秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集、文:矢吹史子 写真:船橋陽馬

「そのままでいいんだよ」。年齢差50歳のバンド?!ウキヤガラボーイズ!

2021.03.03

秋田県大潟村おおがたむらは、1964年、日本農業のモデルとなる農村を作ることを目指して、日本で2番目に大きい湖だった「八郎潟はちろうがた」を干拓して作られた村です。

(大潟村の成り立ちについては、なんも大学記事「ガイドさんは入植者! 干拓博物館で大潟村のリアルを学ぼう。」でもご紹介しています。)

この大潟村を舞台に、2021年1月、NHK-BSプレミアムにて「金色の海」というドラマが放送されました。
(3月5日(金)夜7:30より、ドラマ本編に加え、撮影秘話なども加わった、秋田県域のみの特別版仕様の番組が放送されます。)

ドラマには、「ハチロウボーイズ」という村民たちによるバンドが登場するのですが、じつは、大潟村には、このモデルとなったバンドが存在するんです。その名は「ウキヤガラボーイズ」。

ドラマでは、ハチロウボーイズは、主人公の支えとなるとても大事な役どころとなっていますが、ウキヤガラボーイズはどんなバンドなのでしょう?練習をしているという大潟村公民館へお邪魔しました。

最初に迎えてくださったのは、代表の古谷義信さんです。

——ウキヤガラボーイズは、いつ頃からあるバンドなんでしょう?

古谷さん
古谷さん
八郎潟が干拓されてこの村ができると、ここで農業をするための入植者を全国から集めたんですね。昭和42年の1次入植から始まり、昭和53年までに589戸が入植しました。

入植すると、1年間、世帯主は訓練所で共同生活をしながら農業の勉強をするんですね。でも、その期間、夜はお酒を飲むか、寝るしかなくて、暇でしょうがない。そこで1次入植の2人が家からピアノとトランペットを持ってきて、食堂で演奏していたそうなんです。

——それがウキヤガラボーイズの始まり?

古谷さん
古谷さん
はい。そこからだんだんと増えていったんです。

——バンド名の「ウキヤガラ」という言葉が聞き慣れないのですが、これはどういう意味なんでしょう?

古谷さん
古谷さん
この名前を付けたのは当時の訓練所の所長さんと聞いています。この干拓地特有の雑草に「ウキヤガラ」っていうものがあるんですよ。それが当時、除草剤がなくて、手で取るしか取り除く方法がない、大変な雑草だったんです。その強い生命力から名前を取ったんですね。そのおかげか、バンドも50年以上続いているんです。

でも、名前を紹介されるときに、「ナイアガラボーイズ」なんて呼ばれることもありますけどね(笑)。

——ふだんはどんな曲を演奏されているんですか?

古谷さん
古谷さん
演歌、歌謡曲、映画音楽からスタンダードジャズまで、なんでもやるんですよ。あとは結婚式の曲とかね。

——結婚式?

古谷さん
古谷さん
ここの村ができたばかりのころは、週に1度は結婚式があったんですよ。そこで演奏していたんです。

——週に1度も結婚式が??

古谷さん
古谷さん
入植したのはみんな若い人たちだったからね。「公民館方式」といって、毎回1人1000円くらいの予算で、簡単な折詰とお酒が出るような会費制の結婚式をこの公民館でやっていたんですよ。そして、いつの間にか「公民館方式ではウキヤガラボーイズが演奏するもんだ」というふうになっていったんです。

——へ〜!!

古谷さん
古谷さん
下手すると週に2回くらい結婚式があるんですよ。みんな時間ギリギリまで田んぼにいたので、スーツ着てネクタイ絞めてやってきても、泥が付いていたりね。
古谷さん
古谷さん
結婚式はちょうど、このバンドの練習をしている部屋でやっていたんですよ。一番多いときはここに200人くらいの人が来て、もう身動きもとれないくらい。そして、乾杯すると我々の演奏が始まる。でも、我々にはギャラが出るわけでもないから「まず、飲め飲め飲め!」とお酒を注がれて、みんな飲みながら演奏してましたよ。良い時代でしたね。

——今はそういうことはなくなってしまった?

古谷さん
古谷さん
やっぱり、素人の生演奏バンドより、カラオケのほうが喜ばれるんですよね。それに、ホテルでの結婚式が主流になって、公民館ではやらなくなっていきましたしね。

——最近の表立ったところでの演奏というのは?

