秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:高橋希

なくてもいいもの?
あきたタウン情報がつくってきた、たくさんの「きっかけ」。

2021.03.31

「あきたタウン情報」。秋田県民ならば、誰もが一度はそのページをめくったことがあると言っても過言ではないほどの、秋田を代表する月刊情報誌です。
創刊は1985年。毎号2万5000部を発行し、長きにわたり、秋田の食、店、人などの情報を幅広く伝えてきています。
このたび、現編集長である和賀美輝子わがみきこさんにお話を伺い、和賀さんご自身の編集者としての考えや、紙媒体のメディアを通して見てきた秋田の変化などを伺いました。

——和賀さんは、もともと、雑誌を作る仕事に興味があったんですか?

和賀さん
和賀さん
私は、これまでずっと秋田県内で過ごしてきました。秋田が好きで、秋田にいたいということが根底にあるなかで、「この地で何かを伝える」ということがしたかったんだと思います。
それは、雑誌にかかわらず、何のメディアでもよかったのかもしれないんですが、文章を書いたりするのは好きなほうで、タイミングよくここの求人が出ていたので飛び込みました。今年の6月で、勤続18年、編集長を務めて8年になります。

——現在、編集スタッフは何人いらっしゃるんですか?

和賀さん
和賀さん
私を入れて5人ですね。私は編集長という立場で総合的に見てはいるものの、他の業務をしたりもしているので、実働でいったら4人ですね。

——そんなに少人数でこの量を?! ちょっと想像がつかない……月刊誌の編集というのは、実際、どんな業務があるのでしょうか?

和賀さん
和賀さん
その号の特集を決めたら、取材先のリストアップをする、取材先へのアポイントメントをとる、実際に取材や撮影で動きながら記事のノリを決めていく、それをもとに、デザイナーさんにラフを上げてもらって、それをチェックしながらほかの取材もしていく……というのを、だいたい、前の号を進めながら、次の号のことも並行して考えている感じですね。

——ひゃ〜、めまぐるしい……。頭の中がパズルみたいになっているんでしょうね。

和賀さん
和賀さん
ちょうど昨日(取材日前日)が入稿日だったんですが、入稿したあとは、みんな頭から蒸気が出ている感じです。なので、私、20代のころの記憶がほとんどないんですよ(笑)。

——そのくらい、突っ走ってきた。

和賀さん
和賀さん
はい。「とにかく、やらなきゃ!」という感じで。初めて行った取材すら、何だったか覚えていないんです(笑)。そのくらい、日々緊張していたし、必死だったんですよね。

——毎号の特集を考えるのも大変そうですね。

和賀さん
和賀さん
実は、テーマはすごく単純で、飲食店の紹介でも、「ランチ特集」だったり「朝ごはんと昼ごはん」だったり、今のご時世、テイクアウトのできる店、一人でも行ける店……というように、見せ方や切り口を変えていく。

——たくさん持っている情報に、どういう串の刺し方をするか、というところが大事なんですね。特集自体にも、秋田の変化を感じるところがあります。私の実感としては、10年前はパン屋やカレーのお店って、あまりなかったんですよね。それが今では特集ができるほどになっている。

和賀さん
和賀さん
やっていて感じるのが、秋田のパン屋さんって、不思議と閉店しないんですよ。最近は全国区のパン屋さんから単店まで、さまざまありますが、「米どころ秋田でパン屋って、どうなのかな」って思いますよね。でも、なくならない様子を見ると、店舗ごとにしっかりファンがついて、ニーズが出てきているんでしょうね。

うちとしても「パン」というテーマは、ある意味チャレンジではあるんですが、カフェで提供されているパンだったり、一つのジャンルのパンに絞って比較分析をしたりと、いろんな切り口で、ご紹介していっています。

紙媒体の魅力

——関わってこられた18年、紙媒体からインターネットへどんどん変化していった時期ですよね。紙媒体の意味を考えるような時期もあったのでは?

和賀さん
和賀さん
雑誌や本をタブレットで買うようになったり、書店やコンビニの雑誌コーナーも縮小になっているので、逆風は吹いている状況です。
今後、紙のコンテンツがなくなるということはないと思うんですが、この雑誌自体が残っていけるものなのか、紙のコンテンツの良さをどういうふうに体現していったらいいのかというのは、常に考えていますね。
こちらは、記念すべき1985年の創刊号。

——紙のコンテンツの良さはどういうところにあると思いますか?

和賀さん
和賀さん
雑誌の魅力というのは、どちらかというと即時性よりも一覧性だと思っています。スピードの面では、どうしてもウェブ媒体にはかないませんから。

——「一覧性」というのは?

和賀さん
和賀さん
例えば、こちらのカフェの特集でも「ひと皿スイーツ」のコーナーがありますが、こうしてたくさんの写真が並んでいる。「このなかでどれがいいかな」と選ぶことができるのは雑誌の特徴ですよね。
和賀さん
和賀さん
ウェブでは「ベリーのケーキ」と検索して、ヒットしたものを深く見ていくことはできるかもしれませんが、一つの事項についてぱっと比較したり、自分の好みを選んだりできるのは、紙の強みかなって思いますね。

——能動的に情報を得ようとするならウェブのほうが早いけれど、偶発的な出会いは雑誌ならではの魅力ですよね。

和賀さん
和賀さん
はい。なので、一つの特集で100店舗以上紹介するとか、写真をたくさん載せるというようなやり方もチャレンジしてきました。でも、「広く浅く」では伝わらないことも多くて、最近は、軒数に頼りすぎずに、一つの情報でも、一歩深く入った取材をして、見ごたえのある特集も作るようにしています。

