確かにそうですね。
2012年〜2016年まで発行した秋田県のフリーマガジン「のんびり」
藤本
藤本
そういうなかで、兵庫県在住の、よそ者の僕の意見を、秋田県のみなさんは真摯に聞いてくださった。しかも、その「真摯に」というのは、「ただただ、なるほど」ではなくて、程よく僕を疑っていた感じなんですよね。「この人が言っていることを信用していいんだろうか?」というような。つまり誰かの意見を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えようとしていた。
日野さん
日野さん
うんうん。
藤本
藤本
なので、のんびりもなんも大学も、県の担当のみなさんが、自主的に、能動的に取り組んでくださったというのがとてもありがたかったんですが、それは、梅原真さんという高知県在住のデザイナーさんが、秋田県のアドバイザーとしてある種の土壌を作ってくださっていたのがとても大きかったんです。
梅原真さん(フリーマガジン「のんびり」より)
日野さん
日野さん
へ〜。
藤本
藤本
世の中のプロポーザルでは「はい、おたくの会社に決めました、なのであとはお任せします」というものが多くて、決めるまでがゴールになっているものが少なくない。なので、受けたほうも「あとはできるだけ粗利を残しながら一年回せばいい」という気持ちになりがち。

そうではなく、選ばれた瞬間がスタートなわけで、「職員も『選んだ』という責任のもと、これから一緒にいいものを作っていくんだというスタートラインに共に立たなきゃいけないよ」ということを、梅原さんは県のみなさんに何度も言ってくれていたんです。
日野さん
日野さん
なるほど〜。
藤本
藤本
紙媒体の「のんびり」を4年間やりきって、2016年からはウェブマガジン「なんも大学」をやっていくことになったんですが、初めは紙媒体で生きてきた自分なんかがやるものじゃないと思ったんです。自分が編集長としてやっていくことに対して否定的だった。
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藤本
藤本
でも、ある時から10年後や20年後にむけたアーカイブメディアとしてのネットメディアの可能性というものを考えるようになって、そこから割と前向きになり、結果こうして5年続けてきたわけですが、そろそろもう少し次のフェーズにいきたくなってきました。

そこで今回、県の媒体としては卒業して、僕たちで自走できるような仕組みにチャレンジできるよう、県庁のみなさんに相談したんです。というのも、データやサーバーの管理も含め、これまで税金を使ってやっていたものを、民間が引き受けるというのは、言葉上は簡単なことのようだけれど、じつはなかなか例のないこと。そのためのさまざまな調整を経て、なんも大学を継続できることになったのは、県のみなさんが前向きに取り組んでくださったからこそなんです。

だからこそ、このミラクルな状況を存分に生かすぞ! と意気込んだものの、さあ実際どうやっていこうか? と。

あたらしい県人会

藤本
藤本
そもそも僕は、次に目指すのは、「秋田県人会2.0」のようなものかもしれないな、と思っていて、それが、いまの日野さんの話を聞いていて、あらためて確信に変わりました。もちろん県出身者のためだけのメディアにするとか、そういうことではなくて、いまこのタイミングで考えるべきは、メディア自体をどういうものにしていくかというよりも、それを「支えてくれる人」というのはどういう人なのか考えていくことだな、と。
リトルフクオカ・イベントの様子
日野さん
日野さん
先ほどお伝えした「リトルフクオカ」というのは、まさに県人会に対するオルタナティブだったんですよ。
今ある全国の県人会って、どこも高齢化してしまっていて「重鎮みたいな人が上にいて、若い人は無条件に使われる」みたいな……。
もちろん、それを全否定はしないんですけど、「リトルフクオカ」はそうじゃなく、「今、バキバキにがんばっている世代の人たちと一緒に福岡について考える」っていう集団にしたかったんです。
藤本
藤本
今は、若い人たちが、当たり前のようにローカルや自分の地元に目を向けていて、堂々と愛を注いでいるような時代なので、もう少しそこを可視化できる県人会的なるものができればなと僕も思っているんですよね。

