

澁谷さん、「デザイン」ってなんですか?
2019.07.31
美術系の大学に通っていたわけでも、絵が上手いわけでもない私にとって、「デザイン」は未知の世界。デザイナーという職業に対するイメージも、「おしゃれな服やポスターを作る人」というかなり表面的なものでした。
しかし、なんも大学編集部に入り、初めてプロのデザイナーさんの仕事を間近で見て感じたのは、デザインはいわゆる「ものづくり」とは違うらしい、ということ。
じゃあ、「デザイン」ってなんだろう?
この疑問に、正解も不正解もないかもしれません。でもなぜかとても気になる……よし、ならばデザイナーさんに直接聞いてみよう!
ということで今回、秋田県・美郷町を拠点に活動するデザイナー、澁谷和之さんのデザイン事務所を訪れました。



澁谷さん- いや〜、なかなか難しい質問ですね(笑)。
ちなみに、成田さんが思う「デザイン」ってどんなものですか?
——うーん……「無駄なものをそぎ落として、見せたい部分をわかりやすく見せる」みたいなことですか?
澁谷さん- なるほど。これはあくまで僕の考えだけど、無駄なものをそぎ落とすというよりは、「目の前にある素材をわかりやすく整理、配置して差し出す」って感じだと思います。

澁谷さん- なんも大学の編集部にも、デザイナーさんがいますよね。原稿を見て、タイトルの文字色やサイズを決めて、フォントの種類を決めて、使用する写真を選び、行間隔の調整をする、ということをされているんじゃないですか?
——そうですね。そのデザインによって、記事で言いたいことがより伝わりやすくなるのがすごいな、と。文字の大きさや色をちょっと調整するだけで、ガラッと印象が変わったりして感動します。
澁谷さん- ビジュアルひとつで、読者が受ける印象はだいぶ変わりますもんね。
——だから、デザイナーさんは一体どんな視点で物事を見ているのか、すごく気になるんです。
新しい世界
——そもそも、澁谷さんがデザインに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
澁谷さん- 率直にいうと、きっかけは僕の奥さんなんです。
僕は小さい頃から絵を描くのが好きだったんだけど、両親ともに公務員ということもあって、自分もいずれ学校の先生とかになるんだろうと思っていました。
でも、高校生の時にバスケ部の監督と喧嘩して、3ヶ月で部活を辞めてしまいました。そんな人間が、先生なんてなれるわけないですよね(笑)。
そんな時に出会ったのが、同じ学校に通っていた今の奥さんでした。それから、写真部だった彼女とカメラ片手に町を歩いたり、アートやデザインの本を貸してもらったりするようになったんです。

澁谷さん- ずっとスポーツばかりやってきた自分には、彼女が見せてくれるものはどれも新鮮で楽しかった。そしたら、絵を描くのが好きだった昔の自分が少しずつ戻ってきて、そこで初めて「デザイン」に興味を持ちました。
手にしてしまった肩書き
澁谷さん- 高校を卒業して、宮城大学の空間デザインコース(建築デザイン専攻)で学んだ後、東京の広告代理店に就職した僕は、そこでついに「グラフィックデザイナー」という名刺を手にしてしまいました。
——「手にしてしまった」?

澁谷さん- デザインの「デ」の字もわかっていなかったのに、デザイナーという肩書きをもらってしまったんです。しかも、それだけで自分はすごいデザインができるようになったぞ、って勘違いしていました。
たとえば、映画のポスター制作の依頼がきたとして、タイトルに使う色を選ぶ時、その頃の僕は「なんかこの緑色めっちゃオシャレ!」みたいな“感覚”だけで決めていたんです。
だから、「なんでこの緑色が良いと思ったの?」と聞かれても、明確な理由を答えられなかった。「なんとなく」とか「◯◯っぽいから」みたいなことしか言えなくて。それを「デザイン」とは呼べないんですよね。

