
風の人が去ったあと、土の人はどうしてる?
2019.10.23
秋田県が2012年から2016年まで制作、発行していたフリーマガジン「のんびり」。「秋田からニッポンのあたらしいふつうを提案する」という思いのもと、4年間で全16号を発行。全国に配布され、今でもファンがたくさんいる冊子です。

現在、秋田県立美術館では、この「のんびり」にスポットを当てた写真展「あこがれの秋田」が開催中。

これまで「のんびり」の制作に携わってきた錚々たる写真家が撮影した秋田の表情や、「のんびり」の誌面に用いた写真やオフショト、また、この展覧会のために新たに撮影した写真や取材の展示など、見応えたっぷりの内容となっています。


10月14日、この展覧会のなかで「風の人が去ったあと、土の人はどうしてる?」というトークイベントが開催されました。これは、のんびりの制作に携わってきた、秋田メンバー4名によるもの。
「のんびり」の編集体制で特徴的だったのが、総勢10名ほどのスタッフが「秋田メンバー」と「県外メンバー」で構成されていたこと。そして県外メンバーは、編集長をはじめ、カメラマン、デザイナーなど、全国の第一線で活躍している人たち。その経験値やものづくりの姿勢に背中を押してもらうようにして、秋田メンバーは一号ごとに成長してきました。

秋田に来ては、この土地にあたらしい風を吹かせていく県外メンバーは、いわば「風の人」。それに対して、その風を受けながら秋田の土地に根を張って暮らしている秋田チームは「土の人」といえます。
風と土が一緒にものづくりをすることで、あらたな「風土」を生む。そんな考えのもと作られてきた「のんびり」。その発行終了から3年が経った今、「土の人」たちはどうしているのでしょう?
4人の話から、秋田のローカルメディアの今が見えてきます。

- 矢吹史子(編集者)
秋田市出身。秋田市育ち。地元の美大卒業後、フリーランスでデザインの仕事してきたのち、2012年の創刊時より編集者としてのんびりに携わる。現在は「のんびり合同会社」の代表を務める。
- 澁谷和之(デザイナー)
美郷町出身。宮城県の大学を卒業後、東京の広告代理店にデザイナーとして勤務したのち、2009年に秋田に戻り「澁谷デザイン事務所」として独立。「のんびり」には2012年の創刊時よりデザイナーとして携わる。
- 船橋陽馬(カメラマン)
男鹿市出身。東京への進学、ロンドン留学などを経て、2012年に秋田に戻りカメラマンとして活動。2013年からは北秋田市阿仁根子集落に居住。「のんびり」には2014年より携わる。
- 高橋希(カメラマン)
秋田市出身。東京の大学を卒業後、都内でカメラマンとしての活動を経て、2013年に秋田市に戻り活動を続ける。同年より「のんびり」にも携わる。
風の人○○と私

矢吹- 「風の人」というのは、ここでは県外のクリエイターのことなんですが、私たちにとって、その人たちとの出会いや、それによる変化というのはとくに大きかったと思います。それぞれにとって印象的な「風の人」について、聞かせてもらえますか?

澁谷- 僕は「のんびり」ではデザインをやってきましたが、その上に「アートディレクター」という誌面の全体のデザインを統括するポジションがあって、それを担当していたのが大阪の堀口努さんという方で。僕にとっての風の人は、この堀口さんです。

澁谷- 「のんびり」のデザインでは、極端にいうとテクニックなんかはどうでもいいんですよ。それよりも、現場で「イイ!」って思ったシーンとか、たとえ写真がブレていても「こっちのほうが現場の感じが伝わるよね」っていうのを選ぶ力が求められたと思います。だから、小ぎれいにまとめていくとすぐにダメ出しされました。
矢吹- ふふふ。
澁谷- 自分がどれだけ感動したかが問われる感じがありましたね。泣く力、笑う力、怒れる力がないと絶対に作れなかったと思います。自分は感情があるほうだと思っていたんですよ。でも、それが浅いっていうことを知りましたね。
「パソコンを触る、その手前のところをもっと考えなアカンで」って、何度も言われてきました。

澁谷- それから、入稿直前の深夜に「澁谷くん、この写真もう2ミリずらして」っていう指示がきたりするんです。
「マジすか?」って思うんですけど、それをすると劇的に変わるんですよね。「のんびり」という冊子が自然に読めるのには、こういうデザインの力なんだなって思いますね。
矢吹- ダメ出しされては這い上がって……というのを、毎号毎号繰り返したね。
澁谷- 土っていうより、泥から這い上がってね(笑)。堀口さんは、いまだに緊張して電話もメールもなかなかできないくらい恐れ多いんですけど、根底にある部分はめちゃくちゃ優しい方で。乙女おじさんですからね。
- 会場
- ははは〜!
矢吹- 愛しかないんですよね。
澁谷- 堀口さんが言う「デザインは真心やで」という言葉には、すごい重みがあるんですよね。
矢吹- 陽馬さんにとっての風の人は?