というのも、なんも大学の記事の拡散のされ方を見ていると、「ふるさと秋田でこんなにがんばっている人がいるんだ!」と、すでに「ネット上の県人会」的な琴線の触れかたが多いんです。
日野さん
日野さん
リトルフクオカやQualitiesをやっていて見えてきたのが、僕らの持っているコミュニティと全然違う生態系を持っている人たちが、同じように「地域を盛り上げよう」としているのに、交わってなかったということなんですよね。

なので、なんも大学でも、やっていることの意味合いを理解してもらって、「それなら応援するよ」と言ってくれる人の種類を増やすというのが大事になってきそうですね。

雑誌「ソトコト」の編集長の指出一正さんや、ローカルジャーナリストの田中輝美さんが「関係人口」のことを話すなかで「関わりしろ」という言葉がよく出てくるんですが、「あなたの役割があるよ」「どうぞ、おいで」「ここで一緒にやろうよ」というような「関わりしろ」をどう作っていくかがポイントかもしれない。
なんも大学「輝美さん 関係人口ってなんですか?

なんも大学という関わりしろ

日野さん
日野さん
そこで大事になってくるのが、「楽しい」っていうことですよね。
リトルフクオカは、「フクオカラバーの、フクオカラバーによる、フクオカラバーのための“飲み会”」ということをうたい続けてきたんです。
その団体にミッションが与えられて、「これは福岡に人を帰すための集団であるからして……」みたいな感じに、強い役割を作っちゃったりすると、タスクになってしまう。

途中で「これ、何のためにやってるんだっけ?」とか「何か目標作らない?」みたいな声も出たし、何かやりたい人がいるならもちろんなんでもやってもいいんだけど、基本は「飲み会」なんです。そこはブレずに、毎回の飲み会をとにかく楽しくしていったのが大きかったと思いますね。
藤本
藤本
なるほど〜。僕は、去年からオンラインコミュニティを運営し始めたんです。そこでは毎週のように、参加メンバー自身がオンラインイベントを開催している。毎週末、誰かが何かしら、自発的に企画しているんです。
日野さん
日野さん
すごいですね〜。
藤本
藤本
ここで大事なのが、リトルフクオカ同様、そこにミッションは作らずに、あくまで「場づくりにとどめる」ということなんですよね。

僕は、なんも大学が「コモン」になっていくのが理想なんです。秋田を愛する人、地域編集を考える人、みんなの共有の場であり、共有の財産であり、みんなでまわしていく世界になればいいと思っている。それを実現するようなマネタイズの方法が僕はあるはずだと信じてるんです。
日野さん
日野さん
都会にいながら、すごく優秀で活躍している秋田県出身者って、確実にいるんですよね。そういう人たちが、なんも大学への関わりしろを持っておけば、「なんも大学でこんなことをさせてくれませんか?」っていう人も出てくるんじゃないかと思うんですよ。
藤本
藤本
そうですよね。今までは、なんも大学は、県のミッションとして編集部の力を中心にアウトプットしてきたけど、もっと「場として開いていく」というのが、これからの方向性なのかもしれない。
なんも大学「日本酒業界の超新星は72歳!じさまの酒から学ぶライフシフト」より
日野さん
日野さん
この記事を読んだ人が秋田出身の仲間にもシェアして「なんも大学で何かやらせてもらえるかもしれない」「こういうアイデアがあるんだけど」というようなことを受け入れる、入口になっていくといいですね。
藤本
藤本
僕たちに足りないこと、できないことはたくさんあるから、それを明確にして、関わりしろをいっぱい作るようにすることで、どんどん声をかけてもらえるといいなあ。
なんも大学「レメデとむさご シェフと大将が仲良しな理由」より
藤本
藤本
僕の編集人生というのは、大阪にあった「扇町ミュージアムスクエア」という小劇場や映画館が併設された文化施設に、一枚のチラシを置いたのが始まりだと思っているんですね。 「これから、こういうフリーペーパーを作りたいので、ライター、カメラマン、イラストレーター募集!」って書いたものを置いたんです。
日野さん
日野さん
「バンドメンバー募集」みたいな。
藤本
藤本
そうそう。そこで連絡をくれた人たちと作り始めたのが原点で。結局、そういうことなのかもしれない。今までやってきたことの価値を活かすというよりも、「もう一回、チームづくりから始める」っていうことなのかもしれない。
日野さん
日野さん
今、地域に関わりたい人が増えてきているというのは、受け入れる地域にとってもチャンスなんですよね。
なんも大学が、秋田において、そういう大きな関わりしろになっていくといいですね。
藤本
藤本
そういう意味で「なんも大学」は、5年やってようやく開校するのかもしれないですね。

