秋田の伝承学 白岩焼

講師 白岩焼 和兵衛窯 渡邊 葵 さん
  • 1話 復活した「白岩焼」
  • 2話 「白岩焼」が生まれる場所
  • 3話 「白岩焼」を受け継いで
  • 4話 秋田の風土を映す器

文・鈴木いづみ 写真・高橋希

鈴木いづみ/岩手県一戸町出身・盛岡市在住。30代半ばでいきなりライターになり8年目。「北東北エリアマガジンrakra」をはじめとする雑誌、フリーペーパー、企業や学校のパンフレットまで幅広く(来るもの拒まず)活動中。

2話 「白岩焼」が生まれる場所

江戸時代に誕生し、明治の終わりに姿を消した白岩焼。それからおよそ70年後、白岩焼の復活に取り組んできた渡邊葵さんのご両親が、長年苦心したのが、白岩焼の特徴である「海鼠釉なまこゆう」の再現でした。その美しい青色を生み出すために重要なポイントが「窯焚き」という焼成の作業。今回特別に、その現場を見せてもらいました。

繊細な釉薬「海鼠釉」

渡邊
海鼠釉って温度に対してすごく敏感で、ある一定の温度や条件が揃わないときれいに発色しないんです。うちの窯で焼いた場合、海鼠釉がうまく焼けるのは全体のスペースの半分くらい。
鈴木
えー! 半分?!
渡邊
はい。なので、残りのスペースに置く器には、海鼠釉より低い温度で焼ける「白釉はくゆう」「粉引こひき」という釉薬を使っています。一度の窯焚き(焼成)で、なるべく多くの作品を焼きたいので。
鈴木
窯の中でも温度の高い場所が、海鼠釉の特等席なんですね。
渡邊
(ファイルを取り出して)これは、窯焚きのときにつける記録です。温度や時間、油の量、いつどんな操作をしたのか、窯のどこに何を入れて、どこに置いたものがよく焼けたかなどを詳細に残しています
鈴木
おお〜! すごく細かく書いてある!
渡邊
窯焚きの際は、過去のこうした記録をもとに油の量などを調整するんです。あとは酸素の量。うちの焼き物は「どれだけ酸素を与えないか」が重要なので。
鈴木
酸素の量……ですか?
渡邊
窯焚きには「酸化」と「還元」っていう2つの方法があるんですが、酸化は酸素を入れっぱなしにして焼くやり方。還元は酸素の量を制限して、酸欠状態にさせるんです。
鈴木
酸欠状態に。
渡邊
はい。そうして窯の中の酸素が足りなくなると、焼き物は自分の中にある酸素を燃やしはじめます。
鈴木
ああ、土の中に空気が含まれているからか。
渡邊
そうです。焼き物の中にある酸素を燃やすことで科学変化が起きて、海鼠釉特有の深い青が生まれるんです。
鈴木
「苦しい!」っていう状態にすると、青くなる。

左がほどよく焼けたもの、右が酸素が多かったもの。

渡邊
そうそう(笑)。酸素をどのぐらい遮断したかで、色の出方も全く変わるんですよ。
鈴木
知れば知るほど興味深いなあ、白岩焼。
渡邊
ありがとうございます。じゃあ今度は、作業場を見てみましょうか?
鈴木
はい、ぜひ!

