秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:竹内厚 写真:船橋陽馬

九十九島くじゅうくしまの楽しみかたを探そう

2018.09.26

にかほ市には全国的に知られた名所旧跡があります。それは、象潟きさかた九十九島くじゅうくしま

かつては、無数の島々が湖に浮かぶ風景が見られた景勝地で、江戸時代には宮城の松島と並び称されてきましたが、なんと1804年の地震で地面が大きく隆起して、水はなくなってしまいました。

そもそも島ができたのは、さらにぐぐっとさかのぼって紀元前466年。鳥海山が崩れて、岩なだれが川に沿って海に流れこんだことから。それから後、潟湖となって九十九島、あるいは八十八潟として知られるようになったということです。

紀元前の出来事まではっきりと時期が特定されていることに感心しつつ、それにしても地球ドラマチックな土地だなと感じます。
今では、水田の間にかつての島がいくつも丘のようにのこり、ちょっと他では見ない奇景に。

島の大きさはいろいろ。すべての島に名前がついている。
こちらの駒留こまどめ島には“上陸”することもできる。
駒留島からの眺め。かつての海が一面の水田に。初夏の水田風景、秋の黄金色、冬の雪景色を見比べてみたい。

にかほ市象潟郷土資料館では、かつて湖潟だった頃の九十九島を825分の1サイズで再現したジオラマが見られます。
松尾芭蕉、小林一茶らが目にした光景と聞けば、そこまで昔でもない気がしますけど、一夜にして景色が激変したんですね。

現在の眺めと照らしあわせる楽しみも。
手もとでボタンを押すとジオラマ内でその場所が光る、ちょっとなつかしの仕掛け。

郷土資料館の学芸員、齋藤一樹さいとうかずきさんに九十九島の楽しみ方を相談してみました。

——九十九島の各島の名前って誰がつけたのでしょう。

齋藤
それがわからない。象潟って昔から歌に詠まれてきた歌枕の地なんです。象潟は、隣りの本荘の殿様の管轄で、本荘の殿様がお抱え絵師に象潟の絵を描かせてるんだけど、それが江戸の天明期、1780年代。そのときには、もう、ちゃんと島の名前もある。ただ、いつ誰がどうやって名前をつけたのかはわからない。

——そうか、由来は不明なんですね。

齋藤
昔の絵に描かれた名前と今の島の名前も合わないんです。だから、何度か名前も変遷しているんだと思います。

——どこか特に好きな島はありますか。

齋藤
松尾芭蕉が象潟へやって来たときに、船を寄せたと「奥の細道」にも書かれてる能因島のういんじまとか。能因島は、能因法師が隠居した島だという伝説があって、だから芭蕉も訪れたんですよ。

——芭蕉ゆかりの場所ですね。

齋藤
芭蕉の弟子の曽良そらが象潟で詠んだ「波越えぬちぎりありてやみさごの巣」という句があって、そのみさごって鳥の名前がついた、みさご島というのもあります。誰のセンスで名付けたんだろうって島もあって、私が気になるのは「絵松島えまつしま」。面白い命名だなと思って。

——齋藤さんは九十九島、どう楽しめばいいと思います?

齋藤
九十九島って考えてみるとすごいところなのよ。まず、鳥海山の噴火で生まれた島が、地震の隆起で今の姿になったという自然の記録。それを開発しようって人と保護しようという人のドラマもある。芭蕉や一茶らも訪れてるから文学的な作品がのこされている。防災、開発と自然保護、文学……今に通じることが昔から集約されてる場所なんです。

齋藤さんが教えてくれた保護と開発のドラマとはこのような内容でした。
1804年の地震で土地が隆起した後、本荘の殿様は手のひらを返すようにして、島をつぶして水田開発に乗り出しますが、蚶満寺の住職・覚林かくりんがひとり反対。当然、殿様が聞き入れるわけはないので、覚林は、蚶満寺を閑院宮家かんいんのみやけという宮家の祈願所に指定してもらい、寺の格を上げることでそれに対抗しました。その結果として、新田開発の勢いは弱まったものの、覚林は捕らえられ獄死することに。

そして、昭和に入って、のこされた島のひとつひとつが文化財指定を受け、現在にいたるまで保全されています。

文化財指定された島の数は103島と、実は99以上ある。島を巡る遊歩道も整備されている。

蚶満寺は、九十九島のなかでも現在、最もアクセスしやすい位置にあります。潟湖があった時代も、蚶満寺から九十九島を望むのは、象潟巡りの定番コースでした。

ということで、最後は蚶満寺へ。

すぐ隣りに海があるかと錯覚するような蚶満寺の参道。
蚶満寺は、ちょうど年に1度の地蔵尊の日だった。
歴史を知ったせいか、どこかの離島に来た気分が抜けない。

これも齋藤さんに教わったことですが、紀元前に起きた鳥海山の山体崩壊は、ちょうど縄文晩期の頃。約60億トンもの土砂が流れ落ちたそうで、それによって島ができたわけですが、縄文の人たちの被害も大変なものだったろうと。
そして、1804年の大地震では地面が約2m以上も隆起。当然、津波も襲来しました。

長い時間が経てば、歌枕の地、名勝地として遠くからも人が集まる土地となりますが、それぞれの時代においては被害の大きな災害でしかなかったでしょう。スケールの大きな地球時間とその土地に暮らす人たちの歴史の積み重ねの上に、名所と呼ばれる場所は生まれています。
そんな話を聞いて楽しめない? いえ、やっぱりいろんなことを知れば知るほどに、景色を見る目はより深まってくるのではないかと思います。

【象潟郷土資料館】
〈住所〉にかほ市象潟町浜ノ田1
〈時間〉9:00~17:00
〈入館料〉一般150円、高校生その他学生100円、小・中高生50円
     ※にかほ市内の小・中学生は無料。
〈定休日〉毎週月曜日および年末年始(12/29~1/3)
〈TEL〉0184-43-2005
〈HP〉http://www.city.nikaho.akita.jp/life/detail.html?id=210

【蚶満寺】
〈住所〉にかほ市象潟町字象潟島2
〈時間〉8:00~17:00
〈休〉要問い合わせ
〈料金〉一般300円、高校生150円、小・中学生100円
〈TEL〉0184-43-3153
〈HP〉https://www.akitafan.com/archive/tourism/405