秋田のいいとこ 旅で出会った、ローカルスタンダード

編集・文:竹内厚 写真:船橋陽馬

ゴキゲンな秘湯
黒湯温泉のひみつ

2018.08.01

日本随一の強酸性のお湯で知られる玉川たまがわ温泉をはじめ、数多くの温泉、温泉郷を抱える仙北市。
なかでも「乳頭温泉郷にゅうとうおんせんきょう」は、乳頭山麓に点在する7つの湯それぞれに異なる源泉を持ち、気軽に温泉巡りを楽しむこともできます。

鶴の湯、妙乃湯たえのゆ蟹場がにば大釜おおがま孫六まごろく黒湯くろゆ、そして、休暇村きゅうかむら、と乳頭温泉郷にある温泉の名前を列挙していくだけでも、温泉巡りをしているような気になってくるのですが、同行していたカメラマンの陽馬さんはそのすべてに行ったことがあるんだそう。
「で、どこが一番よかった?」と反射的に尋ねてしまいました。陽馬さん、しばし黙考した後、返ってきた答えは「黒湯温泉」でした。聞けば、泉質もさることながら、その雰囲気が個人的にとても気に入ったのだとか。

キミに決めた! というわけで訪ねた黒湯温泉。とても気持ちのいい温泉だったのはもちろんのこと、思いがけない出会いと発見もありましたよ。

結果的にゴキゲンなスタッフの集合写真を撮影するまでに。その経緯は記事の後半で。
乳頭温泉郷へはシラカバ、ブナの森を抜けていく。
黒湯温泉は乳頭温泉郷でも最奥部。道中の車窓はこんな眺めが。森林浴を楽しんでいるのか、歩いて湯巡りしている人の姿も見かけた。
山あいに見えてくる温泉の湯けむりと香り。もう気持ちは、なかば湯に浸かっている。

黒湯温泉は、周囲の環境や温泉までへのアクセスもふくめて、いわゆる「秘湯」と呼ばれるタイプの温泉宿。1970年代に漫画家のつげ義春が訪ねて、その独特なタッチで温泉風景をスケッチにのこしていることでも知られています。
なんですが、到着した黒湯温泉は、単純に「秘湯」「ひなびた」とは形容しがたい、しっかりとしたホスピタリティの意志を感じさせるところがありました。これって一体、なんだろう。

案内板は間違いようのない明快さ。「いらっしゃいませ」は4カ国語表記。
写真撮影用の看板もしっかり準備されている。
聞けば、案内板などはすべてスタッフの手製だそう。
なので、絵地図はゆるめのタッチだったりして、その塩梅あんばいもいい。
建物だけを撮影すればまさに秘湯、つげ義春的な世界。奥に見えるのは自炊棟。長逗留ながとうりゅうする湯治客らが利用する。

と、温泉に入るまでの話が長くなってしまいましたが、黒湯温泉の温泉は、上の湯と下の湯、異なる2つの源泉があります。
単純硫黄泉の上の湯は混浴で、それよりもややPH値が低い下の湯は男女別。どちらにも露天風呂と内湯、打たせ湯があり、日帰り入浴も可能です。まずは、いそいそと上の湯へ。

山がごく間近に感じられる簡素な湯小屋にあって、湯船でも打たせ湯でも休むことなく温泉が注がれ続けています。その湯量の豊富さは、思わず「惜しみなく」と形容したくなるほど。

乳白色の温泉に日が射しこむと、見た目にもまろみが増してリラックス指数がさらにアップしたような気がします。

服を着るのももどかしい思いで、つづけて下の湯へ。
上の湯との泉質の違いをそこまではっきりと自覚することはできませんでしたが、だからこそ「どう? 違う?」なんて、同行者との温泉トークもはずむというもの。
なお、下の湯の外は砂防工事が行われているため、露天風呂には高めの目隠しがなされています。工事にはもう数年かかりそうとのこと。

