秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード
大仙市編

編集・文:竹内厚 写真:船橋陽馬

星耕硝子の暮らしと工房

2018.07.04

吹きガラスによる温かみとゆらぎが宿る星耕せいこう硝子の作品。今や各地で展示会が開かれるなど、全国にファンを増やし続けています。

伊藤嘉輝よしてるさんがひとりで制作を行っている硝子工房「星耕硝子」は、大仙だいせんの奥羽山脈のふもと、仙北せんぼく平野の豊川地区に。妻の亜紀さんのご実家だそうです。
工房の様子を見せてもらいながら、星耕硝子のことと普段の暮らしについて、亜紀さんに話を聞きました。

——いいところですね~。

亜紀
私が生まれた家です。工房にしてるのは、生まれる前からあった納屋で、小さい頃からよく遊んでたんです。まさかそこが仕事場になるとは思ってもみなかった。

——いつ頃までご実家に?

亜紀
18歳までここにいて、ガラスの勉強をしたくて石川県の「能登島ガラス工房」へ行きました。主人もちょうど同じ時期にガラスを習いに来ていて、そこで知り合ったんです。

——それから、おふたりで岩手県の体験工房「森のくに」に勤務されて、その後、今の星耕硝子の原点となる「星耕茶寮」へ。そのあたりはどんな流れだったんでしょう。

亜紀
「森のくに」では、彼は正社員でガラス部門に、私はパートタイムで食部門の担当だったんです。そこで知り合った佐藤幸吉こうきちさんという方が、自分で表現したい世界があるって先に辞められて、私たちも後を追うようにして、ついていきました。佐藤さんが、前につくっていた「星耕茶寮」という自家菜園とガラス工房付きのレストランを復活させて、そこでガラス部門も再開したんです。

——佐藤幸吉さんはガラスも制作されてたんですね。

亜紀
もとはボトルコレクターだったのが、趣味が高じてガラス工房も自分でつくられて。けど、もともとは船乗りのコックさんで、料理がご専門。馬賊*ばぞくだった人の門下生に入ったことがあるって、「馬賊」という飲食店もされてました。
※中国に清朝末期から存在した、村を守る騎馬の正統派自衛組織。

——とてもユニークな経歴の方ですね。

亜紀
私たちのことを育ててくださって、いろんなことを教えていただきました。今、使ってる窯や機材も、独立するときに退職金代わりだって佐藤さんにいただいたものなんです。
星耕硝子の工房。星耕茶寮から独立する際、佐藤幸吉さんから一式譲り受けたという窯が中央に。工房の名前もそのまま受け継いだ。
伊藤嘉輝さんが向き合う溶解炉の温度は1120度。
毎朝5時半頃から火を焚きはじめて、制作がはじめられるのは10時頃だそう。

——星耕茶寮でガラスを教わったというわけではない?

亜紀
そうですね。主人は体験工房のお兄さんをしながら、合間をみては、自分の作品をつくったりしていました。だけど、2年くらい経ったところで、ガラス部門が続かなくなって、私たちは独立することにしました。

——星耕硝子として独立して、しばらく岩手の花巻はなまきで。

亜紀
その頃は、ふたりともアルバイトを掛け持ちしながらガス代を稼いで制作してました。心身ともに大変でしたね。
吹いて。
転がしながら形を整えて。
型に入れて模様をつける。
これは底を平らにしている段階。星耕硝子ではすべての制作を伊藤嘉輝さんひとりで行っている。

——ご実家の大仙に工房を開くことになったのはどうしてでしょう。

亜紀
ちょうどうちの父親から「豆腐屋をはじめるから、そこを手伝いながらガラスをつくったらどうだ」って提案があったんです。それで、主人は午前中は豆腐を寄せて、午後は吹きガラスをするという生活に。

——豆腐とガラスの暮らしがはじまったと。

亜紀
豆腐店と星耕硝子の工房を同時にオープンさせたので、そのときはお祭りも開きました。父がマツケンサンバを踊ったり、事務員さんもミュージシャンだったので1曲披露してくれたりして。

——ごきげんな村祭りみたいですね。

工房の周囲は、広がる田畑のなか、季節風を避けるための屋敷林に囲まれて、ぽつぽつと住まいがある散村風景。
亜紀さんのお父様が亡くなって1年後の2015年2月「豆腐屋ふわっ豆」は店を閉じた。現在は営業していない。

