中編
人類学者の石倉敏明さんと、augment5の井野英隆さんによる対談。中編ではいよいよ、なまはげとは何なのか?
国内外の事例を交えながら、話はなんとサンタクロースにまで繫がっていきます。
写真:高橋希
1974年東京都生まれ。秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻、及び大学院複合芸術専攻准教授として、文化人類学や東北日本の文化的ルーツについての授業を行っている。
1983年生まれ。augment5 Inc代表。独自に制作を進めていた日本各地域の映像が話題となる。中でも秋田の暮らしの風景を映し出した「True North, Akita.」は、世界で400万回以上再生されており、2017年10月には初の長編映画「ReDiscovering.jp」を完成させる。
- 井野
- 僕はいままさに、男鹿でフランス人の方の撮影のお手伝いをしているところなんですが、なまはげや男鹿は、いま海外のアーティストたちからも注目されていますよね。
- 石倉
- そうですね。フランスで人類学を学んだ岡本太郎や、デザイナーのシャルロット・ペリアンが男鹿のなまはげに注目してきたように、「外からの眼」を持つアーティストが次々になまはげの魅力を再発見しています。数年前、PIXARの映画『モンスターズ・ユニバーシティ』のキャラクターデザインを担当したクリス・ササキさんが秋田に来られた時も、「なまはげを見たい!」と言ってなまはげ館を訪れていました。シンディ望月さんという日系カナダ人のアーティストも男鹿のなまはげが大好きで、水木しげるさんの描いた「妖怪」のキャラクター世界と地続きの、目に見えないものについての想像力を感じると言っていました。とにかくインパクトのある不思議な造形と身振り、でもその由来は謎に包まれている……この「魅力」ってなんだろう?って、みんな気にしているんです。
そんな中で、フランスの写真家シャルル・フレジェが発表した『YOKAI NO SHIMA』という作品集に、近年大きな注目が集まっていて、日本でも2016年に翻訳書が出版されました。同じ年に銀座メゾンエルメスで開かれた展覧会「YÔKAÏNOSHIMA」も、大きな話題になりましたね。
- フレジェはこのシリーズの前に、ヨーロッパ諸国の冬祭りに登場する「獣人」のイメージを撮影した『WILDER MANN』というシリーズを手がけています。ヨーロッパの冬祭りでは熊や山羊などの獣、そして想像上の魔物や怪物などのイメージが重なったユニークな異装のキャラクターが登場します。ヨーロッパの暗く寒い冬から、暖かい春への移行をつかさどる精霊ですね。
こうした「ワイルドマン」を撮影する過程で、彼はユーラシア大陸の果てに位置する日本列島にも、似たような文化があるということに惹きつけられていきます。その後に撮影された『YOKAI NO SHIMA』シリーズで、フレジェは東北から沖縄まで日本列島58ヵ所を取材して、ユニークで強烈なキャラクターの世界を作り上げました。この本の冒頭に、男鹿半島のなまはげの写真作品が収められているんです。
- 石倉
- この写真のシチュエーションは、ちょっと変わっていますね。日中、見晴らしの良い景観の中になまはげが出て行って、集団で四股を踏んでいる。実際の行事ではなかなか考えにくいことです。なまはげの行事は、小正月の前の晩や、大晦日の夜に行われるものですからね。ちなみに、なまはげは民家に入る時に7回四股を踏むのですが、これは「反閇」という所作で、山伏の修行にも出てくる大地を鎮める呪術の一つでしょう。
このシリーズには、民俗学者や文化人類学者がやるような「祭りの記録」は一つもありません。フレジェが撮っているのは行事そのものではなくて、それぞれの祭りの文脈からは切り離された、架空のキャラクターです。その一つひとつが「YOKAI」と呼ばれ、「YOKAI NO SHIMA」というヴァーチャルな空間、現実から異化された「もう一つの日本列島」を創り出しているわけです。
しかも彼は、この「YOKAI」というキャラクターを、岩場とか草原、雪原、田んぼ、海岸といったその祭りが伝えられている地域の、特徴的な自然景観をバックに撮影しています。その地域の景観とそこにあるキャラクター、妖怪的な「キャラの立ったイメージ」を一緒に撮るというスタイルで、作品化しようとしています。
- 井野
- そうすることで何かが見えてくるということですか?
