前回に引き続き、柴田慶信商店の職人親子、慶信さんと二代目・昌正さんにお話をうかがいます。
慶信さんが独学で始めた柴田慶信商店の曲げわっぱづくりは、二代目の昌正さんに渡り、今年で8年目。今という時代の作り手として、そのまなざしは自らの工房から業界全体へと向けられます。そんな昌正さんの「挑戦」に迫りました。
- 高木
- 慶信さんが独学で始められたとき、「商売として成り立たせていくこと」をどう考えられたのでしょうか。
- 昌正
- その時代はまず「食べるため」ですよ。商売とか、そこまで考えがおよんでなくて、食べるため、子どもを育てるため。保険に入ったり、貯蓄するためにっていう余裕はなくて、もともと将来を考えて段取りをする想像がつかないところから始めてますから。それを一生懸命やってきてくれたので。
- 高木
- そこで、言うなれば「材料を安く仕入れて儲けよう」っていう考えは全くなかったからこそ。
- 慶信
- それは、考えなくても当たり前のことだがら。
- 昌正
- 安く仕入れて利幅をとって販売、っていうのは作り手ではなく都会で商売をする方々のやり方なんですよ。都会の人が、地方の物を仕入れて「地方の付加価値はこうだよ」って加えて、消費者に売る。もちろんそれこそが商売であって、それ自体は決して批判されることではない、当たり前のことです。 その一方で我々作り手は、目の前に秋田杉という素材が当たり前にあるから、それを使って作ってるだけなんです。
- 高木
- そうか。当たり前のものなんですね。
- 昌正
- それを珍しがってくれる都会の人がいて、地方も成り立つ、そのバランスはとても大事です。
- 高木
- そうですね。
- 昌正
- ただ、ものが売れなくなったときに、じゃあどこに負荷がかかるかっていうと、作り手に、なんですよ。安く仕入れるために「もっと手間を抜いて、もっと早く作れないか」って、地方のものづくりの現場に負荷をかける。
お客さんと作り手と、その間に立つ、売る人と。このバランスが崩れると、作り手が作るのを辞めてしまいます。そうなると生産地が外国に行きますよね。すると技術が外国に移って、ますます日本の作り手はいなくなってしまう。
- 高木
- う〜ん……。
- 昌正
- 作り手は、問屋や卸に対して立場が弱いんですよ。だからもっと強くならないといけないと思って。自ら作って自ら販売して、欲しいっていうところに渡すような立場にならないとだめだなって。そうしていかないと、ものづくりの産地は、なかなか……。
- 高木
- そうなったときに、作り手も本当に、いいものを作っているだけでは難しくて、作り手自身も届けていくための「何か」が求められるっていうことでしょうか。
- 昌正
- そこに、なかなか気づけないんです。「秋田ではいいものを作ってます」って言ってるだけじゃ伝わらないんですよ。欲しいって言ってる人の「目の前に」持っていく、それをすればいいだけです。
- 高木
- だからこそ東京にお店を出されたりとか。
- 昌正
- それも、あります。まず、百貨店で店を持たせてもらって、それは父親が何年も実演販売してきて、すごくいい部長さんと出会えたからこそでした。ただ百貨店の中のお店はいつかは閉めざるをえなくなるかもしれない。そうなった時のためにも、浅草に自店を出しました。その時も思い切らないといけなくて……どうなんだろうと。家賃を何十万も払って、やっていけるんだろうかって。
- 高木
- そうですよね。
- 昌正
- 色々考えて。でも決断を乗り越えて今に至ります。
- 高木
- 思い切れた、その理由はなんですか?
- 昌正
- ん〜、「こんだけ良いの作ってるし」っていうのが。
- 慶信
- 息子は、よく決断したなって。
- 昌正
- まあ、父はこうも言ってくれましたね。『(自分が)元気なうちに失敗してくれればいい』って。
- 高木
- お〜!
- 昌正
- どう助けられるんだろうってあんまり期待はしてなかったけどね(笑)。でも販売する時には助けてくれるだろうし、地方のものづくりの産地のいい見本になりたいなっていうのもあったし。
- 慶信
- 先日、東京で実演販売したときに、何人も自分で使っているうちの曲げわっぱを持ってきて見せてくれた。そのなかで、毎日たわしで洗って、すっかり底が磨りへった弁当箱を持ってきた女の子がいたの。新しくまた買ってくれて「古いのは引き取りましょうか」って俺がいったら、「嫌だ」って。「どうして」って聞くと、「12年使ってるから、私の宝物です」って。それは本物を使った証なのよ。
- 高木
- 今は自分の会社をやりながら、大館のためというか秋田のためにされていることはあるんですか?
- 昌正
- 秋田のためっていうと大きくなってしまうんですが、地元のためとか、うちで働いてる社員が独り立ちしていけるようにと思っていて。
- 慶信
- 後継者不足もあるし。
- 昌正
- 後継者不足というのは、従事者不足ではないんですよ。親方になって、経営していく人の不足。自分で会社をやっていく人がいないんですよ。
- 高木
- 確かにサラリーマン家庭で育ったら、自分がまさか一国一城の主になるなんて考えにくいかもしれません。
- 昌正
- でも、そういうふうに独立する人が出てきてくれないと。今後はその家の息子だから、とかじゃなく、後継者が生まれやすい環境を考えたいなと思うんです。
- 高木
- せっかくやりたいって思って入ってきた若い作り手が続けていける環境ですね。
- 昌正
- 工房が「家業」から「企業」になってくると、いろんな面を考える必要があるんです。若い人だけじゃなくて、高齢の職人についてもそうです。
例えばうちは退職が60歳で、今は継続雇用して働いてもらってますが、いつかは退職の日が来るかもしれないわけですよね。それは他社も同じです。そういう人たちは、せっかく伝統工芸士を取ったのに、体さえ健康なら80歳まで働けるのに、続ける環境がないから。そのための環境も作りたいんです。
- 高木
- なるほど。今後さらに求められそうです。
- 昌正
- ようやく親父から会社を引き継いで、今までは現場につきっきりでしたが、職人も育って、少しずつ任せられるようになってきたので、じゃあ次にやれることを始めたい。大館曲げわっぱの未来を考えると、かつてない考え方で切り込んでいかないといけないんです。
- 高木
- それが大館のためにもなるし、業界のためにもなると。ここまで秋田や大館のことに一生懸命になれるのはなぜなんでしょうか。
- 昌正
- そういわれると困るんですけど、ただ、ここで生まれ育ったからです。もしも長野に生まれていたら長野だったでしょう。
ここに守るものがある。自分の家族とか大事なものがあるので、その大事なものがある大館が寂れてしまったら悲しいから、だから頑張るんですよ。
次回、「大館曲げわっぱ」最終回は、未来に射す光を感じる、若き作り手にお話を伺います。