食と暮らし学 稲庭うどん

細く、独特のコシとツルツルとしたのどごしが特徴の「稲庭いなにわうどん」。その発祥とされているのが、秋田県湯沢市稲庭町です。
日本三大うどんの一つにも挙げられるこのうどんは、お中元やお歳暮など、贈答に用いられることが多く、地元秋田県民にとっても「日常的に食べるうどん」というよりは、もっと上質なイメージがあるのです。
今回は、このうどんの産地を訪ね、その「上質なイメージ」の由来に迫っていきたいと思います。

  • ①稲庭うどんの里へ
  • ②稲庭うどんができるまで
  • ③稲庭絹女うどん
  • ④美味しく食べたい!稲庭うどん
  • ⑤ふたたび、稲庭うどんの里へ
講師 秋田県稲庭うどん協同組合 山品祐一さん

編集=矢吹史子 写真=鍵岡龍門

稲庭うどんの里へ

秋田市から車で約1時間半かけてやってきた湯沢市稲庭町。山々に囲まれたのどかな町のそこここに「稲庭うどん」の看板があり、産地にやってきたことを実感させられます。
そのなかの一つ「佐藤養助商店」でうどんをいただいたのち、「秋田県稲庭うどん協同組合」を訪ね、事務局の山品祐一やましなゆういちさんにお話を伺っていきます。

日本三大うどん

矢吹
先ほど、こちらに伺う前に、佐藤養助商店さんでうどんをいただいてきたんですよ。
山品
いかがでしたか?
矢吹
コシがあって、ツルツルで。美味しかったです!
山品
稲庭うどんは、まさにそれなんですよね。コシの強さ、ツルツル感、それが特徴といわれていますね。まずは、うどんそのものが美味しい。
矢吹
日本三大うどんの一つ、と聞いたんですが、讃岐さぬきと、稲庭と……。
山品
あともう一つは、諸説あるんですよ。全国には様々な美味しいうどんがありますからね。
矢吹
そうなんですね。なかでも讃岐うどんってものすごい人気だなあって、秋田から見ていても感じるんですが、稲庭うどんは、それと並ぶものなんですね。
山品
稲庭うどんはどこにも負けませんよ! 特にうどんそのものが美味しい!
矢吹
ふふふ〜。一般的な「うどん」って、どうしても太いものを意識してしまうんですが、あの細〜いうどんが生まれた経緯っていうのは、わかっているものなんでしょうか?
山品
文献に表れているのは、寛文5年、1665年。その当時から細く作っていたんではないかとは言われていますが、なぜこのように細くなったかは、明らかではないんですね。
矢吹
そうなんですね。稲庭うどんの製造工程には「手綯てない」という独特の作業がありますけれど、それも寛文5年から?
山品
はい。当初からですね。文献に表れているのが寛文5年なので、それ以前からそうして作られていると思われますね。その発祥も、殿様が持って来たとか、北前船で回ってきたとか、いろいろな説があるようですが、断定できることはないようです。

湯沢市民も知らなかった、稲庭うどん

矢吹
うどんを作ることができたっていうことは、小麦が穫れたっていうことなんでしょうか? 秋田=お米という印象ですが。
山品
小麦は穫れていましたが、当時はうどんを作っているところは1〜2軒と少なかったので、大量に栽培する必要はなかったんですよね。
矢吹
作っているところが少なかったのに、いま、こうして続いているのは、どういうところからなんでしょう……? しっかりと産業になっていますよね?
山品
当時、このうどんは庶民は食べることはできなかったんですよ。お殿様が食べるものだったんですね。当時作っていたのが、佐藤吉左衛門きちざえもんという人なんですが、殿様から、その人が作ったもの以外は「稲庭うどん」と名乗ってはいけない、というお達しがあったんですね。
矢吹
へ〜!! 県内に住む私たちからすると、稲庭うどんって、高価なイメージがあるんですよね。実際にしっかりとしたお値段なので、食べるとしても、県外からお客さんが来たときにお連れしたり、贈答品としていただいたりするものという印象で、「日々食べるもの」というものではなくて……。
山品
そうですね。江戸時代にも、殿様から殿様への贈答品として用いられていたようです。私、今65歳になるんですけど、高校を卒業するまで、稲庭うどんの存在を知りませんでした。
矢吹
え?! こちらのかたなのに?
山品
ええ。
矢吹
えー!!!
山品
私は、湯沢市の人間ではあるんですが、山の向こう側なので、名前すら知りませんでしたね。こちらでは当たり前だったのかもしれませんが……。

「ほかに名乗ってはいけない」から、秋田名物へ。

矢吹
へ〜!! でも、今や秋田の名物になっていますけれど。そうなっていったのには、どんな背景があるんでしょう?
山品
それはですね、佐藤養助商店の七代佐藤養助氏が、地場産業を発展させようということで、技術を公開したんですよ。
矢吹
「ほかに名乗ってはいけない」というところから、発展させるために……。
山品
はい。いま、佐藤養助商店という会社がありますが、「名乗ってはいけない」と言われた、佐藤吉左衛門の家から、お婿さんでやってきたのが二代目養助という人なんですよ。吉左衛門の製造技術が無くならないようにと、技術を一緒に持ってお婿さんになっていったんですね。それ以降、脈々と、吉左衛門と養助が続けてきたんですが、その後、この技術を発展させようと公開したのが、昭和47年。
矢吹
意外に最近の話なんですね。
山品
その前にも、まねて作っているところはあったんですが。
矢吹
なるほど〜。今、いろんなお店の稲庭うどんがありますが、そういう経緯で始まったんですね。この町に来ると、稲庭うどんのお店や工場もたくさんありますよね。
山品
大小合わせると、100社くらいありますね。
矢吹
そんなに!? 吉左衛門さん1軒から始まって、今や100社に!
山品
実際の細かな数はここでも把握できないくらいなんですが。組合に入っているのは18社。
矢吹
お〜!! お殿様が食べていた、ということでの高級なイメージなのはわかるんですが、その製造工程にも高価な理由があるんでしょうか?
山品
はい。通常のうどんは1日でできるんですけれども、稲庭うどんは、完成までに最低でも4日かかります。完成までに約20ほどの工程があって、その一つの工程を行うごとに熟成させる時間があるんですね。熟成に熟成を重ねて作っていくので、それだけ手間ひまかかっているんですよね。
矢吹
宝物のように作られているんですね。それが美味しさになっているんですよね。
山品
それは私どもも自負しています!

稲庭うどんの上質なイメージは、その製造工程の丁寧さからきているようです。次回はその製造現場へ伺います。

2. 稲庭うどんができるまで につづく

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