古谷さん
古谷さん
コロナの前は村の行事があると演奏したり、村の芸術文化協会の発表会に出たり、施設に慰問に行ったり……。でも、この一年は練習ばっかりですね。

お話しているうちに次々とメンバーが集まり、練習のスタートです。フルメンバーで9名のところ、今日の練習には7名が参加しました。楽譜にふってある番号を元に「次は何番やる?」と、その場のノリで曲目を決めて演奏が始まりました。

「父が入植者で、栃木県からこちらへ来ました。中学では吹奏楽をやっていて、大人になって、いったん村を出たんですが、20年経ってまた戻ってきたとき、兄がこのバンドに所属していたこともあって、その紹介で入ることになったんですよね。もう10年以上やっていますね。」
「私は父が入植者でその2世。中学では吹奏楽部でした。このバンドに入ったのは35〜36年前かな。近所にここで歌っている人がいて誘われて。『何かやりたいな』っていう気持ちがあってね。ほかにも趣味はいっぱいあるんだけど、すべて浅くて、長くやっているのはこれだけだね。」
「最年少の29歳です。ふだんは大潟村役場に勤めています。祖父母が入植者なんですが、自分は今は結婚して村外から通っています。バンドには5年前、役場に入ったときにドラムがいないということで誘われて。世代のギャップはあるけれど、自分の知らない曲がやれるのは楽しいですね。」
「妻が入植者の2世で、私は秋田県内で教員をしていたんですが、娘が農業を始めるということで、教職を辞めて家族で農業を始めて7年になります。音楽は中学から吹奏楽をやっていたんですが、農業を始めようかというころ、古谷さんに誘われてこのバンドに入りました。」
「3次入植者で、いまの美郷町から大潟村に来ました。ここに来る前から楽器をやっていて、30人以上いるビッグバンドに所属していたんです。ベンチャーズやビートルズの世代。ギターを持つのは全員不良と言われる時代だったね(笑)。」
「80歳になったな。最年長。このバンドの立ち上げのメンバーで、最初は訓練所で演奏を始めたんだ。俺は休んでた時期もあったけど、バンド自体は50年近くやってるな。一番若いメンバーとは50歳も違う。こういう人たちとやれるっていうことはすごいことだと思うんだ。みんな、俺のこともバンバンシゴくしよぉ(笑)。でも、総入れ歯になったっけ、演奏するのも容易でねぇんだ(笑)。」

「ラスト・ダンスは私に」「木綿のハンカチーフ」「シクラメンのかほり」「スタジオジブリメドレー」「秋田県民歌」など、間髪いれず演奏が続きます。

なかには、「風よとどけよ、ふるさとへ」というオリジナルの楽曲も。これは、大潟村へ入植した人たちが自分たちのふるさとを思う姿をイメージして作ったといいます。
練習の一部を、動画でもご覧ください。

古谷さん
古谷さん
私は秋田市出身で、小さい頃からずっと音楽に関わってきていてね。家は農家だったので、当然のように自分も農業をやるつもりで、学生時代にアメリカの農業を見に行ったりしているなかで、大潟村の入植者募集があると知って、5次入植で訓練所に入りました。

——そこから、このバンドに入った。

古谷さん
古谷さん
はい。今はサックスを吹いていますけど、当時はクラリネットをやっていたんです。でも、最初に渡されたのが、ピアノの楽譜で。ピアノとクラリネットでは調が違うので楽譜も違うわけですよ。
そして、よくよくやっていくと、曲のレパートリーもあまりないんですね。それに当時は、楽譜が読めない人もいて。よく言えばアドリブ、悪く言えば適当なバンドだったわけ。
古谷さん
古谷さん
そうやって、少しずつ楽譜を揃えていって、今では300曲くらいのレパートリーができました。

——このバンドは、経験者でなくても「来るもの拒まず」でやってきたんですね。

古谷さん
古谷さん
もちろん、もちろん。やる気さえあればそれでいい。我々はプロを目指しているわけでもないし、お金をいただいてやっているわけでもないんだから。とにかくみんなで楽しみましょう、と。

失敗しても「それでいいんだよ、今のよかったね!でも、もうちょっとこうやってみて」というふうにして、褒めながら伸ばしていく。

——先ほど、サックスの田口さんが「間違っても楽しい!」とおっしゃっていたのが印象的でした。

古谷さん
古谷さん
音楽は楽しくなくちゃね!

——ドラマの主人公は、バンドに入ることで居場所ができていましたよね。ここはみなさんにとってもそういう場所なんでしょうか。

古谷さん
古谷さん
この活動はもう、我々の生活の一部なんですよね。それに、私たちがやっているのは「ああしなければいけない、こうしなければいけない」っていう音楽じゃないんだ。
古谷さん
古谷さん
私たちは「あなたの持っている、そのままでいいんだよ」っていうやり方をしている。それはドラマとも共通しているよね。

——だからこそ、50年も続いているんですね。そして、最年少の土佐林さんと最年長の小野さんの年齢差は50歳以上。年代や立場が違っても、音楽という共通点で繋がって、お互いを認め合える、とても素敵な仲間たちにお会いできました。

ウキヤガラボーイズがモデルとなったバンドが登場する 秋田発地域ドラマ「⾦⾊の海」は、3⽉5⽇(⾦)夜7:30から、NHK総合テレビで放送されます。