澁谷さん- それでも、広告代理店で働くなかで、いろいろなジャンルのデザインに触れることができたのは本当に良い経験でした。
でも、もうすぐ30歳を迎えるという時、父のガンが見つかったんです。2009年の1月はじめに電話がきて、次の春に桜が見られるかどうかわからないと言われて、それで僕、翌日には会社に辞表を出してました。
——え!?
澁谷さん- 今考えると本当に恐ろしい(笑)。会社の皆さんには迷惑をかけてしまったし、なんであんなことができたのか、自分でもよくわからないです。
農業とデザイン
——でも、すぐ動けたということは、いずれ秋田に帰ろうという意識があったんですか?
澁谷さん- 正直言うと、30代半ばくらいまでは東京でがんばりたかった。でも、頭の片隅でぼんやりと「結婚したらどこで子育てしようかな。秋田でもやれるかもな」とは考えていました。
そういう将来のことって、真剣に向き合えずに後回しにしがちじゃないですか。だから、言い方が正しいかわからないけど、あれは親父がくれたチャンスだったかもしれない。

澁谷さん- それで、東京で出会ったデザイナーさんたちに、秋田に帰るって言ったら、みんな口を揃えるかのように同じことを言うんですよ。「秋田に帰ってデザインで食えるの?仕事あるの?」って。
——あ〜。
澁谷さん- それを聞いた瞬間、猛烈に違和感を覚えてしまった。「それって、東京にいなきゃデザインできないってこと?」って。
秋田では、その頃から自殺率の高さや少子高齢化のような課題がたくさんあったから、僕はむしろ「秋田ほどデザインが必要な場所ってないんじゃないか」と思っていました。
それで、戻ってきてしばらくは特に何もしてなかったんだけど、父が兼業農家だったから畑と道具が残っていて、「種まいて野菜育ててれば一応生きていけるな」って思いました。
——すごいポジティブ!


澁谷さん- 近所に、畑を作るのが上手なおばあちゃんがいて、畝の幅をあと10㎝広くしたほうがいいとか、水や堆肥の分量、測り方のアドバイスをくれるんです。
そして、「ここにはニンジン、こっちにピーマン、畑の入口には大根」というように、おばあちゃんたちは長年の経験値から、畑のどこで何を育てるか決めていきます。

澁谷さん- この絵、何かに似てると思いませんか?
——何でしょう……家の間取りとか、設計図ですか?
澁谷さん- そう! 畑は、人間が効率よく動いて、野菜を上手に収穫していくための設計のデザインだったんです。
——パソコンから離れて畑に立ちながらも、思考はデザインとリンクされてますね。
澁谷さん- そうなんですよ。たとえば、メロンを作った時も、味はもちろん大事だけど、僕としてはあの皮までメロンの全てが愛しくて仕方なかった。そのうち、網目がそういうテキスタイル(布地)に見えてきて、初めて作ったメロンの皮に墨を塗って「メロン拓」をとりました。

——魚拓ならぬ、メロン拓(笑)!
澁谷さん- 秋田に戻って畑に立ったことで、「メロンもパッケージも両方作れますよ」って言えたら、僕はすごく土くさい「秋田のデザイナー」になれると思った。自分にとって、デザインが形として見えた初めての瞬間でした。
曖昧さはいらない
——デザインと農業が組み合わさったことで、一つの転機を迎えたのですね。
澁谷さん- でも、それ以上の転機が、その後に始まるフリーマガジン『のんびり』の制作に関わったことでした。自分のデザインについて深く考え直させられましたね。

澁谷さん- 本来なら、取材の場にデザイナーはいらなくて、ライターとカメラマンがいれば成り立ちます。でも『のんびり』はそうじゃなかった。
——デザイナーも現場にいることが必須だった、と。
澁谷さん- 現場にいると、すべてがダイレクトに伝わってきますよね。話している人の声、服の色、カメラのシャッター音、田んぼの土の匂い。そうやって現場で吸収した感覚を、僕はそのままデザインに定着させなきゃいけなかったんです。
でも、実際はそれがまったくできなかった。編集部のみんなにも「あの場で本気で感動したなら、この書体は選ばないでしょ」とか、しょっちゅう言われてました。

澁谷さん- やっぱり、どこか他人事だったんです。感動する力が全然足りなかった。何も感じないとまでは言わないけど、もっともっと気持ちを入れて、現場で吸収したものを「自分事」にしなきゃいけなかった。「なんとなく」じゃダメなんですよね。
だから僕は、本当にすごいデザイナーさんは「人間力」があると思っています。人の気持ちに寄り添えるとか、素直に泣いたり怒ったりできるとか、そういう経験値の積み重ねがあるからこそベストな選択ができる。
——私も、記事のタイトルがなかなか決められなかったり、使う写真を選ぶのに何時間も迷う時があるんですけど、そこで「なんとなく」に逃げてしまうと、表に出る前にすぐ見抜かれます。
澁谷さん- うんうん。そこに、曖昧さなんて一切要らないもんね。

