暮しの音楽 うだっこのけしき

秋田の婚礼の際に唄われてきたという民謡「秋田長持ながもち唄」。前編に続き、今回は実際に長持唄が唄われる、結婚披露宴にお邪魔します。


「秋田長持唄」後編

旅人 寺田マユミさん

兵庫県生まれ大阪府在住のイラストレーター。2006年FM802主催digmeoutオーディションを通過したのち、雑誌、広告、個展、さまざまなアートワークなどで活躍中。最近では、2015年「UNKNOWN ASIA」(@大阪・中ノ島中央公会堂)参加「紀陽銀行×FM802×digmeout賞」受賞、2016年6月には、かもめブックスより、書籍「きっと いい日になりますように」を発刊。

永安寺での仏前式

珠希たまきさんの嫁ぎ先は、北秋田市鷹ノ巣たかのすにある永安寺。そのご住職と結婚されるため、仏前結婚式が執り行われた。

はじまりとともに降り出した雨は、祝福のお念仏が唱えられているころ、強くなった。窓のそばに立っていた私はその雨音が、唱えられる念仏に美しく寄り添っていることに気がついて、はっとした。きっとそれは、新郎のお父さんの天からの念仏に違いないと思ったからだ。

実は、この数ヵ月前に、新郎の潤悦じゅんえつさんの父である先代はこの世を去られた。跡継ぎである息子さんの結婚を誰よりも心待ちにしていた、お父さん。その思いは、天に召されても尚、変わらなかったのだ。
その大いなるところからの念仏は、寺院一帯に降り注ぎ、染み渡り、夫婦になった若いふたりにきっと幸せを運ぶことだろう。

式も終わり、車へ移動するためやむを得ず雨の中を走ってゆくと、不思議なことにあまり濡れない。本降りのように見えた雨は、実は、私たちをいたわるようなやさしいやさしい霧雨だった。先代もきっと、慈悲深くやさしい方だったのだろうと思った。

長持唄と宴

静まりかえる会場に、朗々と「長持唄」が唄われはじめる。結婚披露の宴が幕を開けた。ともに涙をこらえながら、一歩また一歩と噛み締めるように進む、珠希さんと潤悦さん。

娘を送り出す親の心に添う言葉が、唄にのせられて降り注がれる。その一粒一粒が、心の底まで深く落ちて、響く。大切に育ててもらったことを自覚されていたからこそ、親目線のうだっこ「長持唄」を切望されたのだと、はっきりとわかった。

念仏と「うだっこ」に祝福されたおふたりの式は、祈りに満ちていた。
そして結婚披露宴とは、「これからのふたり」だけでなく「これまでのふたり」のためにもあるのだと知った。

「長持唄」の「長持」は、嫁入り道具を運ぶ道具のことであると同時に、若いふたりの幸せが幾久しく長持ちしますように、との願いが込められているのだと思う。どうか、末永くお幸せに。

唄い手の奈良さんによると、秋田の民謡は、節回しやこぶしの入る箇所がきちんと定められており、それを守らなければ美しくないとのことだった。
つまり、完成された「型」があるということ。それはまさに能や狂言、茶道などと同じ世界。型通りにすれば、これから先もずっと、これまでと同じ景色を再現して見せられる。

それは、人から人へしか継ぐことのできない、神秘の映写機。そして、そこに映し出されるのは、人々の「祈り」。

過酷な状況のなか、心折れずに生きるために。
楽しい時は、より楽しくなるように。
口には出せない家族への情を伝えるために。
子どもや孫、次の世の人々に幸せに生きてもらうために。

そんな祈りが、唄というカタチでなら残していける。
「うだっこ」は、先人の知恵の結晶であり、形を変えた念仏なのではないだろうか。

おわり

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