陽馬- カメラマンの浅田政志さんですね。僕、秋田に戻る前に東京で個展をしたことがあったんですけど、じつはそこで初めて作品を買ってくれたのが浅田さんだったんですよ。お互い、まさかのんびりでご一緒することになるとも思わず。


陽馬- 「のんびり」でご一緒してからは、浅田さんはことあるごとに東京からわざわざ電話をくれたりして。堀口さんの真心、愛の話が出てましたけど、浅田さんもそうで、すごく気遣ってくれる。
写真を見ればみなさんにも伝わると思うんですが、とにかく、写真に対する愛、被写体に対する愛、仲間に対する愛が深くて、人と向き合う姿勢は勉強になっていますね。

陽馬- じつは、浅田さんに出会うまでは僕は人を撮るのは得意じゃなかったんですけど、浅田さんに出会ってから、コミュニケーションの仕方、被写体との距離の取り方っていうのを考えさせられるようになって。浅田さんに負けないくらい、人を撮れるようになりたいと思うようになりましたね。
矢吹- 「のんびり」では、3人のカメラマンが同じ現場で撮影するっていう、珍しい手法をとっているんですよね。3人いることで、多角的に現場を撮ることができて臨場感のある記事になっていくんですが……。
陽馬- 最初はその状況に付いていくので精一杯で。みんなが何を感じているのかっていうのをずっと考えて「今、こういう写真を撮ったほうがいいんじゃないか」ということを判断するんですよね。
それと同時に「いかに自分の写真を使ってもらうか」っていうのはカメラマン同士の戦いで。ほんとに、でき上がったデザインを見るときはドキドキでしたね。カメラマン3人で動くっていうのは刺激的な日々でした。

矢吹- 私にとっての風の人というと、何といっても編集長の藤本智士ですよね。 私は、「のんびり」を始めるまでは10年くらい、秋田でデザインの仕事をしていて、「のんびり」で初めて編集という仕事に携わったので、そのイロハが全くわからない。
とはいえ、手取り足取りやり方を教わるわけでもなく、とにかく手探りでスタートしました。
でも、折に触れて藤本さんが言ってくれたのが「何かあったら僕が全力で守るから、思い切ってやってごらん」っていうことでした。それがあったから、怖がらずにできたと思っています。

矢吹- それと、「のんびり」を始めてしばらくしてからかな? 藤本さんから「ヤブちゃんは秋田そのものなので、ヤブちゃんが変われば秋田が変わるから」って言われたことがあったんですよ。「それってどういうことかな」って、いつも考えていたんですが、だんだんわかってきて……。
私は、元々の性格がかなり閉じていて、あんまりウェルカムじゃないほうなんですね。
陽馬- 知ってる!
澁谷- めっちゃ知ってる!!
矢吹- (笑)でも、仲良くなると……。
澁谷- すげぇ寄ってくる! 酒飲むとヤバい!

- 会場
- ははは!
矢吹- 秋田の人って、どこかそういう気質がありますよね?
- 会場
- うんうん。
矢吹- あとは、よそ者が来たら「なんだこいつ」って疑ってみたりとか、そういうのが、秋田の人たちには少なからずあると思うんです。最初は藤本さんに対してもそう思っていましたし(笑)。
デザインをしていた頃も「どうせ秋田じゃ雑誌なんて作れない。田舎だからしょうがないでしょう」って思っていたんですよね。そういうハードルみたいなものを、「のんびり」をやることで取り払うことができた。むしろ、秋田だからこそできることもあったりして。

矢吹- 全力でやれば、全国の人たちにも響くような雑誌を秋田からでも作ることができるということとか、取材をしたことで町がちょっとずつ変わっていくとか、そういう現場を体感することで、私自身が秋田を肯定できるようになっていったと思います。
そういうことを、体当たりで教えてくれたのが、藤本さんでしたね。 とにかく、全力でやらないと乗り越えられないんだけれど、そういう機会を常に与えてくれて、「もう少し飛べるんだよ」っていう、先を示してくれるというか。そういう存在です。