窯焚き

渡邊
うちには「灯油窯」と「登り窯」のふたつがあって、普段はこちらの灯油窯で、2〜3ヵ月に1回窯焚きをしています。
鈴木
本体も扉も、全部レンガでできてるんですね。
渡邊
これ、父が作ったんです。
鈴木
へえ〜!
渡邊
それと、この棚にあるのが釉薬。海鼠釉はこれですね(と、桶を出す)。
鈴木
この灰色があんなきれいな青になるんだ……。触ってみてもいいですか?
渡邊
もちろん。
鈴木
あ、きめが細かい。重くて吸い付く感じで、泥パックみたい(笑)
渡邊
海鼠釉はかなりどろっとした質感の釉薬なので、器にかけるときはコンクリートを混ぜるミキサーみたいな道具を使います。
鈴木
焼く時は窯のどの辺りに置くんですか?
渡邊
この窯は両端が一番高温になるので、外側に海鼠釉の列、次に白釉、真ん中に粉引という順に置きます。でも実は、海鼠釉だけで3種類あるんです。
鈴木
ええ〜!!
渡邊
同じ棚に並べても外側と内側でわずかな温度差があり、仕上がりにムラが出るので。その温度差を埋めるため、溶ける温度が異なる海鼠釉を調合し使い分けます。
鈴木
すごい……。海鼠釉ってそんなに繊細なんだ。
渡邊
こうして釉薬をかけ分けしながら窯に詰めるので、両親と私の3人でも5日間かかります。
鈴木
手間がかかってるなあ。
渡邊
一種類の釉薬だけでよければ、1日で終わるんでしょうけどね。
鈴木
そうやっていろんな計算をしながら窯に詰めて……。点火するときって、緊張しませんか?
渡邊
点火の瞬間より、焼きあがって窯から取り出すまでの数日間のほうが眠れなかったりしますね。「あれでよかったのか」「本当はこうしたほうがよかったんじゃないか」とか、いろいろ考えちゃって。
鈴木
窯を開けてみないと焼き上がりがわからない。ある意味賭けですものね……。
渡邊
一回の窯焚きで器が700点ぐらい、アクセサリーなどの小物も入れたら数千点の作品を焼くので。
鈴木
それがもし失敗してたら……って、考えただけで夢に出そう。
渡邊
そう! 夢に出るんですよ〜(笑)

登り窯に込めた、復活の思い

鈴木
わー! これが登り窯! 初めて見ました……生き物というか、神の使いみたい。
渡邊
これも父が作ったんです。1年のうち2ヵ月をこの窯づくりに充てて、10年かけて完成しました。
鈴木
10年! 設計もお父様が?
渡邊
はい。いろんな登り窯を見学しにいって、研究したらしいです。ちょうど弟が生まれた頃で「息子になにか残したい」っていう気持ちもあったみたい。
鈴木
すごいなあ……(しばし絶句)。
渡邊
古代遺跡っぽいですよね(笑)。この窯に火が入ってる姿、夜に見るとなかなか神々しいんですよ。
鈴木
それ、見てみたいなあ。次の窯焚きの予定はあるんですか?
渡邊
うーん、ありがたいことに作品づくりが忙しくて、なかなか登り窯を使う時間が取れないんです。容量は灯油窯の4〜5倍ありますが、器を詰めるだけでも1ヵ月かかってしまうので。
鈴木
1ヵ月……。
渡邊
だいたい2年に1度ぐらいのスパンですね、「そろそろ登り窯やろう」ってなるのは。だから私もまだ2回しか経験がないんです。
鈴木
これは薪を使って焼くんですか?
渡邊
そうです。焼き上げるのに72時間かかるので、その間は必ず誰かがここにいて薪をくべ続けます。前回は、盛岡で働いている弟も手伝いに来てくれて、4人が交代で番をしました。
鈴木
ただでさえ繊細な海鼠釉なのに、薪で焼くとなると、温度や酸素量の調節するの、もっと難しいんでしょうね。お父様が昔ながらの登り窯をわざわざ作ったのには、白岩焼の継承者としての覚悟やこだわりも込められているのかなあ……と、思ったりしたんですが。
渡邊
ああ、それはあると思います。両親が白岩焼を復活させたとき、古い白岩焼のコレクターさんに「これだば白岩焼じゃね(これは白岩焼とはいえない)」と言われることが多かったそうなんです。だから、昔ながらの焼き方で作品を作ってこそ、はじめて白岩焼の復興と胸を張って言えるんじゃないか、っていう気持ちはあったと思います。

微妙な温度の違いが仕上がりを左右する海鼠釉の気難しさを知り、奇跡みたいな焼き物だと思った白岩焼。歴史の中に埋もれていたそれを掘り起こし、現代に復活させた葵さんのご両親は本当にすごいなあと、改めて感動したのでした。次回はそんな両親のもとで育ち、2代目として白岩焼を受け継ぐ葵さんの思いを聞いてみたいと思います。

「白岩焼」を受け継いで へつづく

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