 別小屋が設けられた下の湯の打たせ湯。こちらも惜しみない湯量でとてもゼータク。打たせ湯の形でお湯を浴びると、黒湯温泉らしい泉質がより実感される気がした。

残念ながら食堂はすでに閉まっている時間だったが、売店でしっかり生ビールも販売。

ノンアルコール派にはラムネが冷えている。他にも、黒たまご(温泉卵)、珈琲なども。

帰り際、「泊まってけばいいのに。涼しいよ~」という女将の池田佳子いけだよしこさんとすこし立ち話をしました。

秋はもみじの紅葉がすごいこと。タイのバンコクを走る高架鉄道(BTS)の車両に、秋の黒湯温泉がラッピングされたことでタイからの観光客が多いこと。冬は2階の窓まで雪が積もるので5か月間の休みをとること。角館名物の桜で花見をしたその足で黒湯温泉に来ても、まだ雪見風呂が楽しめること。自炊棟は100年ほど前の建物であること、などなど……。

とにかく、黒湯温泉のいいところを次々と教えてくれる女将さん。
黒湯温泉を池田家で引き受けてご主人で3代目だという話を聞いて、気になっていたことを尋ねました。

——ずっと黒湯温泉の経営をされてるんですか。

「そうなんですけど、主人が銀行員だったので、10年前までは人まかせにしていました。それが主人が銀行を引退して、こっちに顔を出すようになったら、ちょっと放っとけないタイプだから(笑)」

——この10年の改善もあって、案内などがしっかりしてるんですね。ホスピタリティのある温泉だなと感じた理由がわかってきました。

「人まかせだとここまではできてなかったと思います。だけど、私たちは素人で、今までは女将さんも不在だったので、ここにいるスタッフのみなさんが助けてくれて」

——ちなみに池田さんというのは、大仙市にある「旧池田氏庭園」の池田さんとご親戚かなにかですか。

「うちの主人が池田家の16代目当主なんですよ。私はそこに嫁いで35年です!」

なんと。黒湯温泉を訪ねたちょうどこの日、1か月前に我々の訪ねた「旧池田氏庭園」の取材記事がなんも大学サイトで公開された日だったのです。あの立派な庭園と邸宅を大仙市に寄贈された方が、黒湯温泉を経営されているとは。
「秘湯」と単純に形容できない印象を受けたのも、現在は、池田さんが黒湯温泉の経営に力を入れているからなんですね。

「スタッフに職人さんが多いから、看板やベンチもみんな手づくりなんですよ。昔、使っていた浴衣の生地を使って暖簾やエプロンにしたりね」なんて話を聞いていると、ちょうどエプロン姿のスタッフが通りかかりました。

通りすがりでも笑顔のスタッフの新山さん。後ろの暖簾、エプロンが同じ浴衣生地のリメイク。

上に着ているのも黒湯温泉のオリジナルスタッフTシャツ。「お客さんもほしいって言ってくださるんですけど、黒はスタッフのだから白とグレーだけ販売してるんです。みなさん、見せてあげて~」という感じで、女将さんの声かけでスタッフの方々が集まってきました。

「写真撮ってくれるそうですよ~」で急遽、スタッフを集めてくれた。そのノリのよさもうれしい。
撮影のときには、人気の秋田犬ぬいぐるみをさっと手にする、しっかりものの女将さん。隣りは次男の浩之ひろゆきさん。

「うちは板前さんがいないので、夕飯や食堂の料理もぜんぶ地元のお母さんたちの手づくりなんです。おいしいですよ~。今度は泊まっていってくださいね」。

17世紀に発見されたという、歴史ある黒湯温泉。ただ時間を重ねるのではなく、少しずつまた新しい黒湯温泉のストーリーが始まっていることが心から実感されました。また訪ねますー。

【黒湯温泉】
〈住所〉仙北市田沢湖生保内字黒湯2-1
〈時間〉9:00〜16:00 ※冬季休業。
〈TEL〉0187-46-2214
 日帰り入浴やその他詳細についてはHPをご覧ください。
〈HP〉http://www.kuroyu.com