秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:矢吹史子 写真:船橋陽馬、ファームガーデンたそがれ

百姓から「万姓」へ。ファームガーデンたそがれの「野育園」。

2021.04.28

潟上市かたがみしの農家、菊地晃生こうせいさん、みちるさんご夫妻が営む「ファームガーデンたそがれ」。農薬や化学肥料に頼らない農法で、米を中心に、大豆、小麦、野菜などを収穫するとともに、ジャムや味噌などの加工品も手掛けています。

そんな彼らが1年間かけて実施するプログラム「たそがれ野育園のいくえん」は、大人も子どもも分け隔てなく、野や自然から学ぶことができるというもの。
2014年から始まり、年々入園者が増え、今年は延べ120人以上にもなっているといいます。

この野育園を通じて菊地さんたちは、あらゆる分野にみられる人材不足、後継者不足などの課題に一石を投じるような実践をしているんです。

菊地さんご夫妻にお話を伺います。

風景の中の人になる

晃生さん
晃生さん
僕が就農したのは2007年。それまでは、進学で県外に出たのち、北海道で働いていましたが、農業をやっていたじいちゃんの後を継ごうと、秋田に帰ってきました。
じいちゃんには農家を継ぐことは反対されてはいたんですが、僕がやりたかったのは、これまでの農業を踏襲するのではなく、時代に合うようなやり方だったんです。

もともと不耕起栽培(田んぼを耕さずに稲を育てる農法)や、環境問題や食の問題にも関心があったし、前職でもランドスケープデザインをしてきました。

それらの蓄積から、「農業をする」というよりは「農に根ざした新しい環境を作りたい」「自分たちの暮らしを見つめ直しながら、新しい仕事を探し出していこう」という意識が強かったように思います。
晃生さん
晃生さん
でも結局、環境を維持していくのって、そこで生きていく人たちなんですよね。

ランドスケープデザインにしても、プランニングして絵を描くことも大事だけど、自分が育った田畑のある風景を残したいなら、自分がそこに関わっていくしかない。自分がその風景の中の人になっていこう、という思いで農業を始めました。

野育園のはじまり

晃生さん
晃生さん
就農して間もないころから、不耕起栽培を学ぶために千葉県で開かれていた「自然耕塾」というものに通っていました。そして、そこで得た知識をもって、自分たちで自然耕塾の秋田版を始めることにしたんです。

毎回、4〜5組が来てくれるものの1日のうちの半分が座学。まだ経験の浅い僕が見よう見まねでやったので、なかなかうまくいきませんでした。
晃生さん
晃生さん
同じころ、長女が保育園に行き渋ったこともあって、保育園に通わせるのをやめて、「野育」をしながら一緒に過ごしていました。僕の仕事のかたわら、野で遊ばせておくというものです。
みちるさん
みちるさん
朝、起きると娘をおんぶして、田んぼの水を見に行ったりしていましたね。
晃生さん
晃生さん
それを僕らは「野育園」って呼んでいたんですが、その様子をSNSで発信していたら、「こういう子育てをしてみたいんですが、やらせてもらえませんか?」という問い合わせをいただくようになりました。

そこで、翌年から自然耕塾をやめて、僕ら親子だけの野育だったものを再編成して、みんなでやれるものにしていったんです。
晃生さん
晃生さん
プログラムの内容としては、田んぼを手掛けてもらうんですが、与えられる田んぼは、一区画6畳分。それが、参加者の「マイ田んぼ」になります。
晃生さん
晃生さん
そして、種まき、田植え、草取り、稲刈り……という1年間の体験をすべて自分の手でやってもらいます。

さらには、農業の背景にある「農的な暮らし」……例えば、田植えが終わったら笹巻きを作る、「さなぶり」という田植え後の感謝祭をする、冬には餅つきをする、正月になる前にしめ縄を綯う、年が明けたら味噌を作る、春には山菜を採りに行く……。そういう、1年間の暮らしの体験ができる場にしました。
餅つき大会の様子
味噌作りの様子
みちるさん
みちるさん
稲刈り体験や田植え体験だけをやるようなものはよそでもあると思うんですが、部分的な関わりでは意味が薄くなるし、「嬉しい」の濃さが違うと思うんです。なので、1年全部を見ることができるプログラムにしました。
晃生さん
晃生さん
やっぱり、作物の栽培をして面白いのって、できあがったときの喜びなんですよね。種撒いて、芽が出てきた、それが育って実を付けた……その一連に感動するものなので、苦労はみんなで分かち合い、喜びもみんなでシェアしていく。
12〜13組からスタートした野育園も、今年は田んぼが40組、畑が30組にまで増えた。
晃生さん
晃生さん
そしてこれは、単に子どもを預ける場所ではなくて、大人も子どもも同じような立ち位置で野や自然から学び合おうというもので、農業を目指す人だけでなく、どんな人でも学べる場を目指しました。
みちるさん
みちるさん
自然耕塾のときは座学も多くて、子どもを連れていけないような場所になってしまっていたんですよね。なので野育園は、もっとオープンに、子どもが一緒にいても違和感のないものにしようと。

——実際、どんな方が参加されているんですか?