- 石倉
- 思いがけない発見があると思います。たとえば、これは太平洋側、岩手県大船渡の「スネカ」と言いますけど、なまはげと同じように恐ろしい妖怪のような仮面を被った異装の異人が冬にやってくる。この藁のケデみたいなものは、なまはげと似ていますよね。ただ、よく見ると面や衣装の細かい部分は異なっていて、その土地に固有の歪ませ方や、誇張の文法のようなものが見えてきます。つまり、似ている部分と、異なっている部分が一望できることになります。
しかも、背景となっている景観の特徴も、当然大きく異なっていることがわかります。こうして『YOKAI NO SHIMA』という本に収められたさまざまなイメージを比較してみると、北東北の日本海岸と太平洋岸の違いとか、東北と沖縄の思いがけない共通性とか、地域性や国境を超えて広がるイメージの多様性、豊かさのようなものが見えてくるのではないでしょうか?
- たとえば、これは鹿児島県にある甑島の「トシドン」。大晦日の晩に首なし馬に乗って来て、子どもたちを脅かすと言われている、恐ろしくもユーモラスな存在です。男鹿のなまはげと同様に、民俗学や人類学では「来訪神」と呼ばれることがあります。
- これも鹿児島県ですが、トカラ列島の悪石島に伝わる「ボゼ」。ここまでくると「日本の伝統」という固定観念をひっくり返すインパクトがあって、ちょっと写真を見ただけでは日本の祭りなのかどうかもわからなくなってきますよね。パプアニューギニアの仮面儀礼に出てきそうなイメージです。
- 井野
- 同じ日本とは思えないですね……。
- 石倉
- 日本の南島の儀礼に出てくる植物を身にまとった精霊という存在は、ポリネシア、メラネシア、つまり太平洋の島々に伝えられてきた仮面仮装の精霊のイメージにも繋がっていきます。そうすると、北の方で「なまはげ」と言われているものが、ヨーロッパの来訪神行事に登場する「ワイルドマン」だけでなく、南の方では植物的な精霊のイメージに繋がってくることになります。つまり、環太平洋という広い範囲で、目に見えない精霊を視覚化しながら、お互いに「翻訳」し合っている関係性がだんだん見えてくるわけです。
こうして見てみると、シャルル・フレジェの『YOKAI NO SHIMA』は、日本列島という場所に暮らす人々がどういう「異人」や「モンスター」のイメージを持っているかということを見せてくれる、とても面白いアートワークだと言えると思います。
- 石倉
- 環太平洋とユーラシア大陸に伝わる「異人」イメージについてお話ししましたが、実は日本の人類学者たちはかなり早くから、なまはげはヨーロッパの古い祭りに登場する精霊と繋がってくるのではないか、と考えてきました。ユーラシア大陸の西の果てと東の果てで同じような文化が残っている、と。
- 井野
- それは興味深いですね。
- 石倉
- そこには、サンタクロースみたいな存在の古層に眠っているイメージも含まれます。キリスト教の神話では、サンタクロースは「聖ニコラウス」という聖人で、イエス・キリストの生誕を祝福して、子どもたちを守護するおじいさんとして登場しますよね。ただ、古い時代を遡ると「ペール・ノエル」、日本語にすると「クリスマス親父」という別のイメージが現れてきます。これについて、人類学者の中沢新一先生が翻訳された、レヴィ=ストロースというフランスの人類学者の論文「火あぶりにされたサンタクロース」があって、とても興味深いです。
- 井野
- クリスマス親父って、妙に親近感湧きますね(笑)。
- 石倉
- 守護聖人としてキリスト教の聖人ニコラウスは良い老人なんですが、古いクリスマスカードに描かれたペール・ノエルには、良いイメージと悪いイメージ、あるいは優しいサンタさんと怖いサンタさんの両方が描かれています。
- ダークカラーの服を着た異形のサンタさんなんかもいて、プレゼントを持ってくるのではなく、逆に子どもたちを背中のカゴに入れて連れ去ってしまったり……。
- 井野
- 僕らが想像するサンタさんとは真逆ですね。
- 石倉
- そうですね。サンタさんに良いイメージが強いことに対して、レヴィ=ストロースは「大人は、サンタクロースがいるということを、子どもに信じてほしいんだ」と言っています。
たしかに、子どもって、幼い頃にはみんなプレゼントをくれる親切なサンタさんが実在していると思っていたはず。でも、ある程度年齢を重ねると、どこかで「サンタさんは、本当は存在していないんじゃないか」ということを……小学校の低学年くらいかな? 気づくか気づかないか、みたいなデリケートな時期がやってきますよね。
- 井野
- はい。何となく憶えてます。
- 石倉
- この「実在するのかどうか」「いるのかいないのかわからない状態」というのが、人間にとって、とても大事なことなんだとレヴィ=ストロースは言っています。