——銀行や美容室などにもよく置かれているので、なんとなく手にとって見たのをきっかけに、新しい情報を知ることがよくあります。

和賀さん
和賀さん
春はとくに、ハガキをいただくんですよ。「転勤や進学で初めて秋田に来て、すごく不安だったんだけどこういう情報誌があるのを知って、読んだら気分が上がりました。これから楽しく秋田で過ごせそうです」とか。
読者のみなさんからのハガキには、びっしりと感想が。

——メディアをやっている側からすると、みなさんからの反響というのが、本当にモチベーションになりますよね。

和賀さん
和賀さん
掲載した店舗さんからも「記事を見て来たっていうお客さんが多いよ」というような連絡をいただいたり。そういうことが、やる気にも繋がりますよね。

悔しさから這い上がって

——続けていくなかでの苦労もあるのでは?

和賀さん
和賀さん
20代の後半に「苦しいな」っていう時期がありましたね。苦しいというよりは「悔しい」だったのかな……。

——どんなことが悔しかったんでしょう?

和賀さん
和賀さん
取材対象の方に記事の内容を納得してもらえなかったり、ほかにも失敗の連続だったんだと思います。

——どうやって乗り越えたんですか?

和賀さん
和賀さん
結局、その悔しさって、誰かに対しての苛立ちじゃなくて、自分ができないことに対してのものだったので、乗り越えるために、さらに仕事をしましたね。折れながらも、這い上がりました(笑)。
何がダメだったのかを立ち止まって考えてみて、受け入れて、じゃあ、どうすればよかったのかを上司にも相談したりして。あらためて見直して、「次はこうして寄り添っていこう」と考えられるようになった時期だったと思います。

そこから、新しいことをやらせてもらえるようになったり、月刊誌以外の業務、広告のディレクションをやったり。仕事の質が変わっていきましたね。

——負けず嫌いな性格でもある?

和賀さん
和賀さん
そうですね。でも、私は、基本的には人見知りが激しくて、自分から話をするというのは、どちらかというと苦手なタイプなんですよ。でも、取材に行ったときだけは、それを完全に自然に取り払えるんです。

昔は、本当に、取材に行くのが怖かったですね。初めて会う方は、どんな方かもわからないし、相手も構えているし、厳しい対応を受けたこともありました。でもそれも、経験を重ねながら、乗り越えていったと思います。

——編集長として7年やられているということは、そろそろ次に繋いでいくところもお考えなのでは?

和賀さん
和賀さん
私自身、編集長としては長いほうで、そろそろ誰かに託したいと思っています。私が編集長になったのは30代前半。今の部下たちにも、早い段階で責任のある立場に立ってもらって、さらに下の世代を引っ張っていってもらえたらと願っています。

私は、いま「webあきたタウン情報」の担当もしています。ここでは日刊で秋田の情報を配信しているんですが、雑誌をベースにしながら、SNSでファンづくりをしていくなど、デジタルコンテンツも活かして何ができるのか模索しているところです。

——次の世代に向けた、編集の極意というのは何かありますか?

和賀さん
和賀さん
極意かはわからないんですが、私は、「原稿を書くときは、必ず取材時の楽しい気持ちで書くように」と言っているんですよ。
「仕事だから、原稿をこれだけ抱えていて大変だから」という気持ちで書かないようにしてほしい、と伝えています。そういう部分が、読んだ人には必ず伝わるんですよね。
表紙にも、コンセプトである「秋田の楽しいコト、みつけよう!」という文字が。ロゴも、それが表現された、街を歩くような、音を奏でているような、動きのあるデザインになっている。

なくてもいいもの?

——18年携わってこられて、秋田自体が変わってきていると感じるところはありますか?

和賀さん
和賀さん
県外から移住して、まちづくりをしている方が増えてきましたよね。地元にUターンしてきた方も多いとは思うんですが、外からみた秋田の印象だとか、こんなことができるんじゃないかという要素をプラスしてくれたり、良い効果があるのかなって思いますね。
男鹿市や五城目町などは、とくに勢いが出てきて、すごく魅力的に感じます。

この雑誌に関わるようになって「秋田って広いな」って思うようになりましたね。私自身、18年間やってきて、初めて行くお店もまだまだあります。

—— それでも、18年間の情報の蓄積を考えると、和賀さんは、秋田の生き字引きと言ってもいいほどでは?

和賀さん
和賀さん
まだまだ、浅いです。私はもっと深いことをやっていきたいんですよ。じっくり、何日間か誰かに密着したり。
何かを伝えたい、この人が考えていること、お店が歩んできたことを伝えたい、守ってきたものを伝えていきたいという思いは、ずっとありますね。

——情報を伝えた、その先がどうなっていくことをイメージされていますか?

和賀さん
和賀さん
私は、基本的に雑誌って「なくてもいいもの」だと思うんですよ。でも、あったら、暮らしが豊かになったり、誰かに話したくなったりする。あくまで、そのための一つのツールだと思っています。
私たちが伝えた情報をもとに、選ぶか選ばないかはその方次第だし、良い悪いの評価もいろいろあって当然と思っています。
まずは、考えるきっかけ、行くきっかけ、知るきっかけをつくるもの。雑誌って、そんなものかなって思っています。

【あきたタウン情報】
 毎月25日発行
〈住所〉秋田市山王新町1−29
〈TEL〉018-838-1225
〈HP〉https://akita-townjoho.jp/