希- 私は、みなさんとは関わり方が違っていて、メインの特集には携わっていなかったので「風の人」との関係性というのはあまりなかったんですが、じつは、私が東京から秋田に戻ってくるきっかけになったのが、「のんびり」なんです。
こういう雑誌が秋田で制作され始めたと知ったときに「秋田に戻ってもやりたい仕事があるかもしれない」と思えたんですね。
矢吹- 希さんとは「のんびり」では、秋田ならではのテーマを秋田チームだけで取材するという、5〜7ページの特集でご一緒させてもらって。
希- 基本的には矢吹さんと2人でまわる取材形式だったんですが、大きな特徴として、「のんびり」の取材はラフがないんですね。例えば、「とんぶり」というテーマで特集を制作したときも「とりあえず、畑に行ってみよう」から始まって、その場その場で交渉したり取材したりしながら、最後には、とんぶりを使ったメニューの提案をしたり。


希- 7ページの特集を作るのに3日くらいかけてじっくり取材する。 雑誌の取材でそこまで時間をかけるのは珍しくて、都内でカメラマンをしていた私にとっては、逆にカルチャーショックというか(笑) 。
そして、取材中は何も指示がないのですが、制作過程の最後に「あの写真、あります?」という恐怖のひと言があったりするので、とにかくたくさん撮って(笑)。構成を想像しながら撮るクセがついたし、とても鍛えられましたね。
矢吹- 私が未熟ということでもあるので……申し訳ありません……。
でも、「のんびり」というのは、現場現場でいま何が大事なのかを、立場を越えて考えて、それをチームで共有しながら形にしていくっていうものでしたね。
ユカリロ
矢吹- ここからは、「のんびり」を経て、現在のみなさんの活動をご紹介できたらと思います。
希- 私は2013年に秋田に戻ったとき、「のんびり」の仕事をいただいていたんですがそれ以外のツテがほぼありませんでした。それに、20年も秋田から離れていて趣味の合う友だちもいない状況だったので 、自分の居場所が欲しいという気持ちがあって。 表現の場所の一つとして「ユカリロ」というリトルプレスを作り始めました。

希- 私とちょうど同じ時期に東京から秋田に引越してきた編集者の三谷葵という女性と一緒に始めたのですが、秋田で編集という仕事がなかなか認知されていないなかで、彼女も表現できる場を求めていたんですね。
2013年に結成して、創刊号が出たのが2015年。これが創刊号ですね。

矢吹- 特集が「冬、秋田で仕込むもの」。
希- たとえば、凍み大根。厳冬期、皮を剥いた大根を家の軒先に干すと、凍っては溶け、凍っては溶けが繰り返されるうちに、細かい穴があいた乾物のヘチマみたいになって、保存食として重宝されるんですね。これは角館に取材に行きました。
それから、いぶりがっこって、漬けてから干すのか干してから漬けるのかもわからなくて、それを取材しに行ってみたり。

希- 私は秋田出身ですが、18歳までしかいなかったので、手仕事とか名物料理とか、秋田の文化をほぼ知らないままでした。なので、見るものすべてが新鮮というか「こんな文化や食べものがあるの ?!」と感動しながら取材していましたね。


希- ユカリロは広告などは入れず、完全に自費で作っています。仕事ではなく、自分たちが表現したいものを挑戦する場所ですね。

希- 締め切り直前になると、納得がいかない写真でも「まあ仕方ないかな」と諦めそうな自分がいるんですけれど、それをやってしまうと自分に負けたことになる。
「この壁を越えなければならない」と思って毎回作り続けているし、そういう場を自分たちで作って、 実験や挑戦ができるのはありがたいことだなと思っています。
矢吹- 希さんは編集の目を持って、写真を撮っているように感じます。
希- 私が秋田に戻ってきて意識していたことは、秋田でカメラマンとして活動している方がすでにたくさんいるのだから、私は違う視点の撮影方法を提案しないといけないということでした。ユカリロでも同じように、ほかにはあまりないような視点で作っていきたいなと、二人で考えていますね。
それから、内容は秋田の話でも、他の地域の方が読んでもおもしろく 読めるような内容を意識しています。年に一度は、東京で開催される ブックマーケットに出店しているんですけれど、秋田にゆかりがない方でも内容に興味を持って買っていってくださるので、ありがたいなと思っています。
勝手に宣伝組合
澁谷- ユカリロさんはポップで、女子二人で軽やかにやってるんですけど、僕らはこんなんですよ(笑)。

