編集・文=竹内厚
大阪府在住。編集者として雑誌、単行本、
フリーペーパーなどを手がける。
Re:Sに所属。
写真=鍵岡龍門
野天風呂を漫喫していると、出かけていた蒸ノ湯温泉の女将さんが、間もなく戻ってくるとの一報が。せっかくの機会なので、蒸ノ湯温泉の成り立ちなどを教わろうと、女将の阿部恭子さんに宿泊棟の食堂で話を聞いた。
お会いするなり一気呵成に話はじめた阿部さん、その勢いは、八幡平の大自然にも決して引けをとらない勢いで……。
- 阿部
- 私は、東京からこちらに嫁に来ました。嫁いだ当初は「3日も持たずに逃げ出すよ」なんて言われましたけど、やっぱりここの環境がすばらしくて。こういった原風景で暮らすのは、人間に生まれてきて最大級の喜びですよ。秋田県はもっとそういうことを発信しなければいけない(笑)。
- 竹内
- まさに、そのためにこちらへ伺いました。蒸ノ湯温泉の歴史も少し知りたくて。
- 阿部
- 今、このあたりは国立公園になっていますけど、その礎を築いたのが阿部のご先祖なの。八幡平への登山道、今はかっこよくトレッキングって言ってますけど、その道路を私費を投じてつくったのが阿部藤助。八幡平の8合目あたりから八幡沼のほとりまで「藤助森」という名前がついてますけど、全国にある国立公園の中で、個人の名前がつけられてるのはここしかないそうですよ。
- 竹内
- 八幡平の功労者、阿部藤助さん。それが蒸ノ湯温泉の方なんですね。
- 阿部
- そうです、うちは代々、藤助という名前を襲名していまして、私の息子で15代目。女の藤助というのはおりませんから。
- 竹内
- 女将さんは、とても由緒ある家に嫁いで来られたんですね。
- 阿部
- 主人がこの商売が嫌いで。ボンボンでしたから(笑)。それで、私がやらざるを得ない。
- 竹内
- 今の蒸ノ湯温泉は野天風呂と宿泊棟が離れていますけど、かつては野天風呂の方が中心地だったとか。
- 阿部
- そうです。もっともっと広かったですよ。今、のこっているところで4分の1くらい。奥にまだ4分の3くらいの広さはあったかな。16棟の宿泊施設が建ってましたから。それが昭和48年、突然の山津波で一気に失われました。
- 竹内
- 広々とした野天風呂だと思ってましたが、それでも往時の4分の1。
- 阿部
- 60人の従業員を抱えて、ピークの時期には600人から1000人の湯治客が泊まっていましたから。
事故から10年は、新聞にも危険だって書きたてられたこともあって、全然お客さんがなくて。60人の従業員にも2年間は給料を払い続けましたけど、さすがに会社の貯金も個人の貯金も底をついて、ギブアップしました。それからは、今の15代目がまだ赤ん坊の頃だから、私は毎日、哺乳瓶とオムツを持って、車で青森や仙台の営業にまわりました。
- 竹内
- 野性味ある秘湯だなんて軽々に思ってましたけど、そんな歴史があったんですね。そこから、また少しずつ復興されてきて。
- 阿部
- 復興なんてまだ全然できていませんよ。私は、もとの場所を掘り出して、頑丈な擁壁を築いたうえでやらせてほしいですけど、国にお金がなくて動いてもらえないんです。
- 竹内
- 国有林なので、勝手にやることもできないから。
- 阿部
- そうです。私が嫁いできた頃は、調理師界の大久保彦左衛門的な存在の板前の方もいらしたのよ。
- 竹内
- 大久保彦左衛門って徳川家のご意見番だったという。時代劇ですね(笑)。
- 阿部
- 偉い板前がいて、いろいろ教わりましてね。その方がお歳で辞められてからは、私が板前も続けてるんです。
- 竹内
- 阿部さんが女将にして板前なんですね!
- 阿部
- 葉っぱのついた大根を1本ぬいてきて「この大根でおいしい料理が何種類できるか工夫しなさい」って、そんな教えられ方でしたけどね。あとは独学。うちの宿でお出ししているのは、無添加料理、すべて地産地消ですよ。
- 竹内
- 夕食にフキの葉、コシアブラ、アザミといった山菜天ぷらがあったり、朝食からニジマスの開きだったり。野天風呂が目当てで訪ねてきたのですが、とても食事のおいしい宿だなと思ってたんです。
- 阿部
- 来てみてわかる、蒸ノ湯温泉(笑)。だから、リピーターは多いですよ。
- 竹内
- 温泉の話も聞かせてください。野天風呂にはいろんなお風呂がありますね。
- 阿部
- 昔は5種類の源泉が出てたんだけど、今は2種類の源泉を使っています。同じ成分のお湯を使ってもいいから、いろんな湯槽をつくろうと計画しています。「温泉の舞浜」にしようよ! って。
- 竹内
- 実際、温泉ワンダーランドだと第一印象で思いましたよ、野天風呂は。樽風呂なんかも面白いですね。
- 阿部
- あれは、ずっと休めていた樽なんですよ。うちに味噌蔵がひとつあって、かつて何百人もの宿泊客があった頃は、お味噌も手づくりしていたんですけど、それをやめてしまいましたから。
- 竹内
- 実は、味噌樽の転用でしたか。
- 阿部
- 息子に相談したら、同じ山で使うのだから、ご先祖も怒らないんじゃないの?って(笑)。古い樽だから、タガの部分が竹だったでしょ。
- 竹内
- お湯に夢中で、全然そんなところまで気づいてませんでした。女将さんと話をしていろんなことがわかりましたけど、こちらの温泉には、説明や案内板があまりないから、「すごい風呂だった!」だけで帰ってしまう人も多そうです。
- 阿部
- 少しずつでも伝われば。野天風呂はうちの社員ががんばってつくっています。どうにもならない場合は業者に頼みますけど。枡風呂、樽風呂とあって、最近ようやく岩風呂ができました。
- 竹内
- 自分たちでできることを少しずつ積み重ねながら、蒸ノ湯温泉を盛りあげてきたんですね。
- 阿部
- まだまだやりますよ。敷地いっぱいにやろうとしています。誰がなんと言おうと、日本一の温泉ランドをつくって、国内外の皆様に喜んでいただきます。
蒸ノ湯温泉の女将、阿部さんは、秋田県食品衛生協会長など、数々の役職も兼任。秋田県外にまで飛び回っているそう。当然、秋田の情報発信や県民性にも一家言を持つ。
八幡平の自然に向き合いながら、歴史ある温泉地を守り育ててきた、阿部さんのバイタリティに身近に接すると、蒸ノ湯温泉の印象がまたぐるりと変化した。当然、ひなびた秘湯なんて形容ではまるで追いつかない。
秋田の温泉地のひとつひとつに、これだけの自然の力とドラマが待っているとしたら……。温泉というのは、その土地を全身で浴びるための絶好の場なんだと思いを新たにする。