秋田では漬物のことを「がっこ」といいます。さらに、がっこのなかでも、大根やにんじんなどを燻してから漬物にしたものを「いぶりがっこ(いぶり漬け)」といい、秋田名物として、いまや全国的にも人気です。
今回は、そのいぶりがっこについて学んでいきます。訪れたのは湯沢市院内。この町で3代にわたって漬物屋を営んでいる、「株式会社雄勝野きむらや」の木村吉伸さんにお話を伺います。
文=矢吹史子
元デザイナーの編集者。秋田生まれ秋田育ち、筋金入りの秋田っこ。
フリーマガジン『のんびり』副編集長。
写真=船橋陽馬
- 木村
- いぶりがっこといえば、今は「秋田のもの」というかんじになっていますが、いぶりがっこの元になった“囲炉裏干しの沢庵漬け”は、秋田に限らず雪が深くて風が吹かない地域では当たり前に作られていたものです。
- 矢吹
- 囲炉裏干し?
- 木村
- このような地域では秋に収穫した沢庵漬け用の大根を外に干してもなかなか干せないので、洗濯物を干すのと同じで家の中に干したりしたんです。昔は、暖房というと囲炉裏がありましたので。
- 矢吹
- うんうん。
- 木村
- そうすると、ふつうの天日干しの沢庵に比べて、やっぱり燻り臭い沢庵になるんですよ。
- 矢吹
- それが、いぶりがっこのルーツ?
- 木村
- はい。でも、昭和30年代に入ると囲炉裏は薪ストーブに代わって、囲炉裏のときのように煙で燻されることもなくなり、流通が発達して他の地域から美味しい天日干しの沢庵漬けが秋田でも簡単に手に入るようになってくると、ほとんど作る人も食べる人もいなくなってしまったんです。当時から漬物屋を営んでいた祖父と父が何か特徴のある商品を作ろうとしたときに「昔の燻り臭せぇたぐあん、あれはあれでうめぇがったな、作ってみるが」となったんですよ。
- 矢吹
- へ〜!
- 木村
- それで、山にあった小屋に特大の囲炉裏を作って、そこに大根を吊るして、薪をどんどん焚いたんですよ。そこから1年くらい研究して「これだったらいける」と出来上がったものに、父がいぶりがっこと名前を付けて売り出したのが始まりです。天日干しの沢庵に対して、焚き木干し沢庵として開発したので、燻しの度合は元々の囲炉裏干しのものよりも数段香りが強いのが特徴でした!
- 矢吹
- へ〜! いま、秋田のいろんな地域でいぶりがっこが作られていますが、その始まりがきむらやさんだったんですね。
- 木村
- 発売した当時はほとんど誰も作っていなかったようです。昔は米ぬかと塩ぐらいしか手に入らなかったところが、砂糖なんかも手に入るようになったし、余った米や麹で作ったりして、秋田でも燻さない大根漬けが普及していたんです。
- 矢吹
- なるほど〜。そういうなかであえて「あの昔のがっこ」を。
- 木村
- 昭和30年代のことですね。
- 矢吹
- 意外と新しい話なんですね!
- 木村
- いぶりがっこのモチーフになった囲炉裏干しの沢庵漬けっていうのは昔からあったんですが、いぶりがっことして商品になってからは半世紀くらいですね。
- 矢吹
- そうなんですね。
- 木村
- もともと沿岸沿いの地域の秋田市や由利本荘市なんかは積雪もそんなに無く、風が吹くから、大根も天日干しできたので、いぶり漬けは主に内陸のほうの文化なんですが、味も燻し具合も各家々で違うんです。そのなかで、うちの先代はとことん特徴を付けちゃおうっていうことで、とことん燻したんですよ(笑)。それで焚き木干し沢庵いぶりがっこなんです。
- 矢吹
- それじゃあ、けっこうスモーキー?
- 木村
- 当時としてはかなりスモーキーだったようです(笑)。好き嫌いがスパッと分かれるような。もともとの囲炉裏干し沢庵でも、そこまで燻されたものは無かったようです。今ではそれがいぶりがっこの風味として定着しましたが(笑)。
- 矢吹
- 復刻当初、お客さんはどういう反応だったんでしょうか?
- 木村
- いぶりがっこは真空パックにして、いまのキオスクにあたる駅の売店なんかに、お土産品として卸していたんです。
- 木村
- そこから、販路が広がっていったんですよね。お土産としてよく買ってもらえて。秋田から集団就職で東京に行った人たちが帰省した時なんかに「小さいころ、こういう沢庵を食べた」という思い出が強かったようで、東京に戻る際におみやげに買っていただけたようです。父曰く、けっこう売れたらしいです。
- 矢吹
- 途絶えつつあったよその地域も、その盛り上がりをみて作り始めていくんですかね?
- 木村
- はい。でも、県内よりも先に、東京で人気が出ました。うちの父の代になってからのことなんですけど、東京に行って百貨店に並べても、いぶりがっこなんてみんなわからない。これが大根であるところから説明しないといけないので、最初は売れ残って持って帰ってくるくらいで、一本漬けを100円の特売品としてチラシに載せてもらい、まずは食べてもらうことが大事だったようです。そのうち買ってくれた人が「あの変な名前のあれ、クセがあるけどまた食べたいな」みたいな感じで、名前がおかしかったのか、徐々に覚えていてくれるお客さんが増えていきました。いつしか「秋田のいぶりがっこ」として関東で先に定着していったんですよ。
- 矢吹
- へ〜!
- 木村
- 平成になってくると、そうした人たちが観光や仕事で秋田にいらした際、おみやげ品売り場で「いぶりがっこは無いの?」という風になってきたんです!そのころからですね、秋田のほかの地域でも、いぶりがっこを本格的に作り出したのは。
- 矢吹
- そんなに最近!?
- 木村
- 米の値段も下がってきたことや、大根って米の作業が終わってから収穫できますし、副業としてやれるっていうのも広まった一因かもしれませんね。
- 矢吹
- なるほど〜。
- 木村
- それと、いぶりがっこがここまで浸透したっていうのは、秋田のイメージに合ってるっていうのがあるんじゃないかなと思うんですよ。私が東京にいたころは「秋田って、ふつうにSL走ってるんでしょ?」って言われてましたからね(笑)。
- 矢吹
- ははは〜!
- 木村
- 都会の人からすると「秋田は田舎であってほしい」っていうのがあるのかもしれない。
- 矢吹
- たしかに! いぶりがっこって、風味も見た目も名前も、なんだか田舎らしいですもんね。
- 木村
- 父も、自分で名前を付けたものの最初は「いぶりがっこ」なんて恥ずかしかったって言ってましたけど、当時はここまで知名度が上がるとは思ってもいなかったようですが……今でも恥ずかしいみたいです(笑)。
- 矢吹
- 先見の明があったんですね! 燻し作業や漬ける作業は、ここでやっているんですか?
- 木村
- はい、少し離れたところで。
- 矢吹
- その様子、ぜひ見せていただきたいんですが……。
- 木村
- ええ。では、ご案内します。
木村さんの案内のもと到着すると、大きな小屋の煙突から、もくもくと煙りが立ち上っています。この小屋で今まさに、燻し作業が行われているのです。次回はここから、いぶりがっこが作られる行程を学んでいきます。