前編

この記事は、2017年12月に秋田県男鹿市で開催したイベント
「ReDiscovering.jp –The Oga Peninsula-」を編集したものです。

なまはげ文化の中心地、男鹿おが市には、なまはげを求めて毎年多くの観光客が訪れます。今回の対談では、芸術人類学者として幅広い分野で活躍する石倉敏明さんと、世界で400万回以上再生され話題となった映像シリーズ「True North, Akita.」を手がけた井野英隆さんのお二人に、いま国内外から注目を集める「なまはげ」とはいったい何なのか、じっくりとお話いただきました。

写真:高橋希

1974年東京都生まれ。秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻、及び大学院複合芸術専攻准教授として、文化人類学や東北日本の文化的ルーツについての授業を行っている。

1983年生まれ。augment5 Inc代表。独自に制作を進めていた日本各地域の映像が話題となる。中でも秋田の暮らしの風景を映し出した「True North, Akita.」は、世界で400万回以上再生されており、2017年10月には初の長編映画「ReDiscovering.jp」を完成させる。

男鹿に惹かれた理由

石倉
僕は5年前に秋田に移住してから、時間を見つけて各地の祭りを見て歩いています。秋田に来る前は長く東京に住んでいたので、やっぱり「秋田の民俗行事=なまはげ」みたいなイメージも感じていました。表面的には、大晦日、古くは小正月の前の晩に「泣ぐ子はいねぇがー」ってやって来るという恐ろしい異人の、エキゾチックなイメージですね。
井野
そうですね。僕も同じような印象でした。
石倉
でも実際に秋田に住んでみると、なまはげ行事の中にたくさんの興味深い現実が眠っていることに気づいて、ハマってしまったんですよ。

井野さんは、どんなきっかけで男鹿に来るようになったんですか?
井野
秋田県から依頼された仕事で、2年間「True North, Akita.」という映像をつくっていたことがきっかけですね。
初めて男鹿に来たときからずっと、今日のような冬の時期にばかり滞在していたんですけど、雪で車が止まったり、路肩に突っ込んだりしているのをよく見かけたし、夜は怖いし危ないし……不思議な場所というか、来ちゃいけない場所なんじゃないかって。「もしかして、なまはげって本当にいるんじゃないのかな」っていうのが最初の印象ですね。
石倉
相当怖かったんですね……(笑)。
井野
でも、夏に来てびっくりしたんですよ。何を撮ろうかって秋田県内をまわっていたとき、たまたま男鹿半島で見た海がびっくりするほど綺麗だった。波がひとつも立ってなくて。
冬の荒波のイメージとか、海が荒れれば荒れるほど獲れるっていうハタハタの話とか、そこに命をかけて乗り出していく漁師の話を聞いていたので、それとは真逆というか。
石倉
なるほど。夏の男鹿はたしかに対照的です。
井野
検索してもビーチスポットとして出てこない。僕が行ったときは地元のおじいちゃんとお孫さんがいて、お孫さんは全裸で遊んでて、おじいちゃんがビーチに軽トラ停めて見てるっていう。すごく静かで、綺麗で。唯一見えたその風景がすごく衝撃的で、この魅力をどうにか伝えたいと純粋に思ったんです。
石倉
それであの映像になったんですね。使い古された観光用のイメージではなく、純粋に、自分の感じた男鹿のいいところ、日常生活から入っているところがとても印象的です。
井野
ありがとうございます。
石倉
海と漁師とそこで育っている子どもたちの映像なので、他に何も情報がなかったら、そこが秋田かどうかもわからないかもしれない。みんなが持っている「海」のイメージがすごく重なりやすくて、そういう意味では普遍的な作品だと思うんです。リアルな日常生活というか、海辺に暮らす人たちの記録というか。そこに、よく見ると男鹿にしかない地形や湾の特徴、魚、男鹿の人たちの言葉や暮らしぶりが映し出される。
井野
男鹿の海は僕にとって本当に魅力的で、戸賀とが湾を潜ってみたり、船を出してもらって岸壁をクルーズしたりして、どんどんハマっていきました。

民俗文化のホットスポット

石倉
今日は、なまはげとは何なのかということも含めてお話していきたいと思いますが、なまはげって、不思議な人のイメージでもあり、いや、人間ではないのかもしれない。動物にもちょっと似ている。そういう不思議な妖怪というか、非人間のモンスターというか。
井野
なまはげって秋田ではイベントに駆り出されたり、空港にも駅にもいたり、よく目にはするけど、なかなか説明できない存在ですよね。資料館的な位置づけの「なまはげ館」にすら、その発祥の由来が諸説書かれてあったり……。
石倉
そうですね。起源伝承として、複数の説が展示してあることはとても大事なことだと思います。やっぱり不思議な存在だし、わからない部分がとても多いですよね。でも、その余白の部分が人を惹きつけるんだと思います。
井野
たしかに。
石倉
ただ、逆に「記号になりやすい」というか、わかりやすくしようと思えばいくらでも記号化できる。一番わかりやすいのが秋田県の観光キャンペーンで、とりあえず「なまはげを呼べ!」ってなるわけですよね。そうすると、大体このパターン。
石倉
これは秋田市方面から男鹿半島に入ってくる「なまはげ大橋」の手前、男鹿総合観光案内所の入口にあるものですが、これがいま、絶好の写メスポットになっています。もともとなまはげっていうのは、観光のためにつくられたわけではなかったので、こういうキッチュな視覚イメージが一人歩きすることで、よけいになまはげが何なのか、わかりにくくなってもいて、それが面白いところでもあるんですよね。