- 会場
- ははは〜!
澁谷- こんな暑苦しい二人でやっているのが「勝手に宣伝組合」です。名前そのままに、勝手に、自分たちがいいと思ったものを宣伝しています。
もともとは、2012年に「のんびり」で初めて本を作るということに関わって「本って、こういうふうに伝わるんだ!」って実感したんですよ。
そしたら、2013年に横手市のお母さんグループから「郷土料理のレシピをのこしたい」という相談が来たんですよ。それがこの「台所だより」ですね。

澁谷- これを作ったのは、「のんびり」に関わってまだ1年くらいの頃で、これは勝手に宣伝組合としてではなくて、仕事としていただいたんですけれど、陽馬くんともまだよそよそしい感じのころで。でも、一緒に作ったら湧いてきたんですよ。「これだ!」って。
本を作って、すごく喜んでもらえたこともあったし、「のんびり」は藤本さんや堀口さんっていう絶対的な「風」がいるなかで「自分たちだけでも何かできるんじゃねぇか?」って思えたんですよね。
「もう、勝手にやっちゃえばいいじゃん」って。さっき、希さんが言っていたのと同じく、お金じゃなく、伝えたいっていう思いがぶわっと出てきて「勝手に宣伝組合」を立ち上げました。「土」の活動スタートです。
それから二人で、いくつかの冊子や広告を作ってきています。


陽馬- そして、これは2018年の10月に作ったものなんですが、僕の暮らす、根子集落の本です。

陽馬- 僕は2013年に北秋田市阿仁の根子集落というところに移住したんですが、最初は賛否両論、集落の方々からもいろいろ言われました。よそ者が小さな集落に入ってくるっていうことで。
そのなかで、一番に反対していた人がいたんですが、僕がその集落で暮らして数年経って「息子を授かりました」と報告しに行ったときに、風曉(陽馬さんの息子)は根子の宝だ」と言ってくれて。それに本当に感動したんですね。それで、集落のために何かできることはないかなって思って、この本を作ることにしました。

陽馬- そこから、澁谷さんと2年かけて取材していきました。今や澁谷さんは根子集落のことを僕以上に好きなんじゃないかっていうくらい、とにかく通ってくれましたね。

澁谷- 僕が住む美郷町から片道2時間かけて2年間。通いましたね〜。じつは、僕も先日子どもが産まれたんですけど、集落のみなさんが「澁谷さんの子どもに会いに行きてぇ」って言ってくれるんですよ。2年前までアカの他人だった人たちがそう言ってくれるって、すごい幸せなことだと思うんですよ。お祭りで自分にも役割を与えてくれたりね。
そして、この集落に通うことで、自分が住んでいる集落のことも好きになってきて。これを本にすることで手に取ってくれた人たちにも、何かメッセージが伝えられるんじゃないかと思うんですよね。
なんも大学
矢吹- 私は「のんびり」を終えてからはひたすら、「なんも大学」をやっています。 「なんも大学」というのは、秋田県が発行しているウェブマガジンで、その取材や制作に携わっています。
この会場に展示しているのは、ここ2年くらいの記事になりますが、陽馬さんや希さんにもカメラマンとして入ってもらっていますね。

矢吹- 4年やってきたうちのはじめの2年は、秋田犬、なまはげ、もろこしなどの「秋田といえば」というようなものをテーマに、4〜5週に分けてしっかり掘り下げて取材していきました。
秋田のコンテンツって、そこまで深い掘り下げ方をしているものって少ないのでは?ということもあったし、たとえば「秋田犬」って検索したときにあまりいい情報が得られないなあっていう実感が根本にあって。

矢吹- それに、「のんびり」のような冊子だと部数が限られているので、みんなが記事を見ることができるわけではありません。でもウェブだったら、検索すればいつでも誰でも情報にたどり着くことができる。そういうオープンでアーカイブされた情報がこれからは大事なんじゃないか、ということでチャレンジしています。

矢吹- ここ2年は「秋田といえば」というテーマから「秋田のいいとこ」と題して、市町村をテーマに切り替えて月に一つの市町村を決めて旅をしていて、4〜5週でその町のさまざまなコンテンツを取材していっています。もう間もなく、全市町村を回り終えようとしていますね。

矢吹- 「のんびり」を終えてからウェブに切り替わる、となったときは「止めないで」とか「紙が良かったのに」とか、たくさんの反響が県や私たちに届いて。
私も正直、ウェブには疎いので、なかなかポジティブに考えられなかったし、毎週休まずアップするのもかなりハードだったんですが、とにかく修行のように毎週アップしてるうちに、ウェブならではの広がりが見えるようになってきました。
それに3年目くらいから、当初から目指していた「アーカイブ」という要素が動き出してきた実感があって、「秋田犬のことを調べるのに、なんも大学を参考にしました」とか言われるようになって、だんだんとやってきたことが実ってきたように感じています。
いちじくいち
矢吹- なんも大学以外にやっていることというと「いちじくいち」というのもあります。これは先日、10月5日、6日に今年の開催を終えたばかりですが、この実行委員として企画、運営に携わっていて、今年で4回目の開催となりました。

矢吹- にかほ市の旧上郷小学校という廃校になった学校を会場に、この土地で採れる「北限のいちじく」の販売を軸に、全国から約45店舗の飲食店や雑貨店にも出店してもらって開催したマルシェイベントです。おかげさまで今年も2日間で6000人以上という来場がありまして。ありがとうございました!