晃生さん
晃生さん
お子さんを持った方、リタイア後に農業をしたいという方、女性一人での参加もあるし、ただ自然の中でぼーっとしたいという方もいる。

中には、自分の農業として不耕起栽培を採用したいと、活動日じゃない日も手伝いに来てくれる人もいます。
それから、この野育園のシステム自体を学びたいというニーズも最近はあるんですよ。

そういう様子を見ていたら、目的をこちらで設定しなくても、場としてあるだけでいいんだということがわかってきましたね。

楽しい農村

——子どもたちも農作業を手伝うんですか?

みちるさん
みちるさん
それは強要していないんですよ。
晃生さん
晃生さん
今って、子どもたちが自由に走り回れる環境すらないじゃないですか。山の中で「この斜面は危険だろう」とか、そういうことを考える経験のない子どもも多いので、あえて野ばなしにしているんです。
みちるさん
みちるさん
見守りはするけれど、なるべく放っておく。すると、年上の子がやんちゃしながらも年下の子たちの面倒をしっかり見てくれたりするんですよね。
晃生さん
晃生さん
3歳から参加している子は、始めはおんぶされながら田植えをしていたけど、今は小学生になって鎌を持ってしっかり稲刈りをしてるんですよ。

——そういう成長が見られるのは嬉しいですね!

晃生さん
晃生さん
子どもが圧倒的に多くて、30〜40人くらい。しかも多世代になるので、ここで学校以外のコミュニティが生まれる可能性があるとも思っています。

関わった子どもたちには、将来、必ずしも農業をやってほしいとは思わないんですが、ここでの記憶が、大きくなったときまで残ってくれたらいいなと思いますね。

そして、僕が理想としているのは、田んぼにいろんな人がいて助け合いながら、泣いたり、笑ったり……そういう光景がある「楽しい農村」なんですよね。

——昔はみんなそうやって米を作っていたんですよね。

晃生さん
晃生さん
集落であったり、親戚であったり、血縁であったり。必然的に「米を作らなければならない」という状況だったから結束も強かったし、流れてくる一筋の水をみんなで分け合わなければいけなかった。
晃生さん
晃生さん
でも今、農村に人がいなくなったことで、かつては当たり前にあったコミュニティがなくなっているし、田畑には機械音しか響かなくなってしまった。

そういうなかで、「地域のために」と奮い立たせるだけのエネルギーは自分にはないけれど、これからは「地域を超えた関係性」で新しいコミュニティが作っていけるのかもしれません。

稲刈り騒動

晃生さん
晃生さん
野育園では「入園料」をいただいています。この方法は「出来高でいくら」という今の農業の考え方とは全く違うものなんです。
みちるさん
みちるさん
一区画の田んぼで穫れるお米の量は5キロないくらい。通常販売している米5キロの価格と比較すると入園料はとても高額なんですよね。

——入園された方は米だけでなく、その時間や体験を購入しているんですね。

晃生さん
晃生さん
そうですね。そして、このやり方だと「労力をかけないようにして、たくさんお米を作る」という従来の農業の考えが必要なくなるんです。

楽しい体験ができて、喜びがあって、たとえ失敗をしても、「面白かった」って言ってもらえるかどうかが農家の仕事になる。

——考え方がガラっと変わりますね!

晃生さん
晃生さん
なので、仲間たちとどんどんイベントを作っていくことができるし、困ったときにお願いできる関係性もできていくんですよ。

そうそう、野育園を始めた年に「稲刈り騒動」ということを経験したんです。

——稲刈り騒動?

晃生さん
晃生さん
2014年に、土壌の問題で田んぼにコンバインが入れなくなって、3町歩ちょうぶ(1町歩=約100㎡)を全部手刈りすることになったんです。でも、家族だけで手刈りするのでは時間がかかりすぎて、雪が降ってきてしまう……。

それなら、人の手に頼ってみようとFacebookで募ったんですよ。そしたら、全国各地から200人もの方が来てくれて、結果、21日で刈り終えることができたんです。

——すごい!!

