秋田の新しい娯楽「秋田ノーザンハピネッツ」

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文・鈴木いづみ 写真・鍵岡龍門

講師 秋田ノーザンハピネッツ(株) 代表取締役社長 水野勇気さん

①熱狂するピンク

今年もとうとうやって来た、長く厳しい秋田の冬。けれどその寒さも何のその、雪をも溶かす勢いで、多くの秋田県民が熱狂するものがあります。それは「秋田ノーザンハピネッツ」。秋田市を本拠地とするプロバスケットボールクラブです。
もしあなたが秋田県人で、「秋田ノーザンハピネッツ(以下ノーザンハピネッツ)」のゲームを一度も会場で観たことがないとしたら。それはちょっと、もったいないことをしているかもしれません。なぜって? まずはこの動画をご覧ください!

11月18日「アースフレンズ東京Z」戦@CNAアリーナ☆あきた

会場を染めるピンク!ピンク!ピンク!

客席を埋め尽くすピンク、きらめく「ビガビガ(ブースターはペンライトのことをそう呼ぶ)」の海。そして、コートにいる選手に大きな声援を送る、2300人超の老若男女。「日本一熱い」と言われる、ノーザンハピネッツブースター(ファン)です。この、チームカラーのピンクを身につけたブースターが会場を埋め尽くすさまは「クレイジーピンク」とも呼ばれています。

人口減少、高齢化ワースト1位と言われる秋田に、こんなに多くの人が足を運び、熱くなれるものがあるのです。何が秋田の人々を惹きつけているのでしょう? それを探るために、まずは「ノーザンハピネッツ誕生の立役者」に、話を聞いてみることにしました。

プロスポーツを秋田に

秋田ノーザンハピネッツは、秋田県初のプロスポーツチームとして2009年に誕生。プロバスケットボールリーグ「※bjリーグ(当時)」に所属し、2010-2011シーズンから参入しました。
※2016年、国内トップリーグの統一を目的に「Bリーグ」に統合

その運営会社「秋田ノーザンハピネッツ株式会社」の社長を務めるのは、水野勇気さん。秋田市にある国際教養大学在学中からプロバスケットボールチーム創設を目指す活動に関わり、26歳のときに会社を設立。現在に至ります。

鈴木
東京出身なんですね? それを知った時、すごく意外に思いました。
水野
そうなんです、もともと東京の杉並区で生まれ育って、高校までずっと地元で育ちました。
鈴木
それから秋田の大学に?
水野
いえ。高校を卒業した後、アメリカに留学したんです。スポーツマネジメントを学びたくて。
鈴木
スポーツマネジメント! じゃあその頃から「スポーツに関わること」をしたいと思っていたんですね。
水野
はい。子どもの頃からずっと、スポーツ雑誌「number」を購読していて、最初はnumberに記事を書くようなスポーツライターとか、ジャーナリストに興味がありました。どうやったらなれるのかなって自分なりに調べたら、アメリカの大学に「スポーツジャーナリズム」という分野があるのを知って。それで、なんとなく留学したいなって思い始めたんです。
鈴木
へえ〜!
水野
で、もっと調べたら「スポーツマネジメント(経営)」という学科もあると。当時、日本のプロスポーツといえば野球と、あとJリーグが発足してまだ10年ぐらいだったので「スポーツビジネスの分野はまだまだ発展するんじゃないか」って高校生なりに思って。その頃は、日本にそういう学部を持っている大学がまだなかったので、じゃあやっぱり留学しよう、と気持ちが固まりました。
鈴木
アメリカにはどのぐらいいらっしゃったんですか?
水野
だいたい1年ぐらい。本当は4年間しっかりと勉強したかったんですけど、経済的な理由もあって。でもまた戻りたいという気持ちがあったので、その資金を貯めるために、昼は造園会社で働き、夜は居酒屋でバイトして、っていう生活を続けました。
鈴木
すごい。
水野
でも、4年間向こうで暮らして大学に通えるだけのお金を貯めるのは難しくて。先が見えなくなってきたときに「秋田に国際教養大学っていうのができる」というのを知ったんです。
鈴木
あ、ここで秋田とつながるんだ!
水野
それまで秋田には足を踏み入れたこともなかったんですけど(笑)。「英語で授業を行う」「ビジネスのコースがある」っていうのに惹かれました。当時の日本の大学では、英語でビジネスを教えているところってほとんどなかったので。何より1年間の交換留学があるっていうのも魅力でしたね。公立である教養大の授業料で留学できるから、一般的な留学よりお金がかからないし。それに新しい大学の1期生になれるっていうのも、直感的に「おもしろそうだな」って。
鈴木
英語でビジネスを学べるところに惹かれた、とのことですが、「スポーツマネジメントを学びたい」という思いはまだ持っていたんですか?
水野
いえ、その頃にはもう諦めていました。自分で会社を立ち上げた父の影響で「起業する」ことにも興味があったので、じゃあビジネスを勉強しようと。
鈴木
なるほど。
水野
でも結果として、交換留学で行ったオーストラリアの大学で、スポーツマネジメントを勉強することができたんです。
鈴木
ええ〜!なんと!
水野
それはもう、偶然のめぐり合わせで。最初その大学に行く予定ではなかったんです。第一志望、第二志望の大学がいろんな理由で行けなくなってしまって、どうしようかと考えていたときに「この大学は?」と勧められたんです。で、調べてみたら「スポーツマネジメントコース」っていうのがあるって知って「そうそう、もともとこれが勉強したかったんだよ」って(笑)。
鈴木
すごい。運命の再会みたいですね! きっと充実した留学生活だったんでしょうね。
水野
はい。スポーツマネジメントを勉強できたこともそうなんですけど、アメリカで体験したような「プロスポーツ文化」を肌で感じられたのが大きかったです。オーストラリアって、人口2000万人ちょっとぐらいなんですけど、プロスポーツリーグが5つあるんです。クリケット、ラグビー、オージーフットボール、サッカー、そしてバスケット。留学中、いろんなプロスポーツの試合を観に行きました。そこで知り合いが増えたり、クラスでもスポーツの話で盛り上がったりするのが楽しくて、こういうのが秋田にもあればいいな、と思いました。当時の秋田にはプロスポーツがなかったので。

一度は途切れた「留学」と「スポーツマネジメントを学ぶ」という夢が、秋田とつながることで実現へ。それは偶然か。それとも必然だったのでしょうか。
次回は、チームが設立するまでのエピソードを伺います。

 へつづく

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