ということで、

なんも大学、秋田県庁から卒業します。

2016年春にスタートした、秋田の暮らしのスペシャルを広くシェアするウェブマガジン「なんも大学」。

これまでは秋田県のオフィシャルな媒体として運営して参りましたが、いよいよ県の予算での運営から卒業します。
卒業するという言い方をしているのは、これが決して秋田県からの一方的な意向などではなく、我々編集部としての願いだったからです。

前身の紙媒体『のんびり』(2012年〜2016年)もそうでしたが、僕たちがこのメディアをとてもピュアに、信念を曲げることなく続けてこられたのは、ひとえに秋田県庁のみなさんの深い理解のおかげでした。ならばどうして県のメディアから卒業するのか?

いくつかあるその理由の一つをここで述べるならば、それは後進に譲りたいからです。

僕たちを育ててくれたように、県庁のみなさんにはあたらしい編集者と書き手を育ててほしいと思います。どうか秋田県のメディアの萌芽をこれからも大切にサポートしていただきたいです。

そして僕たちは、せっかくここまで伴走してもらった「なんも大学」というメディアをさらに続けていけるよう、新しいやり方にチャレンジしてみたいと思います。
その方法についてはすでに考えを固めていますが、その準備には少し時間が必要です。

なので、詳しいことはまたあらためて発表するとして、いまの僕の考えを少しだけ伝えさせてください。

そもそも、雑誌であれウェブであれテレビであれ、世の中のメディアのほぼ全ては広告費で運営されています。しかし僕はこれまでの編集者人生のなかで広告以外のメディア運営のあり方についてずっと考え、挑戦してきました。

この度、民間運営を決めた僕たちに、多くの方がそのマネタイズについてアドバイスをくださいました。しかしながらそのどれもが、広告か、もしくは広告を変化させたものでした。それはこれまでのメディアの一番の意義が何かの宣伝PRだったからだと思います。しかし僕たちはこれまで、宣伝PRが先に立つ記事作りはしてきませんでした。伝えたいことの本質を馬鹿正直に真ん中においた編集を僕たちはこれからも続けていきたい。そう考える僕たちが広告費をもって運営していくことになるのはその信念を曲げることになってしまいます。

いま考えている新しい運営のかたちを受け入れてもらえるのかどうかはわかりません。しかし、秋田県庁のみなさんがつないでくれたバトンを前に、たとえ失敗しようともチャレンジしてみたいと考えています。

記事を編集することも「ものづくり」の一つです。服を作ったり、家具を作ったり、そんな様々なものづくりと同じように、さまざまな手間とお金をかけて記事は作られています。そんな記事が無料というのは、どうにもつらいなあと思い続けてきました。仮に、服や家具が無料だと言われたら僕は作り手のことが心配になってしまいます。だから記事の作り手にも思いを馳せてもらえるような世の中に変化させていきたいなあと思います。かといって有料サイトにするつもりはありません。ならばどうするのか? ぜひ楽しみに待っていてください。

あたらしい仕組みをセットするまでの間も、隔週で記事は更新していきます。なので、変わらず、なんも大学を応援いただければ嬉しいです。

とはいえ、まずは第1期とも言えるこの5年間。取材対象として読者として作り手の一人として、それぞれに支えてくださったみなさまに感謝を申し上げます。

本当にありがとうございました。
なんも大学、次に向かいます。

なんも大学 編集長 藤本智士
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