澁谷さん- でも、そうやって指摘され続けたおかげで、少しずつ自分に正直にいられるようになりました。写真一枚選ぶのも怖かったのに、自分が「これだ!」と思うものを堂々と選べるようになっていきました。
——その変化は大きいですね。自分に正直になるって、いちばんの強みだと思います。
自分事にするために
澁谷さん- 少し話が逸れてしまうけど、自分の中から自然にわき上がる疑問ってすごく大事だと思うんです。今回の「デザインってなんだろう?」みたいに。
基本デザイナーの仕事って、用意された素材をもらうところから始まるので、どうしても受け身になりがちです。でも、今の自分には、デザインの前の段階から取り組むことが必要だと思うんですよ。
——素材を用意するところから自分でやる、みたいなことですか?
澁谷さん- そうです。自分の中にある疑問や問題意識を言葉にして、編集を重ねていって、最後にデザイン、という一連の流れを全部ひとりでやってみることで、何か見えてくるんじゃないかと。
そこで、企画、取材、編集、デザインまですべて携わって完成したのが、この『みさと働きびと』という教材なんです。

澁谷さん- これは、美郷町の中学生全員に配布されている教科書なんです。授業のカリキュラムに組み込むことで、3年間かけてじっくり読み進めていきます。
——結構分厚いですね。ブルーベリー農家、漆作家、ラジオDJ、酒蔵の杜氏に手品師! 教科書に載っている人たちが同じまちに住んでいるって、なかなかないですよね。


澁谷さん- 今、秋田の人口は100万人を切って、特に若者はどんどん県外に出ていきますよね。それに対して、「これ以上減らないように食い止めなきゃ!」って言われてるじゃないですか。でも、僕はそこに違和感があったんです。
——無理に止めることではないというか……出たい人は出ても良いですよね。
澁谷さん- 僕もそう思う! ただ、今の子どもたちには、何も知らないまま出ていくんじゃなくて、秋田にも自分で稼いだお金で生き生き暮らしている大人がいるということを知ったうえで、外の世界に目を向けてほしいんです。

澁谷さん- 僕自身、「こんな田舎に仕事なんてあるわけない」って、この土地のことを何も知らないまま飛び出ました。というか、知ろうとすらしてなかった。
——確かに、これを読んでから出て行くのとそうじゃないのとでは、心持ちがだいぶ違いますね。
澁谷さん- 今から10年後の未来で、これを読んで美郷町に戻ってきましたって子がひとりでもいてくれたらうれしいですね。
澁谷さん、デザインってなんですか?

——これまでの経験から、澁谷さんの中の「デザイン」は絶えず変化していると思うんですが、今はどう感じていますか?
澁谷さん- うーん……言葉にするなら「家族」とか「自分事」っていうのが自然と出てきますね。
お客さんが個人でも企業でも役所でも、「もし自分の家族だったら」と思ってお話を聞いて、相手が抱えている問題を自分事として考えるようにしています。

澁谷さん- だから、たとえ相手の要望や意見を否定することになったとしても、遠慮せずはっきりと伝えます。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、振り返ってみると、そういう距離感でお仕事できた方々とは、長くお付き合いが続いているんですよね。
——でも、お客さんの要望に反対する時は相当勇気がいるのではないですか?
澁谷さん- もちろん、勇気もエネルギーもたくさんいりますし、正直怖いと思う瞬間もあります。でも、そこから生まれたものが、これからの秋田にしっかり根付いていくことがいちばん大事だから。それだけは忘れたくないんです。
……なんて偉そうに言ってますけど(笑)。僕だって、デザイナーとして全然経験値が足りません。まだまだこれからですよ!

秋田に暮らすデザイナーとして、目の前の問題を自分事として捉え、さまざまな要素を整理しながら解決の糸口を探る澁谷さん。
絵心もなくデザインソフトも触れないけれど、このような「デザインの思考」を持って、経験値を積み重ねていくことはできるかもしれない。そんなことを考えながら、取材終わりにいただいたお土産のキュウリをかじっています。
澁谷さんのブログ【泣いた“なまはげ”の天気読み】http://blog.livedoor.jp/akitanamahage/