晃生さん
晃生さん
やっぱり、一人で農業をやっていくのは大変なんです。そのころは「先に繋がるのかな」という不安も生まれてきた時期で、この経験をきっかけに、人と繋がりながらみんなで楽しくやることを大事にしていくようになりました。

——たしか昨年、魚の販売もしていましたよね?

晃生さん
晃生さん
はい。八峰町はっぽうちょうやにかほ市の漁師さんがここまで販売に来てくれたんです。
新型コロナウイルスの影響でこれまで飲食店に卸していたものが余ってしまっているということで、野育園のみんなで共同購入しようと持ちかけたら、みんなが買いに来てくれて。
魚の種類や食べ方も漁師さんから聞いて学ぶことができたし、かつ、美味しい魚を食べることもできた。
2020年に開催された「おさかなマルシェ」。
晃生さん
晃生さん
それから、今年の冬は横手市が大雪に見舞われて、学生たちを集めて果樹の雪下ろしもしてきたんですよ。

こういう、生産者同士の連携というのを、秋田だけでなく、東北規模でやっていきたいですね。それぞれが繋がって面になって、そこを行き来する人たちが出てきたら面白いと思うんです。
横手市の果樹農家の雪下ろしボランティア
みちるさん
みちるさん
自給自足をしようとすると、自己完結になりがちなんですよね。
晃生さん
晃生さん
自己完結って、結局自己満足になってしまうからね。
以前は「まずは自分が足りればいい」と思っていたけれど、やっていくなかで「誰かがいないと完結しないんだ」と気づいて。

やっぱり、大事なのは他者と深く関わっていくことなんだとここ10年で気づいたし、これからはそれをより大事にやっていこうと思っています。

——ボランティアや仲間を募るとき、「来てください」と伝えても難しいこともありますよね。どうしたら「やっていただいている」「やらされている」にならない仲間作りができるのでしょう?

晃生さん
晃生さん
野育園をやり始めたころ、ある方に聞いた言葉で「自分自身を場として開く」というものがありました。「場というのはすでにそこにある。あとは、自分自身が開けるかどうかなんだ」という意味で。

その言葉を知ってからは、その意識をもってプログラムを考えるようになりましたね。
晃生さん
晃生さん
でも、「いつでもいいから来てね!」じゃダメなんですよ。料金設定をはっきりさせて、そのなかでどこまでやってもらうという区切りや制約があったほうが関わってもらいやすいように思います。

そして何より、家族の理解に感謝しています。支えてくれる妻や母や子どもたちがいて初めて成り立つのが農業なので。自分だけが開いていてもダメで、家族みんなが開いてくれないと実現しないんですよね。

農業は人づくり

晃生さん
晃生さん
最近は、農法にこだわることよりも、次の世代に繋がるように、自分たちが楽しめることに転換していかなければと思っています。

「何としても田んぼでないと!」というわけではなく、一部を小麦にしたらパンができるようになって、大豆を始めたら味噌や醤油を作れるようになった。
晃生さん
晃生さん
その流れで、職人さんや加工業をやっている人たちと出会うようにもなったんですよね。この展開は全く想像していなかったんだけど、誰かと一緒にものを作っていくという可能性が面白くて。

最近では酒米を作ったりもしていて、その酒粕で秋田市の喫茶店でケーキを作ってもらったり。関わる人が増えるほどに広がってきますよね。
菊地さんが育てた酒米「亀の尾」で、秋田醸造が仕込んだ日本酒「ゆきの美人」。

——農業を始めたころの「環境を作りたい」という思いが今、形になってきているように感じます。

晃生さん
晃生さん
最初に描いていたのは地球環境だったんだけれど、今は「人」に近いところになっているように思います。農業って「人づくり」なんですよね。
コミュニティの中で構築していくべきは信頼関係であって、もっと豊かな人間の繋がりなんですよね。
晃生さん
晃生さん
一人で百の仕事をこなす「百姓」を目指してきたんですが、今は、それを百人でやって「万姓」、万の力を得ることだってできるんじゃないかと思っています。

野育園を通して、自分の食べている農作物のそこから先をもっと知りたい、もっと関わりたいという消費者がたくさんいることがわかってきました。その要望に対して、こちらも積極的に場を作っていく。両側からの歩み寄りが、次の農村の姿を作っていくのかもしれません。

【ファームガーデンたそがれ】
〈HP〉http://tasogare.akita.jp/