秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:竹内厚 写真:船橋陽馬

彫金、鍛金、鋳金に杢目銅もくめがね

2018.07.25

秋田発祥とされる金工の技法、杢目銅もくめがね
まさに木目のような表面を生み出すために、高度な技術と大変な手間がかけられています。現在、秋田においてもこの杢目銅の技術を受け継いでいる人は数えるほど。

その数少ないひとり、坂本喜子さかもとよしこさんの自宅兼アトリエが大仙市にありました。

まず、杢目銅について簡単に紹介します。
金、銀、銅など、異なる複数の金属を重ねて炉に入れるなどして、それぞれの融点の違いをいかしながら、ひと固まりの地金じがねを生み出します。この地金を叩いて伸ばして成形し、彫ったり研磨することによって、異なる金属の色の層を表面に現します。

坂本さんが制作しているイヤリング。杢目銅による幾何学模様は、描いてるわけではなく、すべて金属そのものが現れたもの。
こちらはブレスレット。
坂本
昔の人は、よくこういうことを思いついたよなって思います。江戸時代に佐竹の殿様が使う刀のつばの装飾として生まれたということなんですが、当時も「どうなってるのこれ」って注目を集めたんじゃないかな。

——坂本さんが思う、杢目銅のよさって何ですか。

坂本
手間がかかることかな(笑)。あと、私は、やっぱり金属が好きなんでしょうね。

——金属好きの女性ですか。

坂本
そうです。母が陶芸をやってたこともあって、陶芸をやるつもりで美短(秋田公立美術工芸短期大学)に入ったんですけど、実際にちゃんと向き合ってみたら、柔らかいものを形作るのって苦手だなと気づいて(笑)。

——それで陶芸から金工へ。

坂本
大学時代にやってたのは鋳金ちゅうきんだったんですけどね。型をつくって金属を流しこむ、奈良の大仏とかと同じ製法です。
銅と銀の塊を薄く伸ばした、杢目銅の金属板。端に銅と銀の層がうかがえる。

金工に目覚めたものの、鋳金には大規模な設備が必要で、卒業後に個人で続けていくのはなかなか困難。そのため、大学を卒業した坂本さんは、埼玉の金工作家・萩野紀子はぎののりこさんのもとに弟子入りして、鍛金たんきん(金属を打ちながら形を変えていく技法)や彫金ちょうきん(金属を専門の道具で彫る技法)を学びました。
しかし、その弟子入り生活も、両親に連れ戻されて2年で終了します。

坂本
もともと2年の約束で家を出たので、なかば強制的に連れ戻されるようにして、秋田へ帰ってきました。ものにならないんだったら帰ってこいと。

——2年でものにするというのも大変な話。

坂本
そうなんです。けど、当時は、自分でも金工の技術をどう活かしていいのか、全然わからなくて。稼ぐ手段が見えなかった。
萩野紀子さんは、今年の『伝統工芸 日本金工展』で入賞。「萩野さんのように生きられたらいいなって、生き様すべてを教わった感じです」と坂本さん。

——杢目銅にはどうやって出会ったんでしょう。

坂本
戻ってきた後、母校の美短で図書館司書をやっていると、工芸に関することをダイレクトに先生たちと話す機会が増えて、そこで、杢目銅をやっている金工作家の千貝弘ちがいひろしさんを紹介してもらったんです。千貝さんは、杢目銅を学びたいって人のために、毎週、秋田市にある工房をオープンにしていて、私もそこに通いました。

——杢目銅の技法もそんな簡単には身につかないですよね。

坂本
私が結婚して大仙に来たのは29歳なんですけど、こっちに来てから子どもが生まれるまではずっと通ってました。今も、千貝さんのところじゃなきゃできないことがあるので、この土曜日も行ってたところです。

——千貝さんのところには若い人も来られてるんですか。

坂本
こだわりのあるシニアの方々が楽しくやってる感じですね。千貝さんはステンレス加工の会社を経営されてるので、工房では、溶接や鍛金など大掛かりな作業もやれるんです。

——若手は坂本さんだけ。

坂本
そうですね。

——じゃあ、杢目銅の技を受け継いで、次に伝えるという役目を、いずれ坂本さんも担うことになるのでは。

坂本
そう考えると重いですけど、そうなのかな。ただ、杢目銅という技法は、秋田で学んだ人が新潟でやってたりとか、県外に広がってるところもあるので、そこまで私がという感じじゃない。
結婚したご主人が大仙の人だった。
ご主人は大工が稼業。庭には子どものための小屋が建てられていた。
もともと大工小屋として使われていた小屋の一角に、坂本さんの工房が設けられている。

——これからの制作についてはどう考えてますか。

坂本
もともと私は、伝統工芸をやりたかったわけじゃなくて、今の暮らしで使われるものをつくりたいとはずっと思ってました。

——床の間に飾るようなものではなく。

坂本
そうですね。技術を追い求めたりとか、自分を出していくっていうよりは、なんだろ、あまり自分が出しゃばらないようなものをつくっていきたいと思っています。

——金属好きだし、金属のよさを前に出して。

坂本
やっぱりそうなんですよ。結果的に、彫金、鋳金、鍛金、杢目銅と、金工をひと通り教わることになったので、それはとてもよかったこと。まだまだ金工で食べていけるってところまではたどり着いてませんけど、なんとかやっていけるかなという感じはしています。
木台に打ち付けられた様々な形の金属棒は、鍛金に使うための当て金。千貝さんの工房でつくらせてもらったもの。
金属を当て金にあてて叩いて、形を出していく。かなり音の出る作業だが、近所のおじさんからは「やってたな」「最近、音聞こえないな」って言われる程度だそう。

自宅の居間から眺められるのは、広々とした田園風景。朝はいつも川の方まで散歩をした後、2人の子どもを保育園へ送り出して、制作の時間が始まります。

「制作のことを思っても、今の暮らしはすごくいいです。環境的にもすごく創作意欲が湧くので」。

若き杢目銅作家、坂本喜子さん。これから一層の活躍に期待がかかります。

杢目銅の技法で幾何学模様のように見せるのは千貝さんに学んだこと。坂本さんは主に銀と黒味銅くろみどうのみを使うなどしてさらにモダンな仕上げに。

坂本喜子さんのHPはこちら▽
http://www.sakamotoyoshiko.com/
作品の取り扱い店も紹介されています。
ぜひご覧ください。