花火師

大仙市だいせんし大曲おおまがりにある響屋ひびきやで花火製造の現場を見せていただいた私たち。続いては、響屋の齋藤健太郎さんの実の兄であり、今年の「大曲の花火」にも参加される、大曲花火化学工業(有)の新山良洋さんにお話を伺います。

Contents

  • ①花火ができるまで 2016.8.3
  • ②花火師という仕事 2016.8.10
  • ③新山さんと花火 2016.8.17
  • ④大曲の花火にかけた思い 2016.8.24
  • ⑤いざ、大曲の花火へ! 2016.8.31

③新山さんと花火

新山
うちの会社は、元はひいじいさんが始めたんですよ。そこから、名前をいろいろ変えながら、平成14年に法人化して「大曲花火化学工業(有)」ができました。親父が会長、私が社長、弟が専務になったんですが、景気が不安定で、花火業界も全国的にかなりヤバい状態になってしまったんですよ。
矢吹
うんうん。
新山
花火なんてものは、ある意味道楽で、主催者がいろんな企業から協賛金を集めなければ開催できないわけですよ。それで、大会の規模縮小や取り止めが多くなって、どん底を見たんですね。
矢吹
はい。
新山
そうしてるうちに、弟が「独立させてくれ」って言うんですよ。聞いたら、危なくてなかなかみんなやりたがらない、狼煙のろし専門の卸業者をやりたい、と。それが響屋です。
元々、うちの狼煙は音も良いと評判で、純国産で安全性も高いということで、始めたら結構な需要で、全国からたくさん注文がくるようになって。そうやって響屋ががんばっている分、気持ちの上でも助けられて、なんとかやってこれましたね。
矢吹
良い関係性ですね。
新山
当時は「兄弟仲悪くて、喧嘩別れしたんだ」なんて言われたりしましたけど(笑)。そんなことは全然なくて、いずれは一緒の会社にしてやっていけたらなと思っていますよ。
矢吹
大変な時期もあったようですが、今、花火師さんたちは、みなさん寝る暇もなく動いてますよね。最近の花火業界はどういうかんじなんですか?
新山
最近また、盛り上がってきてますよ。地元のいろんな企業は(景気の様子が)見えないって言うけど、花火は一発で見えますよね。地元だけじゃなく、東北各地だとか、関東でもやることありますし。そうすると毎年予算が多くなっていったり、というのがありますから。減っているところはないですね。
矢吹
新山さんも健太郎さんも、代々花火師さんの家庭に育って、ほかの職業に憧れたことはなかったですか?
新山
保育園のころから、消防士になりたくて。
矢吹
火を消すほうのお仕事!
新山
それで、高校出るときに、じいさんに相談したら「消防士ってば火消すほうだべ? おめぇは火を着けるほうにならねばダメだ」って言われて。それでも、他の仕事の経験もしたほうがいいと思って、すぐに花火師にはならずに横浜で鳶職とびしょくを。
矢吹
へ〜!
新山
その後、帰ってきて、やっぱりよその花火屋で勉強したほうがいいなって考えて、じいさんに頼んで、長野県の青木煙火店さんのところに修業に行かせてもらって。
矢吹
実際、修業はいかがでしたか?
新山
1年くらいで帰ってこれるもんだろうなって思ってたら、とんでもない! もう、辛かったですよ。
矢吹
何年くらい修業したんですか?

長野県での修業時代、21歳の新山さん

新山
4年。厳しい厳しい。うちらは一歩間違えると、一発で命がないので、体で覚えさせられました。辛かったです。
1年目なんてもう、怒られっぱなしで、追い込まれて、自分がわからなくなってました。3年目くらいでだいたい自分でもやれるようになってきて、4年目になると現場を任されたりして。それでやっと自信がつきましたね。
矢吹
うんうん。
新山
それで、秋田に帰ってきたときには、現場のやりくりが全部できるようになってましたから。
矢吹
他の仕事もしたかったのに、辛いなか、よく続けられましたね。
新山
小さいころから、親の仕事を見てるじゃないですか。いずれは花火師としてやっていくんだろうなっては、何となく思ってましたよ。それに長男だったんでね。ただ、消防士には一番憧れていましたけどね(笑)。
矢吹
弟さんも花火師さんですし、やっぱり小さい頃から見ていると染み込んでしまうんでしょうね。新山さんが花火師を続けられているなかで、大事にしていることって、どんなことですか?
新山
世界各国の紛争で命が奪われてる状況で、同じ火薬を使って、片方は人に感動を与えるような仕事、でももう片方は人を殺してしまう材料。
矢吹
点火装置も、元は軍事用に作られたものなんですよね。
新山
同じ火薬を使って……切ないじゃないですか。確かに自分たちが使っている火薬も危険で、命を落としてる人もいますけど、少なくとも花火が上がると、子どもからお年寄りまでみんな歓声を上げてくれる。
平和な国でなければ、花火を見て楽しむ、っていうことはできないんですよね。感動だとか、癒しだとか、火薬をそういうものに活用してもらいたい。
矢吹
今年の冬、秋田の劇団わらび座さんでやった「どどぉ〜ん!大曲の花火物語」というミュージカルのなかでも、ドイツが統一するときに、大曲から花火師さんたちが出向いて花火を上げたっていうエピソードがあったんですけど、実話なんですよね?
新山
当時、うちのじいさんも現地に行ってましたよ。
矢吹
そうなんですか?!
新山
「ベルリンには壁があるけれど、空に壁はない。日本の花火はどこから見ても同じ形に見えます。西のかたも東のかたも楽しんでください。」ということで花火を上げて、そのあとしばらくしてからベルリンの壁が崩壊になったんですよね。
私が作った花火も、平和の道具に使ってもらえたら、と思いますね。それが一番の願いです。

花火師としての夢を聞かせてくださった新山さん。次回は、間近に迫った「大曲の花火」を前に、その見所や今年の意気込みを伺っていきます。

④ 大曲の花火にかけた思い へつづく >>

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