——大仙で制作をはじめた星耕硝子が、広く知られるようになったのは何かキッカケがありましたか。

亜紀
まずは日々の積み重ねなんですけど、日本民藝館展*で賞をいただいてから、名前を知っていただく機会は増えました。
※日本民藝館(東京)で年に一度開かれる全国規模の公募展。手仕事の品や民芸の美を指針とする個人作家の品が中心。

——賞状も飾ってありますね。

亜紀
国展*でも賞をいただくことができて、思ってもみないことに、その賞状が柚木沙弥郎ゆのきさみろうさんのものだったんですよ。お守りのような感じで飾ってあります。
※国画会が運営する日本最大級の公募展。
柚木沙弥郎さんは95歳の今も活動を続ける染色家。工芸界の輝ける星。
お守りといえばこちらも。佐藤幸吉さんが自身で集めていた古いものを使ってつくったコラージュ作品。
工房の2階は民藝館のような趣き。椅子も佐藤幸吉さんからのいただきもの。

——ところで亜紀さんはもうガラスの制作はされないんですか。

亜紀
つくってません。私は今、暮らしのことが楽しいし、自分が使いたいものは主人が全部つくってくれるので。

——役割分担。

亜紀
そうですね。絶対にもうつくらないとは言いませんけど、今は私の持ち場じゃないと思います。お料理も好きだし、子どもたちが生まれてからは、自分でも絵本を読みあさって、今では小学校で読み聞かせをやったりしてますから。子どもを見てるだけでも楽しいんですよ。
瞬時にガラスの形は変わる。亜紀さん曰く「スポーツみたいで、経験すると楽しいんですよ」。
温度が高いうちに、ハサミも使って開口部を整える。
星耕硝子では、原材料にリサイクルガラスを使っていたが、現在は、主に仕入れた工芸ガラスの塊を熔かして使用。
かつて亜紀さんがつくったステンドガラスが工房の採光に。

——毎日はどんな暮らしなんでしょう。

亜紀
だいたいルーティンで決まってます。朝は珈琲を飲んで、子どもたちを送り出してとか。必ずポット1本分のお茶をつくるとか。主人は朝10時から12時、1時間のお昼のあと、13時から18時か18時半くらいまで吹き続けてます。

——心がけていることはありますか。

亜紀
健康じゃないと健康なものはつくれないのは確かなので、穏やかに暮らすように心がけています。
「心が向いたらやりたいことは山ほどあります」と亜紀さん。現在、高校生、中学生、小学生と3人の子育て中。
工房は、ひとりで制作がスムーズに進むようにあらゆる道具があるべきところにある。

——昨日まで東京で開かれている展示会場に在廊されて、今週末からは青森でも展示がスタート。お忙しそうです。

亜紀
ぼちぼちやってます。10月頃になればいくらか落ち着きますけど、最近はクリスマスのガラス制作もあるので。それでも、子どもの行事や地域の草刈りなんかは優先しています。

——土地に根ざした暮らしですね。

亜紀
いろんなところで子どもたちを見てもらって、地域のみなさんに育ててもらっているという気持ちもあります。だから、地域の学校には、興味のあるお子さんがいればつくりにきてくださいって。制作が落ち着いた時期には、そういう体験の機会もつくりたいと思っています。

——次の世代ってことも考えますか。

亜紀
実際に経験するって大事ですよね。吹きガラスを自分たちだけのものにしないで、どんどん若い人に受け継いでもらいたいとは思ってます。
星耕硝子は、大仙では大曲駅前の日用雑貨店「ミンカ」で取扱中。
形が整ったら、470度の徐冷炉じょれいろで1日かけてゆっくり冷ます。そのため、徐冷炉に入るだけの量しか1日に生産できない。
1日にだいたい20~30個程度を制作。

——最後に、星耕硝子の特徴を教えてください。

亜紀
工芸展に出すような作品もつくっていますけど、日常的に使える、価格も高くないところでやっていきたいと思っています。たくさんの家庭に知っていただいて、たくさんご贔屓ひいきにしていただけたら。

——今のところは、生活に近いところにある商品を。

亜紀
どうしても、ある程度の年齢になってくると体力的にもたくさんつくれなくなりますからね。若いうちにたくさんつくって、より広くみなさまに使っていただけたら嬉しいです。

【星耕硝子】
〈住所〉大仙市豊川字喜内野527
〈TEL・FAX〉0187-52-7877
〈ブログ〉http://www15.plala.or.jp/seiko-glass/
※工房見学希望の際は要予約。

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