前回の対談で、現社長の昌正さんが大館曲げわっぱの「将来」を語りました。そこで懸念されるのは、どの地方の伝統工芸にも共通の「後継者不足」。
ですが、工房を訪れた私は一人の女性に出会いました。それは、34歳の伝統工芸士、仲澤恵梨さん。「大館曲げわっぱ」講義、最終回は仲澤さんの話から始まります。
- 高木
- 秋田のどちらにお住まいですか?
- 仲澤
- 大館市です。生まれも育ちも、ずっとここ大館です。工房には、短大の卒業と同時に、20歳の時に入りました。
- 高木
- 短大では何を?
- 仲澤
- 専門が住居環境科で、建築系の勉強をしてましたが、就職するどぎに、地元でなにか作る仕事をしたくって。
- 高木
- 県外に出ようという選択肢はなかったんですね。
- 仲澤
- 地元が一番好ぎだがら。居心地がいいし、地元がら出るという考えはながったですね。
もともと大館曲げわっぱは、家にお盆どががありましたし、あと、たまたまなんですけど中学のどぎに、親と一緒に買い物に行って、曲げわっぱ屋さんで「いいな」と一目惚れして買ったものを「宝物入れ」みだいに使っていだんですよ。
- 高木
- 宝物! いいですね。
- 仲澤
- フタが丸ぐ、こんもりしていで……まさに玉手箱みだいな形で。当時好ぎだったアーティストのブロマイド入れだりしてました。
- 高木
- へぇ〜、ちなみにどなたの?
- 仲澤
- ……LUNA SEAです。いまだに入れでるんですけどね。どうするごどもでぎない(笑)。
- 高木
- (笑)。曲げわっぱを作る仕事をしたいと思ったときに、やっぱりその玉手箱の存在を思い出して?
- 仲澤
- そうですね。でも、うぢ(柴田慶信商店)はその時、求人をしてながったんですよ。電話して聞いだら「採ってません」って言われで、電話を切られだ。
- 高木
- おお……。
- 仲澤
- でも、もう一回電話して「直接話したいです」って店に行って。でもそごで「いろいろ曲げわっぱ屋さんあるだろう。他も見てこい」って。で、見で来てそれでも「やっぱりここがいいです」って戻って来たんです。
- 高木
- 「ここがいいです」と、柴田さんの曲げわっぱのどこに惹かれたんですか?
- 仲澤
- 触れたときの柔らかみ……「こういうのを作りたい」って思ったんですよ。
- 高木
- 二代目の昌正さんは、慶信さんから「見て覚えろ」と言われたそうですが、やっぱり仲澤さんも?
- 仲澤
- 最初はそうでした。「教えてください」というより「見せてください」って、見で覚えでました。会長(慶信さん)からは「なんでそんなのも出来ないんだ」みだいな感じで、超怒られました(笑)。
- 高木
- 怒られすぎて、「辞めてやる!」って……。
- 仲澤
- ずっと思ってました。(笑)。でも入社して5年ぐらい経って、自分で最初から最後まで作らせでもらえるようになってがらは、ほとんど怒られなぐなって。
- 高木
- えっ、5年目でやっとすべての工程をできるようになるのですね。
- 仲澤
- 今の社長は、順繰りでいろんな作業を皆に覚えでもらう方針ですが、当時はそうでした。「製材・部材取り(部材から板にして、曲げる前の段階)」や、「曲げ加工」の工程は難しい作業で、その頃まだやらせでもらったごどなくて。
でも初めての時は全部で300個作ったうぢ、商品になったのは200個だげ。それ以外は、折れだり、綺麗に曲がらながったりして使えませんでした。
- 高木
- 作業をするときに、自分でいつも決めていることってありますか?
- 仲澤
- とにかく「きれいに速く」と思って。それは、始めだ頃から今でもそうなんですけど、「省ける作業」っていうのがあるんです。 例えば、「底入れ」で接着剤を付けるどぎも、いかに少なく、はみ出さないように必要な量を付けるか、どが……本当に「ちょっとしたところ」なんですけど、いかに「きれいに速く」仕上げられるかを今も毎日、試行錯誤しています。
- 高木
- 今も、毎日。
- 仲澤
- そうです。「もっと速ぐでぎんじゃねえが?」って。最近も新たな発見があったどごろで……常にマックスのどごろを探しています。
- 高木
- 伝統工芸士になられたのはいつですか?
- 仲澤
- 2年前です。もともと工房に入る20歳のどぎがら、どうせやるなら伝統工芸士になろうと決めでいました。 今思っている、今後の大きな目標どしては、この工房にいるみんなで「評価されるもの」を作りたいです。
- 高木
- みんなで。
- 仲澤
- はい。どうしても自分ひとりだげだど意固地になるっていうか「これでいいだろう」っていう甘えが出るんですよね。でも、みんなが意見を出し合ってやっていぐど、さらに良いものがでぎるんじゃないがなって。
- 高木
- 新しいものを?
- 仲澤
- はい、新しいものがでぎればなって思って。自分のながでは、例えばワンプレート皿とか、ありそうなんだけどながったものを作りたい。
- 高木
- あっ、さっき私も展示スペースでワンプレート皿あったら欲しいなって探してたんです!
- 仲澤
- やっぱり?! そうですよね〜! 自分も欲しいなって思って。
- 高木
- そういうふうにみんなで話し合う場ってあるんですか?
- 仲澤
- 年に2回くらい、お盆前にお疲れさん会をやっていで、そういう時に「こういうの作りたいよね」って若い子だけで喋ったりします。「みんなこっち来いよ!」って集めで(笑)。
- 高木
- おお!
- 仲澤
- 同じ土台にいだいんですよね。同じテンションで作業してたいっていうか。同じ気持ちでいたいなぁって。 やっぱりお客さんに喜んでもらえるものを作りたいっていうのが一番念頭にあって、自分が喜ぶものじゃないとお客さんが喜ぶわげがない! って思ってるので。仕事するときも、自分が欲しい、これがいいって思えるもの作りをしてかなきゃだめだよっていうのを後輩には伝えでいるつもりです。
- 高木
- 将来的には、仲澤商店、みたいなふうに独立を考えていたりしますか?
- 仲澤
- 独立ですか? いや、やれればいいなとは思うんですけど、現状はちょっと厳しいので、年をとって「(今の会社に)もう要らね」って言われだどぎに、やれたらな〜って。とにかく今はここを、今を一生懸命やらなきゃなって思ってるので。
将来独立するか、今はわからない。14年間、この業界に身を置いてきた仲澤さんの正直な言葉には、うなづくしかありませんでした。しかし、その表情に暗さはなかったのです。「今は、今できることを」と語る言葉からは、技術を日々高めてきたことへの自負と、さらに高みを目指す前のめりの姿勢を感じました。
工房では、そんな仲澤さんの姿を見て、さらに若い世代も育ってきているようです。例えば、入社6年目の佐藤江里子さん(25)は仲澤さんから学んだ技術をなぞる段階から「自分なりの新しい方法を」と、職人として次のステップに踏み出そうとしていました。そして佐藤さんだけではありません。工房でもくもくと手を動かすのは20〜30代の若者の姿ばかりでした。それが、とても印象的だったのです。
柴田慶信商店のみなさんの言葉が
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