「私たちは、子どもらにとってのサンタクロースの権威を傷付けないよう、いろいろな犠牲を払って、気を配っている。このことには、私たちが心の奥底では、見返りを求めない気前の良さとか、下心無しの親切さなどが存在することを信じていたい、という欲望を抱き続けていることが、示されているのではないだろうか」
「子どもたちがサンタクロースの実在を信じてくれると、私たち自身も、生の意味が信じられるようになるだろう、という期待がこめられている」
(クロード・レヴィ=ストロース著、中沢新一訳・解説(2016)
『火あぶりにされたサンタクロース』 角川学芸出版)
つまり、子どもたちにその存在を信じてもらうようにすることは、大人にとっても夢のある世界を作ることになるんだということを言っています。
- でも実は、サンタクロースの古層には「怖い冬の精霊」のイメージが眠っていて、スイスの「クロイセ」、オーストリアの「クランプス」、古代ローマの「サトゥルナリア祭」に出てくる人間を食べてしまうような恐ろしい神のようなイメージ、ヨーロッパの古い冬の祭りのイメージが重ねられています。
- 井野
- なまはげ的な気配がしてきましたね。
- 石倉
- この「鞭打ちじいさん」は、鞭を持ってきて、悪い子どもを探して体罰をする。「ほらほら、鞭打ちじいさんが君の家を探してるぞ」というように描かれています。
- 鞭打ちじいさんを探っていくと、子どもにとっては不思議なイメージ、怪しげな、恐ろしさと同時に優しさも見えるという、両義的というか、あいまいなイメージがどんどん現れてきます。
こうして見ると、なまはげにも同じように言える部分があります。
「いい子にしていないと、なまはげが来るよ」というような、子どもを脅かす怖いイメージがありますが、毎年大晦日に行われるなまはげ行事のなかでは、町内の家々を訪ねてはその家族の健康を気遣ったり、日々の生活態度を訓戒したりと、道徳的な要素を持っているんですよね。
- 石倉
- サンタさんというのは、探れば探るほど、プレゼントをくれるという優しいイメージと、恐ろしい妖怪的なイメージに分裂していくんですが、ヨーロッパには実際、動物の毛皮を着たり草の繊維を身につけたりした冬の精霊の祭りがたくさん残っています。
それがよくわかるのが、先ほどから話題に上がっている、シャルル・フレジェが『YOKAI NO SHIMA』以前に作った『WILDER MANN』という写真集です。
- 本当に、ぎょっとするほど動物のイメージが残ってたりするんですが、『WILDER MANN』もヨーロッパの祭りで実際に使われている衣装を、そこのランドスケープと合わせて撮っています。ヨーロッパ中にこういう古い精霊のイメージが残されていて、キリスト教以前に広がっていた神話や信仰を表しているんです。
- これらを見ていくと、冬の精霊のイメージがだんだん浮かび上がってきますよね。人間にとっての「隣に住んでいる野生の存在」「自然の中にいる異人という存在」をイメージしたものが写し出されています。
地球を一周回って見てみると、これらと、サンタさん、なまはげのイメージが繋がることもわかってくるかと思います。
- 井野
- たしかに。
- 石倉
- そして、実はこの恐ろしいイメージには、自然の精霊だけでなく、僕らに世界そのものを残してくれた膨大な死者たち、つまり先祖の魂や、忘れられた人々の生きた痕跡があったということが、だんだん見えてくるんです。先ほどもご紹介した、人類学者のレヴィ=ストロースはこうも書いています。
「生者の世界には、おびただしい死者の霊が出現することになるのだ。生者はそこで、訪れた死者の霊を、心をこめてもてなし、贈り物を与えて、彼らが喜んで立ち去るようにしてあげる」
(クロード・レヴィ=ストロース著、中沢新一訳・解説(2016)
『火あぶりにされたサンタクロース』 角川学芸出版)
- つまり、死者がずっとそこにいると困るけれど、まったく人間から離れてしまっても困るわけです。年に一度、たとえばお盆やお正月のときだけ現れることによって、次の年が始められるという信仰が世界中に残っているんです。
冬至からクリスマス、大晦日、正月、小正月というように、この冬の時期というのは、時間と時間のあいだにいくつもの切れ目があって、次の時間へと変わっていく。そのときに、時間の節目、縁から溢れ出てくるような「ノイズ」として、なまはげやサンタは存在しているんです。善悪を超えた、混沌の生命力。こうした「時の裂け目から溢れるノイズ」を浴びて、生者の道徳的な世界、壊れそうな小さな共同体の秩序が、一年ごとに更新されるのです。
後編は、秋田県の魚「ハタハタ」となまはげのまさかの関係性、そして二人が思う秋田の魅力についてお届けします。