矢吹- これは、ユカリロや勝手に宣伝組合のみなさんの活動とは違って、文章を書いたり、手に取ったりできる媒体ではないんですけど、こういうイベントも編集だと思っているんです。
全くゼロの、仕組みを考えるところから一年ごとに積み重ねてきているんですが、今年は特に、1日目に地元の仁賀保高校の1年生70名がボランティアで入ってくれたり、にかほ市役所の職員の方々が、駐車場の整備やシャトルバスの手配などに尽力してくださったり。
元は自分たちで企画したイベントではあるんですが、町の人たちの力で動いていくイベントに変わりつつあります。

矢吹- このイベントも、今日の話にあったように、関わるみんなが「自分で考えていく」「自分ごとにしていく」っていうものに変わってきていて、それが一番の成長だなあと思っています。
ハラカラ
矢吹- そして、「土の人たちのこれから」ということで、ユカリロさんと勝手に宣伝組合さんからお伝えしたいことがあるとのこと。
希- はい。秋田魁新報社の文化部さんからお声掛けいただいて特別企画の「ハラカラ」 がスタートしました。
「月に1回、紙面一面を自由に使って何かおもしろいことをやってみませんか」という、新聞社としてはなかなか大胆なお話で。そんな機会があるとは思っていなかったので驚きましたが、かねがね秋田のリトルプレスはクオリティが高いと思っていましたし、横の繫がりで一つのものを作るということもチャレンジしてみよう!ということで、勝手に宣伝組合さん、秋田人形道祖神プロジェクトさんと一緒に紙面作りをさせていただいています。
毎月第4金曜日に掲載されるんですが、毎回、ああでもないこうでもないと言いながら作っています。

希- 秋田の新聞だからといって、秋田縛りのテーマにする必要はないだろうというのが最初に考えたことです。秋田魁新報社さんの「地方紙の未来」にかける思いをなんとか読者に伝えたいという意気込みも強く感じましたし、同時に自分たちも地方紙というローカルメディアを通して普段は繫がりにくい読者や書き手と繫がりたいと考えました。
「ハラカラ」では 秋田に限らず「ローカルメディア」を軸にして、これから、他県の人たちとも交われるようにと考えています。
澁谷- 嬉しいよね! 今まではそれぞれ別に動いていたものが一緒にできるなんて! そして、このハラカラって、紙面自体がすごく自由なので、それこそ「今度はヤブちゃんとも一緒に!」っていうことだってできるかもしれないし。
矢吹- やりたいです! 声がかからなくて寂しいんですよ……。
- 会場
- ふふふふ。
希- これからは、横や縦の繫がりを存分にいかして、刺激を与え合って深めていくことがより重要だと思っているので、いろいろな方と関わりながらやって行けたら嬉しいですね。
矢吹- ハラカラもそうですが、土の人として、何か目指していることなどはありますか?
澁谷- じつは「勝手に宣伝組合に入りたい」っていう、奇特な人も現われたりしているんですよね。

陽馬- そうなんですよ。その話をもらったとき、すごく嬉しくて。その方とはまだ、何をどういう形で「勝手に宣伝」したいかわからないんですが、共感できたら、一緒に宣伝させてもらいますよ。もちろん、かかる費用は一緒に出してもらいますけどね(笑)。
- 会場
- ふふふふ。
希- ユカリロも仲間を募集していますので、興味があるかたはぜひ。
矢吹- 私も同じで、編集というものを次の世代に繋げていくために一緒に頑張ってくれる方を募集中です…… こちらは勝手にはさせられませんけど(笑)。やってみたいという方は、ぜひご相談ください!
風の人たちによって強くなった土の人たちが、さらに土壌を豊かにしていく 。これからの秋田のローカルメディアはますます面白くなっていきそうです。
「あこがれの秋田」は10/27(日)まで開催しています。風の人と土の人が織りなす世界を是非、ご覧ください!