写真:船橋陽馬/なんも大学

石倉
たとえばこれは、男鹿の真山しんざん地域のなまはげですが、アーティストの目線から見ても非常にユニークで魅力的なわけです。なまはげというのは各地域ごとに一つひとつ形が違っていて、男鹿半島の中に何十もパターンがある。

男鹿の「なまはげ館」には各地域のお面がずらっと並んでいて、この多様性というものがそのまま地域の魅力になっている。言ってみれば、男鹿という場所は民俗文化のホットスポットだと思うんです。

写真:船橋陽馬/なんも大学

井野
民俗文化のホットスポット?
石倉
はい。地球上の生物多様性を語る上で、ホットスポットという言葉があります。太平洋上の島々やメソアメリカ(*注1)のように、特に生態系が豊かで数多くの生物種が集中している場所のこと。実は日本列島もその一つです。そういう意味で、男鹿半島は民俗文化が濃密に残っているホットスポットだと言えると思います。だからこそ、いろんな時代に民俗学者やアーティスト、旅人が訪れる場所だったんです。
(*注1)現在のメキシコ中央・南東部・グアテマラなど中央アメリカの一部に成立した高度な文明圏。

男鹿半島なくして民俗学はなかった?!

石倉
たとえば、明治から昭和にかけて日本各地をまわっていた有名な民俗学者の柳田國男やなぎたくにおは、著書『雪国の春』の中で、小正月行事の重要なキャラクターとしてなまはげについて語り、「をがさべり」と題した文章では、男鹿半島の風景や地形、生物と人との関わりについても詳しく書いています。

菅江真澄『男鹿の寒風』より(秋田県立博物館所蔵 写本)

また、昔描かれたなまはげのイメージとして有名なのは、こちら。江戸時代後期に列島各地を歩いた旅行家・文筆家の菅江真澄すがえますみが『男鹿の寒風さむかぜ』という随筆に描いた絵です。秋田県立博物館にあるものですが、いま僕らが想像するなまはげに近いものが、すでに江戸時代にあったことがわかる。

畠山鶴松『村の落書き―鶴松爺の絵つづり雑記帳』(無明舎出版)より

こちらは、五城目町ごじょうめまち畠山鶴松はたけやまつるまつという方が描いた「ナモミハギ」です。彼は昭和の高度経済成長期に、自分が子どもだったころの、明治時代の文化や風習をノートにたくさん描いていました。
井野
五城目町のナモミハギ?
石倉
はい。鈴や扇を持ったり、包丁の持ち方が逆手になっていたり、お面を頭にかぶってにっこり笑っていたりして、ちょっと面白くも見えるんですけど、服装は明らかに小正月のなまはげ行事です。
実は、男鹿市周辺の潟上市かたがみしや五城目町にもこういった文化が存在していて、かつては秋田の沿岸部にも広くなまはげ行事がありました。昭和期に八郎潟はちろうがたが干拓される以前、潟上や五城目にも「海の小正月行事」がたくさん残っていたんです。
井野
いまも、にかほ市や秋田市にも、なまはげ的な行事がありますよね。
石倉
アマノハギ(にかほ市)や、ヤマハゲ(秋田市)ですね。実は、秋田県以外にも古い記録はたくさん残っています。民俗学者の折口信夫おりぐちしのぶは、「国文学の発生」という論文の中で、なまはげのことを「客人まれびと」、お客さんとしてやってくる神として紹介していて、加えて沖縄の祭りに登場する何種類もの「客人神まろうどがみ」や、愛知県や長野県の「花祭はまなつり」に出てくる鬼の話をしています。このように、小正月に「外からやってくるお客さま」としての精霊、神というものが大正時代から昭和初期にかけて日本各地で再発見されていったんです。
沖縄の先島さきしま諸島や中部地方の天竜川てんりゅうがわ流域など、日本列島上には民俗学者の注目を集めた「民俗文化のホットスポット」がいくつかありました。そして、男鹿半島もその一つだったんです。男鹿半島なくしていまの民俗学は出来なかったんじゃないかというくらい、ここは重要な場所でした。

1910年に発表された柳田國男の『遠野物語』は、岩手県の遠野地方の伝承を集めた物語集で、民俗学の立ち上げの時期につくられています。遠野はそれから民俗学にとって、ある意味では「聖地」になっていきます。その後の1920年代には、男鹿半島の「客人」の行事や「なまはげ」という存在が大きな話題になって、何人もの民俗学者がここに来るようになったんです。

中編では、さまざまな事例を交えながら「なまはげとは何なのか?」という疑問の答えを探っていきます。話はじわじわとディープな展開へ。

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中編に続く

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